T’s Line blog-映画についての備忘録-

兼業主婦が仕事と子育ての合間に見た映画などについて、さらにその合間に綴るブログです。ブログタイトルのTは好きな俳優さんのお名前のイニシャルがことごとく「T」なため。LineはTのうちのお一人の主演作、新東宝「地帯シリーズ」から拝借しています。。

渋谷実監督「気違い部落」

“気違い”のようで、どこにでも潜んでいる“普通の”物語。

 

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【映画についての備忘録その61】

渋谷実監督×伊藤雄之助主演「気違い部落」(1957年)

 

この国のとある場所にある小さな村―“気違い部落”。
貧乏な小さな村で色と欲をむき出しにした農民生活が“気違い沙汰”にみえるのでこう呼んでいる。
村は機屋の社長である良介(山形勲)を親方としていて、この男を中心に集落は統一されている。親方の権力は絶対で、集落の掟は国の法律より優先することさえあった。しかし、頑固者の鉄次(伊藤雄之助)は、博打に熱をあげ、工員の若い女性たちに次々手を出すような良介を親方とするのを良しとしない。鉄とその女房のお秋(淡島千景)は簡単には親方の指示に従わず、しばしば反目しあっていた。

一方、二人の娘であるお光(水野久美)と良介の息子である次郎(石浜朗)は恋仲で、村を嫌って東京へ出た次郎も、お光に会うために時折村へと帰ってくるのだった。

そんなある日、村に割りあてられた税金の支払いをめぐって、良介と鉄が大ゲンカとなり、これをきっかけに鉄の家族は村八分にあう。さらに悪いことに光が肺病となってしまう。一向に良くならない光を心配した次郎。村の駐在(伴淳三郎)に光のことを頼み、駐在は鉄に特効薬を安く世話してやる。この薬が効いて光はみるみるうちに元気になっていくのだったが…。

 

 

シネマヴェーラ渋谷の「名脇役列伝IV 伊藤雄之助生誕百年記念 怪優対決 伊藤雄之助vs西村晃」にて鑑賞。午後休取って行ってきました(仕事より映画w)。初・渋谷実監督ですが、監督より何より、まぁ、この特集のタイトルとそして特集の中でも強烈なこの映画タイトルが気になって行ってきちゃったわけですw

 

午後休でタイトなスケジュールで(笑)5分くらい前に着く予定だったので、朝、仕事の前におにぎりとパンを調達しておき、着いたら速攻で食べて鑑賞開始!これで万全!は乗ったバスの系統を間違えてしまうというポカで計画倒れ(^◇^;)最初の3分ほどが過ぎてから到着し、劇場の中に入っても暗い中を空いてる席を探して恐る恐る移動したのでσ(^_^;落ち着いて観られたのは5分は過ぎたくらいだったでしょうかorz小さく屈んで移動はしたものの、鑑賞の邪魔になってしまった方もいらしたと思いますので、大変申し訳ありません(>_<)

席に着いたら着いたでビニール袋ガサガサやるわけにはいかないし、と、空腹を抱えたまま鑑賞(笑)しかも、これ、旧作なのに2時間越え(タイトルだけしか情報入れてなかったので、すぐ終わるだろうと思ったら長いの!!)!と、まぁ、てんやわんやで鑑賞したんですが、映画そのものは、腹ペコだとかそういうこと忘れるくらい(ここを言うための長い前置きw)に面白く、タイトルの奇抜さに負けない、いろんな意味で楽しめる映画でした。

ひたすら笑い通しの前半と、シリアスに家族愛とか土地への愛というか、鉄に視点をあわせたドラマ部分とがうまく話が流れて、そして、こちらもその突然の変化にしらけるでもなく、真剣に見入っていました。

 

前半はまずもって、構成が面白くて、村の人たちの生活を森繫久彌さんのナレーションで、まるでドキュメンタリーのように(で、これがすごく笑うんですけど)紹介していきます。貧しいゆえの強欲ぶり、くだらない井戸端会議の内容、まぁ、とにかく笑えます。

野良犬が迷い込むと貴重なタンパク源!と食糧にしてしまうらしいのですが(笑)薬きょうを餌のようにまいておびき寄せw近づいたところをいざ!と思ったら後ろで見ていたほかの村人が殴り殺してもっていっちゃう。しかも、そのただで手に入れた犬の肉を市場より高値で売り渡す(笑)(昔は貧しいところはほんとに犬とか食べてたんだろうか!?)犬の肉の臭みを取る方法についのナレーションによる解説付きw

保険の勧誘員に「奥様」と呼ばれていい気になった良介の女房(どう見ても”奥様”って風情じゃないわけですが😂)が、工場で働く女の子たちに”奥様”と呼ぶように強要したり。

賭博が唯一の娯楽なので、面倒くさいことにならないように村の駐在さんを味方にしようと酒やバイクで手懐けたり(この駐在さん、初登場の場面でのナレーションが「おや、バンジュンに似てますね」とか入っててこれにもクスリw)。

