T’s Line blog-映画についての備忘録-

兼業主婦が仕事と子育ての合間に見た映画などについて、さらにその合間に綴るブログです。ブログタイトルのTは好きな俳優さんのお名前のイニシャルがことごとく「T」なため。LineはTのうちのお一人の主演作、新東宝「地帯シリーズ」から拝借しています。。

渡辺邦男監督「明治天皇と日露大戦争」

東宝の必読書(!?) 大作の熱意と時代の求めたもの。

 

明治天皇と日露大戦争 [DVD]

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【映画についての備忘録その56】渡辺邦男監督×嵐寛寿郎主演「明治天皇と日露大戦争
」(1957年)

 

1904年ーロシアの極東侵略が進むなか、日本は明治天皇嵐寛寿郎)の意志のもと、開戦の道をさけ外交交渉での解決を模索する。しかし、一向に交渉をすすめる態度を見せないロシアに、日本国内も開戦の機運が高まる。そして、再交渉を打診するも回答のないロシアに、ついに明治天皇は開戦を決意。日露戦争が開戦される―

 

国立映画アーカイブ初上陸。新東宝という会社に興味をもってしまったからにはいつかは観ておかねばなるまい!と思っていた本作。去年上映されたときには観に行けなかったのですが、アンコール上映がされるということで、息子の習い事はパパにお願いして、行ってきました(その後に資料室&図書室にも寄りました(・∀・))!

 

お話の詳細は、日露戦争の開戦から終戦までを追ったものなので、あらためて書くまでもないので端折りますw

今作は経営が傾いていた新東宝大蔵貢体制になって、社長自ら製作総指揮をとった、大作&大ヒット作。これで新東宝を延命させたという作品です。新東宝の歴史の中では重要な作品(だと思う)で、吉田輝雄を入口に旧作邦画の世界に引き込まれた者としては、チェックしておかねばなりませんw

 

映画は、なるほどたしかに!という大作でした。技術とか予算とか時代的な限界はありましたが、それでも、大勢のエキストラを使い、日露戦争に突入する前の大衆の盛り上がり、旅順要塞攻略のための陸軍の戦闘の迫力、203高地の激闘、対馬沖でのバルチック艦隊との海戦(ミニチュアの特撮感は否めませんでしたが)などなど、人の熱気や決断と作戦の緊迫感、大画面に展開する激闘の迫力、そういったものが十分に伝わり、魅せるシーンは盛り沢山。

 

構成は細かい作戦の意味なんかは省かれていて、私にとっての日露戦争モノは「坂の上の雲」(NHK)なのですが、たぶん、これを見てなくて歴史的な経緯とかも分かっていなかったら、陸軍と海軍の戦いがどうつながっているのか、なぜ反目しあうのか、結構混乱しそうな作りです。本作は戦後12年で作成された映画なので、たぶん、当時の観客はそういった部分の知識というのはあるはずで、だから、省かれていたのでしょう。その分、明治天皇乃木希典東郷平八郎といった、国の命運を握っていた人物の苦悩や人間性みたいな部分が物語を紡いでいました。

 

特に明治天皇役のアラカンさんの存在感がすごい。Wikiによると日本で天皇役を演じたのはアラカンさんがお初だそう。威厳があってそれでいて偉ぶらず、部下たる大将達を信じ、戦場の兵士の苦境を思って真夏でも冬服の軍服で過ごす。皇居の庭で家族や恋人に別れをつげる若い兵士たちを見ながら、その辛さと苦しさを受け止める。戦死者が増えるにつれ「どうしても勝たなければ申し訳が立たない」という心情を訴える台詞の、こちらを納得させる重み。現人神であった天皇陛下を演じるというのは、この時代においてはものすごいプレッシャーと、そして危険(右からも左から脅迫とか来そうですし(^-^;))が伴ったんじゃないかと思いますが、アラカンさんの明治天皇、きっと誰からも文句が出なかったんではなかろうか、と思いました。

 

