T’s Line blog-映画についての備忘録-

兼業主婦が仕事と子育ての合間に見た映画などについて、さらにその合間に綴るブログです。ブログタイトルのTは好きな俳優さんのお名前のイニシャルがことごとく「T」なため。LineはTのうちのお一人の主演作、新東宝「地帯シリーズ」から拝借しています。。

阿佐ヶ谷に降りたった吉田輝雄がまさに“ハンサムタワー”だった話

 

12月3日(火)、石井輝男 キング・オブ・カルトの猛襲/ラピュタ阿佐ケ谷の特集に合わせ、吉田輝雄さんのトークショーがありました。今回は、その備忘録とその後に起きた、夢のようなお話のこと。

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ラピュタ阿佐ヶ谷でのトークショーの様子。カッコいい。

 

吉田輝雄ファンになってから、「この時がいつか来ますように」と思っていた、映画館で石井輝男特集が組まれる日(なぜって、それは吉田輝雄をスクリーンで観られるから!)。それがついにやってきました!これでもかってくらい石井作品が並んでいて、ずっと観てみたかった「日本ゼロ地帯 夜を狙え」や「大悪党作戦」だとか、DVDで鑑賞してスクリーンで観てみたいと思っていたたくさんの作品がラインナップされているではありませんか(輝男じゃなくて輝雄基準)ヾ(o´∀`o)ノ

 

それだけですごく嬉しかったのに、なんとー!!輝雄さんがこの特集にあわせてトークショーに出てくださる(≧∇≦*)(めっちゃカッコいい作品がたくさんあるのに、よりによって「温泉あんま芸者」の上映後なんですがw) 現在、大阪・高槻市にお住まいということはインタビューを読んで存じ上げていましたので、東京でトークショーに出られることは難しい。。。今回も「出演作品のスタッフとかキャストの方のお話が聞けたらいいな」なんて思っていたのに…盆と正月がいっぺんに来たってやつですよ!みなさん!で、ラピュタ阿佐ヶ谷では石井輝男特集になる前のラブコメ特集の最終週に「泣いて笑った花嫁」と「今年の恋」がかかることもあって、私にとっては11月から年末にかけて(年明けも)阿佐ヶ谷は“吉田輝雄祭り”状態。

 

輝雄さんがいらっしゃると分かって、会社の仲の良い同僚さんにその報告をしたら、「そりゃ、お花用意して渡さなきゃ!」という、まったく考えてもなかった提案w 私は大好きなものをアツく追いかけるオタク気質ですが、遠巻きにそっと眺められたら満足、という人間。同僚さんに背中を押され、大阪に戻られるときにお荷物にならないものにしようと、「泣いて笑った花嫁」をラピュタで鑑賞した帰り、プレゼントを購入。準備万端!あと用意するものは渡す勇気だけ(笑)そこで、「サインをいただいたお礼をするのだ!」と自分に言い聞かせ、12月3日の朝ラピュタ阿佐ヶ谷に向かいました。お礼って、どういうことかっていうと…

kinakossu.hateblo.jp

 

 

当日、輝雄さんを東京駅にお迎えに行かれるのは今回の特集の監修をされてトークイベントで司会もされる下村健さんと、輝雄さんのかねてからのお知り合いで、上で引用した記事にも登場されるMKBさんこと、真壁邦夫さん。真壁さんはこんなご本を書かれている方。「海の上のピアニスト」とかめっちゃ好きだ!パンフも買ったわ。

エンニオ・モリコーネ映画大全

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真壁さんとは前日にメールをさせていただいていて、お迎えに行かれることをうかがい、そして、「プレゼントをお渡ししたくて前のほうに座りたいけど、いつから並べばチケットが取れるのか悩んでますσ(^_^;」なんてメールを送っていました。

 

