木下恵介監督「楢山節考」
観る”時”を間違える。
【映画についての備忘録その85】
信州の山奥にある村。貧しいこの村では、年寄りは70歳になると「楢山まいり」に行くのが習わしである。
69歳のおりん(田中絹代)も年が明ければすぐにでも楢山まいりをするつもりである。山へ行く時の支度は整えてある。心配事だった息子・辰平(高橋貞二)の後妻も無事見つかった。後妻の玉やん(望月優子)は気のいい嫁で安心して山へ行けると思うのであった。
ただ、おりんには、あともう一つ済ませることがあった。自分の丈夫な歯を臼で砕くこと―食料の乏しいこの村では老いても揃っている歯は恥かしいことであったのだ。
しかし、孝行息子の辰平は、母の「楢山まいり」に気が進まず、少しでもその日を引き延ばしたい気持だった。
そんな折、村の雨屋が盗みを働く。子供が12人。食べるものに困った故だった。長男のけさ吉が近所の娘・松やんと夫婦となり、松やんのおなかには子がおり、食べ物もどんどん不足していく。ねずみっ子(曾孫)が産まれればますます食べ物がなくなってしまう。
辰平は楢山まいりに気が進まなかったが食料不足が深刻化してきたため、そうもいかなくなってきた。雑巾で顔を隠し寝転びながら、辰平は楢山まいりの覚悟を決める。雑巾で顔を隠してなく息子の、その雑巾をとり、顔を見つめながら、おりんは家計を考え、今年中に出発することを決めるのだった―。
衛星劇場で放送されたものを録画して視聴。久しぶりの木下恵介監督作品です。「風前の灯」を観て以来なので1年半ぶりくらいかな。
楢山節考=姥捨て山の話、といのは知っていて、たしか高校の時に演劇部の県大会でほかの高校が上演していたのを観た記憶(どういう状況w)。息子が母親を背負って険しい山を登っていく、なんとなく静かな映画であろうという感じで鑑賞をはじめました。
と、思っていたらまずはのっけから変化球で面喰いました。歌舞伎のような緞帳と黒子の拍子木をうつ姿から始まって、演劇を舞台セットごとスクリーンにもってきているよう。そして浪曲風(?)の音楽と一緒にストーリーが展開され、ちょっと映画に入り込むのに苦労…。
しかし、そんなハンデ(!?)を背負いつつも、俳優さんたちの演技は素晴らしくて、そういう演出的な技巧は徐々にその存在感を俳優陣に奪われていきます。
中でも田中絹代さんのおりんに段々と引き込まれ、望月優子さんの玉やんとの、義理の関係をこえた母娘二人が素晴らしい。
村の祭りの日に、一人山を越えて嫁入りしてきた玉やん。初めてやってきて玉やんに、年に一度の”白萩様”を茶碗いっぱいによそい、それを美味しそうに頬張る玉やんと、玉やんを嬉しそうに見つめるおりん。辰平を呼びに行く、としか言わないおりんですが、その表情に、一瞬で培われた玉やんへの信頼や愛情といった気持ちがあふれ出ています。
ご飯をおいしそうに食べているのを見ているのが幸せ、という親が我が子に抱く、ごくありふれた、だけどとても幸せな気持ちになる日常の風景。そこにおりんの気持ちがこもっていて、嫁ーというより、本当に我が子のように思って迎えているという感じが伝わってきます。それがまた、年に一度の白米が食べられる日。その特別な日に特別なものを惜しげもなくふるまう。そして、その直後に自分の歯を折る、というのが、おりんが、玉やんを家族として迎え入れる、その最上級の気持ちの表れ。つまりは、貧しい家族の少ない食べ物は玉やんのために、そして、自分は楢山様へ行こう。台詞として多くを語らないシーンで、二人の女優さんから感じられる母娘としての信頼、愛情がとても伝わってきます。
この二人の名演が圧倒的すぎて、ちょっと霞んでしまう(^_^;)高橋貞二さんの辰平ですが、辰平の母への情愛も深く感じることができます。おりんの歯を茶化す息子や村の人間に本気で怒り、70を過ぎても楢山へ行くのを嫌がっている、隣家の又やん(宮口精二)を邪険にして、無理やり連れて行こうとする倅(伊藤雄之助)への接し方。又やんへ見せる優しさ。他人である又やんの、その倅へ本気で怒る姿は、辰平がそれだけ親を大事だと思っているから。口数の多くない辰平ですが、高橋さんの演技で、これまた彼の静かで優しく、強い愛、それ故の楢山まいりへの苦悩を感じます。
(又やんのみじめさや倅の人でなしぶりも、さすがの名優お二人。)
と、そんな映画につけた見出しがなんでこれなのかというと、「楢山節考」が命と死に向き合う物語だから。形をかえて社会全体が辰平のような状況におかれていて、それが絵空事じゃなくて現実で起きていて、物語の重さが何倍にもなってこちらにせまってきたように思え。今この物語を受け取るには私の心がキャパ不足。
次は楽しい映画、勇気をもらえる映画を観て元気をもらおう、と思ったのでありました。
しかし、木下恵介監督、みるたびに全く違う作風で、毎度毎度驚くのでありました。