 乃木大将役の林寛さんも、実質主役か?ってくらいの存在感。息子二人を前線で失う話は有名ですが、死ぬ覚悟でいる次男・保典(高島忠夫さん)と陣中で向かい合ってご飯を食べるシーンは、国を守るのだという忠義心と親としての情愛の深さを感じさせらるシーンで、名演に劇場でうるうるしてしまっていたのでありました。

 

脇には保典役の高島さん以外にも、天知さん、丹波さん、宇津井さん、と新東宝でデビューした、当時は若手の皆さんがあちこちに。そのほか、たくさんのスターさんたち(お名前は知っていても顔と連動しないにわかです、すみません)がたくさんで、そういう部分でも見ていて楽しかったのですが、そのなかで、一番のかっこよさだったのが細川俊夫さん。軍服姿もよく似合い(なお、高島さんはすごい坊ちゃんな感じで兵士には見えませんでしたw)、天皇に静かに従い、その意思を組む、素敵な侍従さん。こりゃ、明治天皇の信頼も厚かったことでしょう!

 

で、見出しについて。

と、いうわけで、にわか新東宝ファン、大蔵貢社長渾身の大作&大ヒット作を観ることができて満足。大作なのは上記の通り。大ヒットって、どのくらいすごいのかって、Wikipediaみると観客動員数2000万人で5人に1人がみたそう。動員数は「千と千尋の神隠し」に抜かれるまで1位だったそうです。それだけのよく出来た作品だったのか、と言われると今観ると「そうでもないなぁ」と思う訳なのですが(まぁ、千と千尋の神隠しもそんな名作か?って思ってますけどw)、この動員数はきっと、敗戦で全てを否定された日本の人達に、明治維新からの歴史を肯定して見せてくれたことによるのではないかと思いました。自分が信じてきたもの、歩んできた歴史、当時精一杯に生きていた人達が、敗戦によってそれらが急に否定される。それはきっと、相当な衝撃だったのではないでしょうか。恐らく教養人を自負しているような人達(今で言うなら意識高い系か)にはこの映画はうけなかったんじゃなかろうかと直感的に思いますが、市井の人達にとっては、つい少し前までの自分達の姿をそこに見、それが当時の人達の気持ちに響き、この結果を生んだのではないか、と。戦後の、こういうものを大きく堂々と語れない空気の中で、サイレントマジョリティの人達が抱えていたもの、つまりは時代の求めたもの、だったのだろうな、と。(そして!おかげで会社が持ち直して、二年後に吉田輝雄がハンサムタワーズにスカウトされる時がくるわけなので、ほんと、この映画に感謝です( ̄∇ ̄))

 

 

【国立映画アーカイブの備忘録】

初上陸の国立映画アーカイブ。前身のフィルムセンターの時代も含め、初めて行って来ました。つか、こうやって古い邦画を観るようになるまで、こんな施設があるなんて知りもしなかったのですが。

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中に入ってすぐの受付で整理券をもらったあとチケットをどうやって買えばいいのかも分からなくて、受付の女性に伺ったり。(まさか、整理券もらってから、上映室に入る前に買うなんて思いもしませんでした。チケットと整理番号一緒に渡すんじゃないのねー!っていう。)映画のあとは展示室で日本映画の歴史に触れ(すでにない戦前、戦中の映画会社の歴史とかハヤブサヒデトの話とか、そしてもちろん、小津監督や清水監督なども)、図書室で2時間ほどキネ旬のバックナンバー(すっごい古いものから開架で触れられるようになっていて、1960年(「爆弾を抱く女怪盗」が1960年の公開なのでw)から順番に、輝雄さんの出演作の記事や新東宝作品を中心にw読み(それでも1962年の2月までしか読めなかった!)、映画文化に触れる楽しい時間でありました!

1960年のキネ旬の記事で映画会社各社の俳優陣について書かれたものがあり、当時のキネ旬偉い方と思われる方が新東宝についての分析をされていて、その中で「女体渦巻島」でデビューしたばかりの輝雄さんについて、「他社に負けない主演ぶりで、今作のように企画と監督が良ければ」といった記述を発見し、ひとり(心の中で)ニヤニヤとしていたのでしたw松竹大谷図書館に続き、またもやすごい場所を知ってしまったなぁ!とこちらの図書室にも通いまくりたいところであります(・∀・)