チケット配布予定時刻(10時15分)の一時間ほど前に着いたのですが、すでに列ができています。人が多いと通路が客席になっちゃうラピュタ阿佐ヶ谷。前の席座れなかったら渡せないやん…orz 出かける直前に「デートにでも行くんですか⁉」って勢いでネックレス選ぶのに時間がかかり、乗ろうと思っていたバスにも、乗ろうと思っていた電車にも乗れなくて、到着時間が予定より遅れてしまっていたので、「ネックレスに悩んだ結果、目的を達成できないかもしれないとかアホか私はorz」とかなりながら14時10分の「温泉あんま芸者」の入場が開始されるのを1Fのロビーで待ちます(上映スペースは2階)。 人が多くて、受付でチケット買えなかった人がいたり、通路に席ができるのは確定的。そこには、長いこと旧作邦画を観ていて、知識も豊富そうな方々がたくさん。にわかファンの私は場違いなような気持ち…で、また、そんなところでプレゼントを手渡そうとしているとかなんと生意気な、とか思ったり(^_^;) とかなんとか考えていたら番号が呼ばれ、最前列、左奥(上手側)の席に座れることに。ラピュタは客席最前列からスクリーンまでが平でステージのようにはなっていないので、この斜め前あたりに輝雄さんが座られるに違いない!と映画どころではなく(笑)気もそぞろなうちに映画は終了。そしてー!!輝雄さんご登場♪長身のスラリとした立ち姿、黒のスーツに赤のネクタイの組み合わせはめっちゃオシャレでスマートで(TOP画像参照)、まさに”本場仕立てのスーツをさらりと着こなすハンサム”吉岡さん@「ゴールドアイ」がまんまそこにいるのであります!(ここまで長いw)

 

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はい、でこっからいよいよトークショーについてです(`・∀・´)

平日昼間の回にラピュタの会場を通路席までいっぱいにしてるのに、「私のようなもののために集まっていただいて」と挨拶され、謙虚に話される姿が素敵。

お話は「温泉あんま芸者」についてはあまり覚えてないっていうことから始まりw新東宝でのデビューからの石井監督との思い出、松竹でご一緒されていた名匠とのこと、東映に移ってからのこと、高倉健さんや江利チエミさんとの思い出話とか、貴重なお話を聞かせていただきました。軽妙洒脱で、関西人らしくユーモアを交えながらのトーク。本で読んで知っていたことも、目の前のご本人から聴けるとなると、またすごい幸せ(*´ω`*)さてさて、お話しされた内容はというと、

 

【新東宝

・モデルのバイトをしていたら(本職は営業マン)ハンサムタワーズの最後の一人として、大蔵社長のスカウト(もっというと、奥様が気に入ったらしい)で決まったこと。もともと俳優をやる気はなかった。

・石井作品に出ることになったのは石井監督がハンサムタワーズの中で輝雄さんを指名したから。(輝雄さんはそのお話を直接されたことはなかったそうで、「という風に聞いています」とお話されていましたが、ホストの下村さんは石井監督から直接そのことをうかがっていたそうです。)

・新東宝でたくさん石井監督と映画撮ったけど、怖かったこと以外覚えてない。「よしだぁ!!」ってめっちゃ怒られた。「女体渦巻島」(初主演作&初石井作品)を撮っているときに何度もやめようと思ったけど、会社が宣伝して「明星」とか「平凡」とかに載っちゃうからやめらるにやめられないヽ(;;)ノ(頑張ってくれてありがとう、当時の輝雄さん)

・関西なまりがひどいので、俳優座の先生を専属でつけてもらって練習していた

・大蔵社長はケチな人で、ハンサムタワーズ4人を飲みに連れて行ってくれたりするんだけど、渡されるお小遣いは一人500円(笑)で奥様がそっと、10万円くらい出してくれる。当時は銀座に4人で飲みに行っても2,3万あれば十分だったそう。

・新東宝がなくなるというときに石井監督がすでに東映に移られていて、輝雄さんも東映に誘われ、大川社長にも会い、九分九厘決まっていたところ、松竹から木下監督で第1回の作品を撮るよと誘われ、お給料もいいし、木下恵介監督の作品に出てみたいと思って松竹に移籍したこと。石井監督にそのことを伝えたらめっちゃ怒られた(怒られるアゲイン)

・大蔵社長は組合から退陣要求された際に、「お前らが何を言っても辞めないが、役者に言われたら辞めてやる」と言ったそう。そこで組合から頼まれて俳優さんたちが大蔵社長のところに行くことに。輝雄さんも行ったけれど、大蔵社長にお世話になっているのでとても辛かった。そして、最後に社長に残るように言われ、「これからが大変だぞ。何かあったら俺のところに来い」と言って下さったそう(自分にとって得なほう―この場合は組合側につくとだと思う―に流されて行くんじゃなくて、大蔵社長とのご縁を大事にされて悩まれる―新人なわけですから、流れに逆らうのってすごい大変だと思うんです―というところが、この後の石井監督のこととかにも通じて、輝雄さんの純粋さを感じます)

 

【松竹】

・木下監督がそっちのほうの(^◇^;)趣味をお持ちらしいということで。。。「永遠の人」に決まっていたんだけど(高峰秀子さんの次男役ね)、医大にいる友達に頼んで仮病を使って1か月半、大阪に引き込もる(笑)

