森永健次郎監督「続 東京流れ者 海は真赤な恋の色」
キャストも音楽も、その魅力が十分に生かされてないような・・・
【映画についての備忘録その97】
森永健次郎監督×渡哲也主演「続東京流れ者 海は真っ赤な恋の色」(1966年)
出所した本堂哲也(渡哲也)は、かつての兄貴分・秀(垂水悟郎)の故郷・高知へ向かっていた。その連絡船の中で、殺し屋の健(吉田輝雄)を知ったがいつかは健と対決せねばならないことを予感した。
堅気になってやり直そうと誓い合った秀を探して、あるキャバレーに向かう。そこで踊り子をしているサリイ(松原智恵子)を訪ね、秀の居所を聞くためだった。キャバレーの客でサリイに夢中になっている浩司(杉良太郎)は、その場で瀬川組の組員と乱闘になり、居合わせた哲が喧嘩をとめる。その後、サリイに秀の居場所を聞くが、彼女からは答えをはぐらかされてしまう。
その帰り、哲は健に襲われるが、危うく逃れた。健は、かつて哲が秀と共に潰した甲田組に頼まれてやったのである。哲を救ったのは安太郎(嵯峨善兵)という老人で、哲はその紹介で波止場作業員として働き始める。安太郎はある日、家出した息子浩司を見て追いかけたが、クレーンの荷箱が崩れて下敷になった。哲は責任者の瀬川一家に乗り込むと慰謝料を請求し、安太郎の入院費にあてた。哲はその頃、節子(橘和子)という美しい娘と知り合ったが、節子の兄信次の写真を見て、それが秀であることを知る。
浩司は踊り子サリイに惚れ、サリイを好きな瀬川一家の浅吉と争っていた。そして、今では賭博で二百万の借金をこしらえて瀬川(金子信雄)に縛られていた。哲はサリイと仲良くして見せて、浩司をあきらめさせ、また、瀬川に身売りをして浩司の借金を払い、安太郎の許に帰すのだが…。
約1ヶ月ぶりの更新でございます。『東京流れ者』の感想が書かれてないのに(鑑賞済みなのですがw)、『続 東京流れ者』の感想を書いているのは、当ブログならでは、です(`・ω・´)
新しい(というか未見の古い映画w)映画を全然観れていないこともあり、鑑賞済みの輝雄さんのご出演作品の中でまだ感想を書いていなかった本作について、備忘録でございます。ちなみに、本作は『大悪党作戦』で松竹が宍戸錠さんを使わせてもらったので、そのお返しで輝雄さんが日活の映画に出た、ということだそうで。
有名な第1作をさておいての続編の感想なわけですが、1作目をしのぐ作品、というわけではなく、また、続とはいいながら、渡さんの役が”フェニックスの哲”という以外にはストーリーも作風もつながりはなくて、魅力的な要素がありながらそれを生かせていないように感じてしまった、なんだかもったいない作品でありました(´・ω・`)
さて、なぜそう感じたかというと・・・、なんとも言えない、甘っちょろい作風のせいでして。
渡さんは撮影当時はまだ24歳のようですが、演じるフェニックスの哲はするどい目つきや落ち着いた雰囲気はヤクザの裏の世界を散々見てきた男、という雰囲気を感じさせるには十分。1作目も含めて考えれば、信頼していた親分に裏切られたという悲しみみたいなものも背負っているよう。単身、瀬川の事務所へ乗り込むところとか、黒いスーツをビシっと着こなしていて、格好良く、存在感抜群。
輝雄さん演じる健は、連絡船の中で哲に声をかけるという『網走番外地 南国の対決』の南さんのごとし(ちなみに『~南国の対決』が66年8月13日公開、こちらが66年11月9日公開なので、これを意識して書かれた役なのかな。どんなスケジュール感で当時の映画が作られていたのか分からないのでなんともですが(^_^;))。一匹狼の殺し屋のクールな佇まい。そして、助演でいて主役をくうような魅力。
そして、裏の世界を生きるしかない者の心情を歌っているかのような歌詞と渡さんの低音の歌声が印象的な歌、「東京流れ者」。
