T’s Line blog-映画についての備忘録-

兼業主婦が仕事と子育ての合間に見た映画などについて、さらにその合間に綴るブログです。ブログタイトルのTは好きな俳優さんのお名前のイニシャルがことごとく「T」なため。LineはTのうちのお一人の主演作、新東宝「地帯シリーズ」から拝借しています。。

中村登監督「夜の片鱗」

大熱演の桑野みゆき。取り合う相手が平幹二郎では分が悪すぎた園井啓介

あの頃映画 松竹DVDコレクション 夜の片鱗

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 【映画についての備忘録その29】

中村登監督×桑野みゆき主演「夜の片鱗」(1964年)

 

街で客を取るために街灯の下に立つ芳江(桑野みゆき)に建築技師の藤井(園井啓介)が声をかける。客として芳江を買った藤井だったが、芳江と過ごすうちに、こんな仕事をすべき女性ではないはずだ、と感じ、また会いたい、と約束をする。

6年前―19歳の芳江は下請け工場で女工として働きながら、夜はバーのホステスのアルバイトをしていた。そこに小さな会社のサラリーマンだという英次(平幹二朗)という男が客としてやってくる。英次と親しくなり何度か会ううちに関係を持ち、そのままズルズルと英次のアパートで同棲を始める。

英次はサラリーマンだというのに働きに出る素振りもなく、芳江の給料で生活をするようになり、やがて芳江に金を無心するように。その金も続かなくなった頃、英次は自分がヤクザであること明かし、芳江に体を売ることを強要した。英次との関係を断ち切れない芳江は、いわれるがままに英次が連れてきた客を相手に売春を重ねた。やがて組に収める金を作るため、街に出て客を取ることを強要されるようになる…。

 

 

神保町シアターの“1964年の映画 東京オリンピックがやってきた「あの頃」”の特集企画で鑑賞しました。夫の仕事が休みだったので子供をお願いして(感謝!)、何か映画を観たいなーと調べていたら、こちらが面白そうだったので行ってきました。ストーリー以外にも輝雄さんご出演の「古都」を撮っている中村監督、「青春残酷物語」「犯罪のメロディー」で拝見した桑野みゆきさん、年齢を重ねてからの姿はたくさん見ている名優・平幹二朗さん、「ゴールドアイ」の悪役しか観たことないけど輝雄さんと同時期に松竹のメロドラマ路線を支えていたという園井啓介さん、ということで色々と気になる監督&キャストでもあり。また、1964年の企画というのも興味深く。オリンピックを目標に日本のインフラが整い、前へ前へと進んでいった時期かと思います。そういった時代の空気感というのは当時のニュース映像などを見ると分かるのですが、その時代に作られたものってどういう映画なんだろう、と。そして実際に観てきて、個人に視点をあわせた物語というのを(フィクションだけど)観られることで、歴史ではなくて今と続いている時代として感じられたような気がしました。

 

で、この映画を観おわって最も印象深かったのは桑野みゆきさんの熱演でした。工場で真面目に働いていた19歳のかわいい女の子が、ヤクザに惚れてしまったことで夜の世界へ身を落として擦れていく様、その泥沼から出て行きたいけれど出て行けない、そして、それをどこか心地よく感じているような、理性で割り切れない何かが伝わってきます。

 

そして男優二人の演技が桑野さんの熱演を引き立てているようで。

平幹二朗さんの英次は最初にバーに現れた時は台詞通りに本当に少し遊びなれたサラリーマンにしか見えません。19歳でバーでバイトするような女の子からすると、あまり警戒する必要のない身分(=サラリーマン)で大人の世界を見せてくれる優しい男性が魅力的に思えるのは然もありなん。それが徐々にだらしないヒモらしさがみえてヤクザであることをバラしますが、それでも芳江が英次から離れられずに、日陰の世界へ引きずり込まれていくに足る魅力を感じさせます。芳江が置かれている状況は冷静に見たらDVによる支配とかそういうことなんだと思うんですが、平さんの英次だと暴力的な支配というだけではなくて、こんな男なのになぜか芳江が惚れてしまっている、ということにリアリティが出てきます(自分だったら嫌だけどw)。だから、英次に街で客を取れと言われたことで英次の元を出て行ったのに、弟分が迎えに来て、優しくするからという英次からの伝言をあっさり信じて戻ってしまうあたりも観ている側は自然な流れのように思えるのです。さすが。

 