・でも、木下作品に出ないと他の映画にも出られない…(1回目は木下監督のお弟子さん、川頭義郎監督作品でお茶を濁すw)。会社にも医者と看護婦をつけるから出てこい、と言われて出てきた。そして何かあったらお断りしようと(笑)覚悟を決めて「今年の恋」へ出演。撮影中は休憩で食堂に移動するときとか、木下監督と手をつないでいたそうですw(イケメン好きすぎだろ)

・ハンサムタワーズがみんな松竹に移籍していたのは、撮影所が大船で遠くて心細かったので、「文太と高宮君も一緒でいいですか」って言ったらいいよ、ということになったらしい。なお、寺島さんはすでにテレビの仕事などもしていて、一緒に移籍していたわけではないそう。

小津安二郎監督にも可愛がってもらい、「秋刀魚の味」の撮影中にお天気が悪くて撮影が中止になったときに小津監督に誘われて新橋の天ぷら屋さんで二人だけで食事をしに行ったことがあった。その時に次回作として準備していた「大根と人参」にキャスティングしていることを小津監督から直接言われた(私はこの「大根と人参」に輝雄さんがキャスティングされていることを知った時からその経緯が気になっていたのでー「秋刀魚の味」の備忘録にもつらつら書いてますw―その話が聞けてめちゃめちゃうれしかったです!小津監督は「秋刀魚の味」の撮影前の記者発表で輝雄さんの映画を見たことがない、とお話されています。きっと撮影していく中で、変に色がついてなくて、小津カラーにそまっていく輝雄さんを気に入られたんだろうな、と思ったのですが、まさにその撮影途中で決まっていたというのに感動。小津監督がもう少し生きて映画を撮っておられたら、まったく違う系統の作品で活躍されたのかもしれません)

・石井監督が松竹で映画を撮ることになって、電話をもらい、そしたら新東宝時代は「吉田!」って呼ばれてたのに「輝雄ちゃん」になったこと(笑)

 ・竹脇無我さん主演で「日本ゼロ地帯 夜を狙え」を撮ることになり、無我さんは石井監督の怖いという評判は知っていたので、輝雄さんにどんな監督なのか聞いてきた。輝雄さんは「怖い人だ」と脅していたとかwで、心配な無我さんは輝雄さんのお宅から撮影に通われていたそう(笑)。ところが当の石井監督は輝雄さんの(デビューしたばかりの

)時は「吉田!」って感じだったのに、竹脇無我さんのことは「無我ちゃん」ってよんでいた。

江利チエミさんとの共演が三作品ありますが、チエミさんが忙しいので夜遅い撮影が多かったそう。それで高倉健さんがよくチエミさんに差し入れをもってきていて、輝雄さんの分まで一緒に持ってきてくれていたそう。

・チエミさんとは撮影後に飲みに行くことがあって、誘われて行くとそこには美空ひばりさんと清川虹子さん(すごっ)。輝雄さんが健さんも呼ぼう、というと「ダーリンは飲めないから😞」と言うんだけど、無理矢理呼んだらカウンターの隅のほうで健さんはコーヒー飲んでた(笑)

(あと、輝雄さんは高倉健さんのことを“健ちゃん”とか“健坊”とかお話しされてて、なんかお二人の間のステキな関係が感じられてよかったです(*´ω`*))

 

東映

・松竹で石井監督と撮ったあと、「網走番外地に出てよ」と言われる。「大雪原の対決」と「決斗零下30度」は真冬の北海道での撮影。だれもどのくらい寒いのか教えてくれなくて、防寒対策もまともにできず、パンツの上にズボン1枚で撮影(革パンとかですやん、あれ。めっちゃ寒いって)。松竹でチエミさんと共演していた時のこともあって、健さんにも歓迎された。

・「決着」と「続・決着」はどう見ても輝雄さんが主演で(笑)、梅宮辰夫も現場でそれは感じていたらしい。

・「異常性愛路線」の作品についてはこれに出ることに周囲の方から「役者人生終わるぞ」と言われたこともあったし、「こういう映画に出るならファンをやめます」とお手紙をもらったりしたこと。

・俊藤プロデューサーの作品で唯一出ている「任侠魚河岸の石松」で演じた役(直さん!めちゃめちゃカッコよくて好き)はもともとは鶴田浩二さんがやる役だったとのこと。鶴田さんがほかの作品で出られなくなってしまい、テレビの「愛染かつら」で共演した長内美那子さんを恋人役にして輝雄さんの役に書き換えられた。