渡哲也、吉田輝雄というアウトローないい男を演じられる俳優と、「東京流れ者」という印象深い歌を使いながら(映画のとは違う歌詞のものもあるんですね)、作品そのものはアウトローの命がけの生き様を十分に描けていない、不良青年の更生する姿をみせられているような青春映画のような印象で、“甘っちょろい”と感じたわけです。
そう感じた要因の第1は安太郎の息子・浩治。
踊り子に熱をあげて博打で借金をつくって返済のために父親の仇のような瀬川の船に乗る浩治。浩治がそんなあれた生活を送る原因となったのは節子に結婚を申し込んで断られたから、というのがきっかけ。なんだこぬるい理由はorzっていう。アウトローのシビアで暴力的な世界に、違和感のある生ぬるい不良青年・・・。その父親=安太郎に世話になっているので、哲は単身瀬川の元へ乗り込んだりして骨を折り、命をかける訳です。で、哲が命をかけるのがこの浩治のためなので、浩治の存在でストーリーが動くわけです。この辺が、アウトローの生き様というより、不良青年の甘えた生き方をみせられているような感じがしてしまう。
第2に、秀の妹・節子。
演じる橘和子さん(Wikipedia読んだら高橋一三の奥様なのですね!高橋さんの現役時代は知らないけどw)は透明感があってめっちゃかわいらしい女優さんだったのですが、まさに「兄の友人にあこがれる妹」とかいう青春映画っぽい設定(^_^;)サリイの松原千惠子さんとWヒロインのような扱いで、わりとしっかりとストーリーに絡んでくるので、この子供っぽい設定がやはり、『東京流れ者』というタイトルの映画に期待するものとは違う甘さ。
アクション部分も、輝雄さんを渡さんのライバル的な立ち位置で起用して制作しているのに、哲と健の一騎打ちの描かれ方も中途半端。ここから盛り上がる!?ってところで邪魔が入って、最後まで盛り上がりに欠けるし・・・モヤモヤ(石井監督の宍戸錠さんの扱いがひどかったからお返しですか!?と言いたくなりますwなぜこの役に吉田輝雄を起用したの?と言いたくなるような、なんとももったいない起用の仕方であります)。で、こういう部分もやはり、なんだか甘くて、ピリピリとしたアウトローの物語というより・・・と感じる要因だったり。
物語の最後は、続のほうも、やはり信じていた人物に裏切られる、という悲壮感ある結末なのですが、そこにいたる過程の物語が甘すぎて、その悲運も十分に感じとることができず、なんともやはり残念な感じ・・・。
というわけで、トップ画像に置いたスチル写真でも分かるように、高知城やはりまや橋、室戸岬、それによさこい祭りと、舞台となる高知の観光名所(ちなみに哲と節子が話しながら室戸岬→高知城と移動していて、どんだけ長い話してんねん!と思いましたがw)を楽しんだり、渡さんと輝雄さんの格好良さを楽しんだりしながらも、それらが生かしきれてないように思えて、微妙な気分になった鑑賞後。『東京流れ者』と同じく鈴木清順監督だったら、どんな面白い映画になっていたんだろう、なんて思いつつ。。。
【特別編!?】
↓の記事でもお名前を出させていただいた真壁さんから教えていただいたお話。
渡哲也さんは青学のご出身。松竹でご一緒で輝雄さんと仲の良かった竹脇無我さんが青学出身だったこともあり気にかけておられたようで、映画の撮影中に「竹脇さんはお元気ですか」 と尋ねてこられたとか。
そして、この4年後、渡瀬さんが『殺し屋人別帳』で輝雄さんと共演することが決まって、輝雄さんに電話をされ「弟をよろしくお願いします」という丁重なご挨拶があったそうで、輝雄さんも石原裕次郎さんが後継者として任せるだけのことはあると痛感されたそう。
こんなお話を伺い、渡哲也さんって、映画やドラマをはじめ、メディアを通して伝わるイメージ通り、人間的にも素晴らしい方だったのだなぁ、と思うのでありました!