T’s Line blog-映画についての備忘録-

兼業主婦が仕事と子育ての合間に見た映画などについて、さらにその合間に綴るブログです。ブログタイトルのTは好きな俳優さんのお名前のイニシャルがことごとく「T」なため。LineはTのうちのお一人の主演作、新東宝「地帯シリーズ」から拝借しています。。

小津安二郎監督「大学は出たけれど」/「突貫小僧」

ペーソスとスラップスティック。その振り幅はチャップリンのようで。

  

 

ちょっと今回は変則的に2本まとめて書きます。

 

【映画についての備忘録その51】

小津安二郎監督 「大学は出たけれど」(1929年9月)/「突貫小僧」(1929年11月)

 

「大学は出たけれど」

大学を出て就職先を探している野本徹夫(高田稔)は、職探しの日々。面接にこぎつけても紹介される仕事は受付だと言われ、大学出のプライドで怒って出てきてしまう始末。しかし、田舎に残した親には立派な仕事が見つかったと連絡し、母親は婚約者の町子(田中絹代)を連れて上京する。そうして町子と二人の暮らしが始まったが、相変わらず。いつまでも職探しに明け暮れる徹夫に貯金もなくなっていき、町子はついに徹夫に内緒でカフェーで働き始めるのだが。。。

 

「突貫小僧」

路地で遊んでいる子供たちを離れたところから見ている男。人さらいの文吉(斎藤達雄)である。文吉は子供たちの中からメガネをかけた小さな男の子・鉄坊(青木富夫)に声をかけ、人さらいの親分と暮らす家まで連れて行くことにする。ところがこの鉄坊、なかなか手ごわく、途中で泣いては文吉におもちゃを買わせたり、菓子パンを買わせたり。やっとの思いで家につくと、今度は親分(坂本武)にもおもちゃの吹き矢をそのはげ頭に吹いてみたりとイタズラしほうだい。とうとう親分も手を焼いて、鉄坊を捨ててきてしまえ!と怒り出し。。。

 

というお話。

最近は時間ができると「愛染かつら」(というか浩三さま)を観る、みたいな日々だったため(笑)新しい作品を観ることもなくて、更新のネタもありませんでした(新しい作品を観るときって体力気力もいりますし、ちょっとそれも足りなかったりσ(^_^;)w

 

U-nextの配信で見ました。どちらもサイレント映画です。「大学は出たけれど」は70分、「突貫小僧」は37分が公開時の長さだそうですが、今、現存して観ることができるのはそれぞれ前者が11分、後者が14分だけ。「大学は出たけれど」は断片の、そしておそらく最初の11分、「突貫小僧」は結末までをうまくまとめた短縮版(ソフト販売用にまとめたものだそうです。なので、こちらはソフト化にあわせて寺田農さんと倍賞智恵子さんのナレーションなどが入っているものです)の14分です。久しぶりの更新なのに、なんでこんな短編、しかもまだ観てない小津作品がたくさんあるのに、っていうと、親知らずを抜いた日の夜に観たので、痛くて長いものが観られる気がしなかったからw

 

で、さて本題。

「大学を出たけれど」をチョイスしたのは短い作品を観る理由があったのとw何より原作が清水宏監督だったからでした。そしたらまぁ、笑いとペーソスの両方がぎっしりと詰まった11分で。

 

徹夫は就職をしたと信じている母を安心させようと、会社に行くふりをして出かけては、公園の子供たちと遊んで過ごします。その子供たちと遊ぶシーンにはさまれる字幕には「野本の勤務先」の文字(笑)

町子と暮らし始めてから出勤する素振りのない徹夫に「仕事に間に合わないわよ」と心配する町子に、徹夫は自分が読んでいた雑誌「サンデー毎日」の誌名を見せて(笑)自分が無職であることを伝えたり。。。

 

こんなちょっぴり悲しい事実の中にクスっと笑う場面がちりばめられながら、徹夫と町子がお互いを思いやる気持ちが短い時間なのに存分に感じられます。

 

徹夫がいつまでも仕事探しをしているので貯金がそこを尽きそう、、、となって、町子は黙ってカフェーで働き始めます。そして、町子の化粧がカフェーの女給さんのようになったな、とその変化に気付く徹夫(きちんと奥さんのこと見てます)。そして、友人に誘われて入ったカフェーで町子を見かけます。その晩、「誰があんなところで働けと言った!」と町子を責めるのですが、「働く者が一番幸せだと思っただけです」、という町子の言葉に自分自身を反省し、受付しか仕事がない、といわれて怒って出てきた会社に頭を下げに行きます。・・・そして、土砂降りの雨のなか、プライドを捨てて仕事にありついた夫を出迎える町子。

すれ違いもありながら、でも、互いのことをきちんと思いやって理解し合い一緒に歩んでいこうとする、そういう話なのだろう、というのがこの短いなかでわかり、小津監督、清水監督、それぞれの作品を観終わったあとに感じられる優しい何かがしっかりと伝わってきます。

 

で、結局、10分観て「うお~、全部観たいやんけ!!」というもうどうしようもない猛烈な後悔に襲われたのでしたw(マジでどっかから出てこないかな)

 

 

「突貫小僧」のほうはというと。。。

こちらはもう、叙情的なものは一切なくてw鉄坊の親が心配するとか、親分と子分の悲哀とかwそんなものは何もありませんw

悪い大人をやりこめる頭のキレる男の子、子供に振り回される悪い大人、振り回されててこずって、バシバシ子供をたたく親分(ここはちょっと、今の基準で見ると気分のいいものではなかったのですが(^◇^;))、でも、それを屁とも思わない鉄坊。そういうのを見てただただ笑ってくれ!みたいな話。編集されてなくなっている部分をつないでも、きっとこういうひたすら笑いをとる、そういう要素しかないんじゃないかと思いますw

(ドライに笑いに振り切っている映画に、編集版のナレーション(解説&鉄坊の台詞が入っています)がちょっと邪魔な気がしたくらいです)

 

というわけで見出し。

私、初期のスラップスティックコメディから「ニューヨークの王様」まで、あらゆる作品を観てチャップリンにはまっていた時期もあるのですが(どれくらい好きかというと自伝も買って、Vapから出されていたドキュメンタリービデオも観て、というくらい)、チャップリンというと「モダンタイムス」とか「黄金狂時代」みたいな“笑いとペーソス”で語られがちですが、初期作品はあの山高帽の放浪者はただのトラブルメーカーだったりして(笑)作品のカラーは時代とともに変遷していきます。今回たまたま観たこの2本は、チャップリンが長い間かけて変化してきた、その2種類の喜劇を1年のうちに両方撮ってしまった小津監督の、その振り幅の広さに驚いた2本なのでありました。

(そして、清水監督がますます好きになるのでしたw)