と、ここに書き出したのは少しだけで、森繁さんの淡々とした、でもどこかコミカルなナレーションとセットでほんとにずーっと笑っていました。

 

ところが後半、光が肺病に倒れたあたりから、雰囲気が変わってきて、シリアスなドラマに。

 

鉄と良介の対立が悪化して大喧嘩。鉄の家は村八分に。そして、そんな状況で光が肺病になり、そのことを村の人間に知られないようにと、鉄は医者に見せることをためらい(光が動けないので医者を家に呼ぶことになるため)、そのかわり、肺病に聞くという鶯を手に入れようと必死に森を探し回ります。このシーンは、鉄の娘を思う愛情を感じる反面、村人への面子みたいなものが優先してしまう。村社会というよりも日本的と言ったほうがいいのかな、もう、今では古い考え(とは言え、こういう古いものに煩わされてる人もまだ多くいるとは思うのですが)に思えるけれど、確実に存在していた、他人の目からどう見えるのかを極度に気にするというあり方。そういった古いものとの訣別をする存在として、良介の息子・次郎がいるわけですが、次郎の先進さ(今なら普通の感覚だけど)も、因習というか、昔から続く何かの強固さのまえではなかなかその壁を破ることができない。

 

光は駐在さんが安く手配してくれた特効薬(注射)で一時、劇的に良くなっていきます。しかし、それも束の間、“自分の責任だ”と鉄が激しく自身を責める行為により命を落とすことになります。娘を自分のせいで亡くしてしまったこと、村八分で弔いの手伝いもないこと(村八分でも葬式の手伝いはする、というのが普通)。それらをぐっと耐えたけれど、怒りが爆発し、猟銃を手にして良介を殺しに行くと言う鉄を妻と息子が泣きながら、必死で止める場面。鉄のやらかしたことに、それを責めるのではなく、「百姓ってものを分からずに安く売ってしまった俺が悪いんだ」という駐在さん。

 

この後半は悲しいとか泣けるとかではなくて、痛いとかツライという表現があいます。なぜそう感じたのか、自分の中でまだ答えは出ないのですが、”備忘録”として自分のなかで大事なこととして書き残しておきたいと思います。

 

そして、最後、鉄が出す結論にいたって、この映画を通して感じていたことは、鉄の台詞を通して、それが明確に答えとして提示されます。部落(村)の閉鎖的な部分を笑いつつ、この話は日本であればどこにでもある、日本的なものなのだぞ、ということ。そして、それは映画にきちんと表現されていて、都会の人が田舎をさげすみながら作った上から目線の物語という感じはありませんでした。

この感覚、都会で生まれ育った人には伝わりにくいかもしれませんが、物語として取り上げたり、あるいはマスメディアやSNSにあふれる情報の中でも、地方を切り捨てたり下に見るような風潮を地方出身の私は感じることがあります(一票の格差と合区の問題のニュースにおける温度差とか)。あるいはここで感想を書いた「100万人の娘たち」でも、東京の人が地方を古い習慣にとらわれる場所として描いている感じがありました。おそらく、これは今に始まったことではなくて、昔からある感覚でしょう。しかし、この映画は、こんな強烈なタイトルなのに、そういうものを感じることはなく、それはつまり、日本のどこか、ではなくてどこにでもある物語として、その映画の視点がしっかりとおかれ、表現されていた、ということだったのだと思います。

 

と、いうわけで、何だか書きたいことが多くて、とっちらかった備忘録となりましたがσ(^_^;タイトなスケジュールでも観に行ってきた甲斐があった映画。 

伊藤雄之助さんは今回初めてそのお名前を知った俳優さんでしたが、強烈なインパクト(映画のあとに「何かで観たことがあるなぁ」と思い返していたらNHKアーカイブスでドラマ「新・坊ちゃん」を観ていた時にマドンナの父親の地元の有力者を演じていて、こちらも存在感たっぷりでした)。淡島千景さんも水野久美さんもモンペ姿でもめちゃめちゃ美しいし(淡島千景さんなんてキレイ過ぎて、“ほんとは良家の子女なんだけど鉄に惚れて駆け落ちした”とかいう設定になってるんじゃないかとか思ってしまうほどでした(笑))、石浜朗さんはさわやか好青年。「伊勢佐木町ブルース」ではウーンッ(´-ω-`)となってしまったバンジュンさんでしたが、今作では笑いの前半部分とシリアスな後半部分とをしっかりとつなぐ、まさに名コメディアンであったことを感じましたし、個性が光る俳優さんたちにしっかりと楽しませてもらいました。そして喜劇映画が得意だったという渋谷監督の作品を観ることができて、そして大いに笑い、心動かされ、この監督が小津監督の「大根と人参」をどんな風に作品にしたのかにも興味がわいたり。と、また新しい旧作邦画の魅力を見せてもらったなぁ、と感じ、旧作邦画を観る上であらたな楽しみをえることができた次第。

 

タイトルのせいでソフト化やテレビ放送が難しいとか言われているそうですが、そういうことのせいで鑑賞しづらい作品になってしまうのは勿体ないなぁ・・・と思うのでした。