・「任侠魚河岸の石松」を観た俊藤さんに京都のほうに来ないかと誘われ、当時の中目黒のご自宅に俊藤さんが何度も通われて、「人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊」(1968年のオールスターのお正月映画)のオファーを受けたけど、石井監督の次回作が決まっていて、オファーを受けられなかった(「ここでほんとに悩んで人生をかけたけど、かけるとこ間違ったかもしれないですね」と冗談交じりにお話しされていましたが、ほんと、ここで違うほうに人生かけていたら輝雄さんがスクリーンで活躍する姿がもっともっと見れたのかも。。。)

・「徳川女系図」のあとも「次も頼むわ」となって、もうこういう映画は撮らないだろうと思っていたのにずっと”異常性愛路線”が続いてしまったこと。周囲からの忠告もあり、石井監督をきることも何度も考えたけど、石井監督が自分を頼りにしてるのも感じていたし、初めて主演で撮っていただいた恩を返すのはこれだろうという思いがあって、切ることができなかった(なんちゅういい人やねん!)

・京都撮影所では石井組だというだけで風当たりが強く、大部屋俳優さんですら無視してくるような状態だった。

・やっとまともな作品を撮るということで「殺し屋人別帳」のオファーをされたが、異常性愛路線で主役を演じ続けたのに、まともな作品で脇に回されたので「今までのことは何だったんだろう」となって(とはいえ、この役もかっこよくて、渡瀬さんじゃなくて輝雄さんが主役みたいな映画なんですけど)、オファーされた時点で一旦は断っていた。石井監督から役を書いているからとあらためてお願いされて、「これ一本だけです」と出演した。

(散々「異常性愛路線」に付き合ったのにまともな作品をまた撮るようになってから縁をきることになる、と言う、輝雄さんの素直さと言うか純粋さというか。そういうところが石井監督や小津監督を引きつけたのかな、とか思ったりします。東映のこの辺のお話は聞いてて切なかったです。) 

 

【無頼平野】

そらから25年たって、石井監督から電話があって「無頼平野」のオファーをされる。輝雄さんをイメージして役(リュウ)を書き、音楽も決めているから、「輝雄ちゃんじゃないとできないからどうしてもやってほしい」と(「口が上手いんですよ」なんておっしゃってました(^_^))。

 

最後に石井監督とのことを振り返ってと問われた輝雄さんは、石井監督への感謝を述べ、向こうでもまた一緒に映画を撮りたいとおっしゃっていました。東映での色々な出来事をこえてもなお、石井監督を恩師として慕うその真摯なお人柄が伝わってきて、外も中もまさにハンサムタワー!目の前でみたダンディな吉田輝雄のハンサムさにフワフワした気分のまま、トークショーは終わったのでした!あ、最後にこれ以上ないくらいの勇気出してプレゼントを(無言で(^◇^;))渡しました。何か喋れ、お前!

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…が、話はこれで終わらなくて!フワフワした気分どころかそのままどこかへ飛んでいきそになる出来事が待っていました(〃ω〃)

 

トークショーが終わって外に出てくると、サイン色紙をもって待っている方たちが。私は次の回の上映(「徳川女系図」(^◇^;))は飛ばしてその次の「日本ゼロ地帯 夜を狙え」を観て帰る予定。いつもなら阿佐ヶ谷駅のほうで時間を潰すのですが、「待ってたらサインもらえる!?」と(過去のトークイベントでサイン会があったことを知って、家にあるものから厳選して「大悪党作戦」のスチル写真を持ってきていたw)、隅のほうで一人座っていました。そしたら、誰かに名前を呼ばれ、「???」となって呼ばれたほうに行くと、下村さんと初めましての男性。真壁さんだ!真壁さんにご挨拶できて良かったなぁ、とか、下村さんがそこにいるよー!すごーい!とか思ってたら(笑)エレベーターへ案内されます。

 

この時に何が起きてるのか理解して、エレベーターで上のフロアに移動してる短い間、ドキドキとフワフワがやってきて足の力が抜けそう。着いたのは普段はレストラン「山猫軒」として営業している場所。そこの、8人ほどが座れそうなテーブル席に…輝雄さんがいるー!!私は輝雄さんの隣の席に座るように促され、あまりのことに泣きそうになって、ウルウルしながら隣に座らせていただきました。誰かに会って、嬉しくて胸いっぱいで泣きそうになるっていうのは生まれて初めての体験。

 

