T’s Line blog~映画についての備忘録~

兼業主婦が仕事と子育ての合間に見た映画などについて、さらにその合間に綴るブログです。ブログタイトルのTは好きな俳優さんのお名前のイニシャルがことごとく「T」なため。LineはTのうちのお一人の主演作、新東宝「地帯シリーズ」から拝借しています。。

木下恵介監督「カルメン故郷に帰る」

観終わったあとに受け止め方に悩んでしまった。

木下惠介生誕100年 「カルメン故郷に帰る」 [Blu-ray]

木下惠介生誕100年 「カルメン故郷に帰る」 [Blu-ray]

 

 

【映画についての備忘録その18】

木下恵介監督×高峰秀子主演「カルメン故郷に帰る」(1951年)

 

軽井沢浅間山のふもとの村で育った娘・きんは東京に出て劇場で”芸術家”として踊り注目を浴びているという。秋には友達マヤを連れて故郷に錦を飾るべく帰郷したいと父親にあてて手紙を送る。その手紙の署名は「リリィ・カルメン」。父・正一はそんな名前の娘を持ったことはない、と怒り、きんの帰郷を許す気がない。姉のゆきは父を説得するにはどうしたらいいかと小学校の教師をしている夫・一郎に相談し、校長先生に説得してもらうことにした。校長は村から芸術家が育ったのだからと喜んで説得に応じる。

そうして故郷の村に帰ってきたきんとマヤ。大胆なスリットの入った派手な色のワンピースで村を歩く二人に村の男達は「なんだありゃ?」「パンパンだよ」と好奇の目を向ける。

かつてきんがあこがれていた教師の田口春雄は出征して戻ってきたが失明していた。戻ってきてからは妻が馬引きを仕事として生計を立て、借金をしてオルガンを買い、それで作曲をすることを楽しみとしていた。しかしそのオルガンも借金先の運送屋の丸十に借金の形にもっていかれてしまい、今は小学校へ息子に手を引かれてやってきて学校のオルガンを弾くのを楽しみとしていた。

小学校の運動会の日。その春雄が作曲した「故郷」を披露するなか、二人は大失態をおかしてしまい、春雄は怒って演奏をやめてしまう。

二人は運動会をめちゃくちゃにしてまった失態を取り返すため、東京で人気を博している自分たちの”芸術”を披露することを思いつき、丸十はそれを興行にすることに・・・。

 

U-nextの配信で観ました。自分にとっての木下監督三作品目は日本初のカラー映画という「カルメン故郷に帰る」です。こちらも古い邦画に興味を持つ前から名前くらいは知っていた!というほどの有名作品。どんなお話なんだろうと、あまり予備知識を入れないまま観ることにしました。

 

浅間山をのぞむ村の美しい風景がよくとらえられていて、カラー映画ってことをすごく意識して作られたのかな、と思います。映画は春雄が作曲したとして劇中で歌われる「故郷」をオープニングテーマとして始まります。美しい故郷を歌う歌に、浅間山の麓の村の風景。とても美しい映像なのですが、見終わったあとは考え込んでしまった映画でしたσ(^_^;

 

なぜかというと、見出しのとおりでこの映画をどう受け止めていいのか分からなかったからです。

きんと友達のマヤは本気で自分たちのことを「芸術家」だと信じています。父親への手紙には「劇場が改築のために閉鎖されるので、その間そちらへ戻ります」。そして戻ってきてからもマヤとは“芸術家としてどうなのか”みたいな会話をしながら自然豊かな村の中を散歩をしています。親に言えないことをしているとか恥ずかしいとかいうようなものではないと思っているのが分かります。ただ、映画を観ているほうは二人の派手な服装とお化粧、挨拶代わりに丸十に差し出したプロマイド写真の姿(お腹など肌を思いっきり露出している)、「パンパンだろう」という村の男、そういった姿を見ると芸術家としてのダンサーではなくて“ストリッパー”であるというのが分かります。

 

映画はずっと、この芸術家だと信じているきんと、そんなきんをかわいくも憐れだと思っている父親(子供の頃、牛に頭を蹴られたせいで頭が弱くなってしまったとかわいそうに思っている)、非難するようなことはしないけれどどこか面白がって見ているような村の人達という構図で進みます。田口すらもきんのことを妻に話すときには少しの嘲りを含むような話し方に見えます。姉や姉の夫の一郎、同じく学校の先生の小川先生、それから校長先生はそういったわだかまりみたいなものがなくきんに向き合っていますが(校長先生はストリッパーだと気づくと真剣に芸術を披露することを辞めさせようと考えます)、きんにとって特に思い入れをもって描かれている人物二人(父と田口)が実はストリッパーであるきんに対して正面きって向かい合わないまま。

一方できんとマヤは興行を終えて村を去る時まで「自分たちは芸術家である」という意識です。自らを「芸術家」と信じている(勘違いしている)きんとマヤは最後の最後まで真っ直ぐです。ストリッパーであるために好奇の目で見られているとかいう後ろめたい意識などは全然なさそう。

 

この主人公の明るさと主人公を取り巻く人達の思っていることのチグハグさが、その滑稽さを喜劇的に笑うために描いてるのか、それとも何かシニカルなものを込めて描いたのか。だとして、そこに込められた皮肉ってなんなんだろう?見終わった後のスッキリしない感じが残るのは恐らく後者だからなのでしようが、観てる方はシニカルだとか何だとか言うより、なんだかこのちぐはぐさが悲しくなってくるというか、辛い、いたたまれないような気持ちだけが残ってしまったのでした。きんとマヤの二人が終始あっけらかんとしているので、その対比が余計に”いたたまれなさ”をまして。

 

と、いうことで、『今年の恋』は「わー、幸せな気持ちになるステキな映画が観られた(๑'ᴗ'๑)」、『喜びも悲しみも幾年月』は「あー、色んなこと乗り越えてそしてかけがえのない夫婦、人生になっていくのだな」とどちらも明るい気持ちで終わった過去二作品と全く違った「カルメン故郷に帰る」。つぎに観ることになる木下作品はいったいどんな印象が残るのやら、ですσ(^_^;