対する園井啓介さんの藤井は普通のサラリーマンっぽさ全開で、英次と比べて真面目であること以外に魅力がありません(役としては褒めてますw他の園井さんの映画を観たことがないので、これがこの映画故のことか、園井さんの役者さんとしてのカラーがこうなのかは分かりませんがσ(^_^;)。藤井は客として芳江を買いながら、普通にデートをしたりもしていて、彼女が普通の女の子の人生を歩んでいたら体験してきたはずのものを芳江に与えていきます。

そのとても象徴的なシーンがデパートの屋上を藤井と歩いていて工場で一緒に働いていた友人(岩本多代)と偶然に出会うシーン。友人にはすでに子供もいて優しい夫と3人の仲の良い家族。彼女は夫の稼ぎが少ないと言いながらもとても幸せそう。芳江は子供に笑顔で優しく飴を渡してあげつつ、自分は手に入れられないとあきらめているものを友人にみて複雑な表情を浮かべます。その表情を見た藤井は芳江と付き合っていて近々結婚する予定なんです、と思わず話します。藤井が芳江に与えられる最高のものがこの家族に囲まれた心安らぐ生活です。ただ、藤井はその一般化された形以上の何か、精神的なところでの英次との結びつきに変わる繋がりを芳江に与えられる存在には見えません。園井さんの生真面目そうな雰囲気と藤井が芳江に売春をやめさせようと話す言葉が道徳の教科書のようで、その二つが相まって言葉以上のものが伝わってこないからです。

なので、最初は園井さん、これミスキャストなんじゃσ(^_^;と思っていたのですが、改めて考えると、この道徳の教科書のような藤井のおかげで、芳江が英次から離れようとして離れられず、映画の結末へと向かっていく必然性が際立つのだと感じました。

北海道へ転勤してしまう藤井が一緒に行こうと芳江に手をさしのべ、英次に気付かれないように新宿駅で落ち合う約束をして別れます。しかし、芳江は新宿駅に着くというその直前に足をとめます。ここから最後にいたる芳江と英次の二人の関係の最後は「そうなるのだろう」という予測通りではあったのです。これ、もし、藤井の人物像がもっと魅力的であったとしたら、恐らく、この映画の結末は物語の予定調和以上のものを感じることはできなかったように思います。しかし、英次に変わるつながりを与えられないであろうという藤井の人物像故に、物語の必然的な展開以上に、そうせざるを得なかった芳江の心情をより際立たせていたように感じられました。というわけで、平幹二朗VS園井啓介の分の悪い対決は、結果的に芳江の行動と心情を観客に共感させる効果をもたらしていたのでありました。

 

3人それぞれの人物像以外にも映画として面白い部分はたくさんあって。中村監督は「古都」しか観たことがなかったのですが、全く違う色の作品を作り上げる監督さんなのだなぁ、と思いました。

映画は暴力的なヒモの英次とそこから逃げ出したいのに逃げ出せない芳江、という人間関係を前半はずっと見せてひたすら堕ちていく二人を描いています。これに中弛みしてきたなぁと思ったら、英次が対立するヤクザに股間を蹴られてその機能を失うという急展開の出来事が起こります。これにより暴力的で男性的な点で芳江を縛っていた英次が、洗濯や料理などを引き受けて献身的になることで芳江の同情を誘い、異なる形で自分から離れらないようにします。そして、女に身体を売らせながら、それでいて仲の良い夫婦のような時間を過ごす場面も出てきて、ストーリーに変化をもたらします。この物語の展開や、英次の変貌ぶりを食べ物で表したり(彼女に初めて客とらせたその日に天丼を頼んで平らげるような人間が、その後は鍋を持って豆腐買いに行ったりします。また、それらを買いに行くときにアパートの階段を降りるときの音も、無神経なドンドンという音だったのが少し柔らかくなったり)と、いろんな要素をちりばめて見せ、映画を最後まで飽きることなく(最近90分ものを観すぎて2時間の映画が長いんですよねσ(^_^;)見せてくれました。

 

と、個人的には2カ月前に「青春残酷物語」を観たばかりということもあって、安保闘争で東大の女性が亡くなったと言うニュースを芳江、英次、その友人のカップルと4人で飲みながら見ていて「よく分からない」というようなことを言うシーンが興味深く。この4人はニュースを自分達とは別世界のことととらえていて、「青春残酷物語」を観たときに私が感じたフワフワした現実と離れた感覚というのは、実際、当時生きていくことに懸命だった層の人達にとっては別世界の何かで、今の自分がそんな風に感じたのもまた自然だったのかな、という気がしました。

 

ストーリー以上に色々と感じることのできた、“1964年”の映画でありました。(書くことがとっちらかって全然まとまってない備忘録になってしまった(^◇^;))