輝雄さんは突然やってきた私に、プレゼントのこと、このブログのことなどを話しかけてくださり、その場に居やすくなるように気遣いをしてくださいました。ラピュタまで1時間ほどかけてきたとお話したときは「遠くから大変だったね」と言ってくださったり(ご自分は大阪から来てるのに!)。その立ち居振る舞いのすべてがスマートで、こういう気遣いを当たり前のようにされている方なんだなぁ、というのを感じます。外も中もかっこよくて、まさにハンサムタワー(*>ω<*)(2回目)。

 

サイン会の準備が整って輝雄さんが1階に降りられることになったのですが、降りる前にその場でサインをしていただき(*>ω<*)さらに一緒のエレベーターで1階へ。めっちゃ近いよぉ!背高いよぉ!また、足元の靴までオシャレでスキがなくて、まさにハンサムタワー(〃ω〃)(3回目)。

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サインしていただいた「大悪党作戦」のスチル写真。家にあるものから1枚だけ選んでもっていきました。

 

サイン会の間は端っこから様子を眺め、サインしながらお話しされるファンの方をみながら、もっと前から輝雄さんのファンの方がここにたくさんいるのに、私がこんなふうにお話しさせてもらっいていいんだろうか!?とかなってました。

皆さんへのサインが終わられたあと、一緒にいた輝雄さんのお知り合いの方に「写真撮ってもらいますか?」と言っていただき、そこから撮影タイム。側でみていた方にも「君たちも撮ろう」と声をかけられてそれぞれツーショットで写真を撮られ、優しい!カッコいい!で、まさにハンサムタワー!!(4回目)

 

握手をしていただき、サインももらい、写真まで撮っていただいて(さりげなく肩に手をかけてくださって、めっちゃカッコいいの😆)、もう胸いっぱいだよぉ!ありがとうございましたー!!って思っていたら、撮影会(!?)が終わったあと、上のフロアへ戻るエレベーターにまた促されて、もう、(゜-゜*;)オロオロ(;*゜-゜)え?いいんですか??ってなりますやん。だって、今日はじめてご本人のトークイベントに参加したとかいうただのファンですよ。

 

その後、タクシーが来るまで、またお隣に座らせていただいて(〃ω〃)お話しを聴いていました。文太さんとの思い出や、亡くなる前の電話でお話されたこととか(さらりと話されたこのお話がステキで、なんか私みたいなモノがここに書いちゃいけない気がするので書かずに心にしまっておきます。すみませんwきっといつか、下村健さんがご本に書かれるか、トークイベントの機会がまたあったら、引き出してくださるはずー!)。

 

その後、ラピュタの前にタクシーがきたので、エレベーターを降りてラピュタのビルの外へ。最初から最後までとにかくステキで、映画やドラマのイメージそのままだった輝雄さん。タクシーに乗られるところまでお見送りさせていただき(真壁さんとラピュタ阿佐ヶ谷石井館長と一緒に!)、「ハンサムタワーはほんとに“ハンサムタワー”だったよぉ(≧∇≦*)」(5回目)という印象を残し、大阪に帰って行かれました。

 

で、その後も夢心地で、「日本ゼロ地帯 夜を狙え」の輝雄さんを観ながらフワフワ。その後の帰りの電車もまだフワフワ。次の日は例の同僚さんにランチで思いっきり話してデレデレ(!?)し、そして今これを書きながらまたあの時の感激を思い出して泣きそうになってます(〃▽〃)

 

そうそう、最後に1個だけ、聞いてみたかったことを勇気を出して聞きました(妄想のシミュレーションでは聞いてみたいことは山ほどあったんだけどw)!「今年の恋」で美加子(岡田茉莉子さん)と二人、車で弟たちを追いかけて熱海へ向かう途中、思い直して銀座に戻る場面。二人で車に乗っているシーンはすごく楽しそうだけど、音楽がかぶさっていて何を話しているかは分かりません。「この時はセリフがあったのですか?」と伺ったところ、そこはセリフはなくて自由に会話していたよ、とのこと。それであんなにナチュラルに楽しそうな雰囲気なのか(っ´ω`c)と、そんなお話を直接きくことができて、これはやっぱり「夢のよう」とかじゃなくて夢なのかもしれない、と思うのでありました(笑)

 

 

(なお、これが起きたのはパパが息子の保育園のお迎えを早退して引き受けてくれたおかげで、オタな嫁のフォローをしてくれるパパにはほんと感謝なのでした。お迎えあったらトークショーのあと速攻で帰ってたもんな(^_^;))