T’s Line blog-映画についての備忘録-

兼業主婦が仕事と子育ての合間に見た映画などについて、さらにその合間に綴るブログです。ブログタイトルのTは好きな俳優さんのお名前のイニシャルがことごとく「T」なため。LineはTのうちのお一人の主演作、新東宝「地帯シリーズ」から拝借しています。。

小津安二郎監督「大学は出たけれど」/「突貫小僧」

ペーソスとスラップスティック。その振り幅はチャップリンのようで。

  

 

ちょっと今回は変則的に2本まとめて書きます。

 

【映画についての備忘録その51】

小津安二郎監督 「大学は出たけれど」(1929年9月)/「突貫小僧」(1929年11月)

 

「大学は出たけれど」

大学を出て就職先を探している野本徹夫(高田稔)は、職探しの日々。面接にこぎつけても紹介される仕事は受付だと言われ、大学出のプライドで怒って出てきてしまう始末。しかし、田舎に残した親には立派な仕事が見つかったと連絡し、母親は婚約者の町子(田中絹代)を連れて上京する。そうして町子と二人の暮らしが始まったが、相変わらず。いつまでも職探しに明け暮れる徹夫に貯金もなくなっていき、町子はついに徹夫に内緒でカフェーで働き始めるのだが。。。

 

「突貫小僧」

路地で遊んでいる子供たちを離れたところから見ている男。人さらいの文吉(斎藤達雄)である。文吉は子供たちの中からメガネをかけた小さな男の子・鉄坊(青木富夫)に声をかけ、人さらいの親分と暮らす家まで連れて行くことにする。ところがこの鉄坊、なかなか手ごわく、途中で泣いては文吉におもちゃを買わせたり、菓子パンを買わせたり。やっとの思いで家につくと、今度は親分(坂本武)にもおもちゃの吹き矢をそのはげ頭に吹いてみたりとイタズラしほうだい。とうとう親分も手を焼いて、鉄坊を捨ててきてしまえ!と怒り出し。。。

 

というお話。

最近は時間ができると「愛染かつら」(というか浩三さま)を観る、みたいな日々だったため(笑)新しい作品を観ることもなくて、更新のネタもありませんでした(新しい作品を観るときって体力気力もいりますし、ちょっとそれも足りなかったりσ(^_^;)w

 

U-nextの配信で見ました。どちらもサイレント映画です。「大学は出たけれど」は70分、「突貫小僧」は37分が公開時の長さだそうですが、今、現存して観ることができるのはそれぞれ前者が11分、後者が14分だけ。「大学は出たけれど」は断片の、そしておそらく最初の11分、「突貫小僧」は結末までをうまくまとめた短縮版(ソフト販売用にまとめたものだそうです。なので、こちらはソフト化にあわせて寺田農さんと倍賞智恵子さんのナレーションなどが入っているものです)の14分です。久しぶりの更新なのに、なんでこんな短編、しかもまだ観てない小津作品がたくさんあるのに、っていうと、親知らずを抜いた日の夜に観たので、痛くて長いものが観られる気がしなかったからw

 

で、さて本題。

「大学を出たけれど」をチョイスしたのは短い作品を観る理由があったのとw何より原作が清水宏監督だったからでした。そしたらまぁ、笑いとペーソスの両方がぎっしりと詰まった11分で。

 

徹夫は就職をしたと信じている母を安心させようと、会社に行くふりをして出かけては、公園の子供たちと遊んで過ごします。その子供たちと遊ぶシーンにはさまれる字幕には「野本の勤務先」の文字(笑)

町子と暮らし始めてから出勤する素振りのない徹夫に「仕事に間に合わないわよ」と心配する町子に、徹夫は自分が読んでいた雑誌「サンデー毎日」の誌名を見せて(笑)自分が無職であることを伝えたり。。。

 

こんなちょっぴり悲しい事実の中にクスっと笑う場面がちりばめられながら、徹夫と町子がお互いを思いやる気持ちが短い時間なのに存分に感じられます。

 

徹夫がいつまでも仕事探しをしているので貯金がそこを尽きそう、、、となって、町子は黙ってカフェーで働き始めます。そして、町子の化粧がカフェーの女給さんのようになったな、とその変化に気付く徹夫(きちんと奥さんのこと見てます)。そして、友人に誘われて入ったカフェーで町子を見かけます。その晩、「誰があんなところで働けと言った!」と町子を責めるのですが、「働く者が一番幸せだと思っただけです」、という町子の言葉に自分自身を反省し、受付しか仕事がない、といわれて怒って出てきた会社に頭を下げに行きます。・・・そして、土砂降りの雨のなか、プライドを捨てて仕事にありついた夫を出迎える町子。

すれ違いもありながら、でも、互いのことをきちんと思いやって理解し合い一緒に歩んでいこうとする、そういう話なのだろう、というのがこの短いなかでわかり、小津監督、清水監督、それぞれの作品を観終わったあとに感じられる優しい何かがしっかりと伝わってきます。

 

で、結局、10分観て「うお~、全部観たいやんけ!!」というもうどうしようもない猛烈な後悔に襲われたのでしたw(マジでどっかから出てこないかな)

 

 

「突貫小僧」のほうはというと。。。

こちらはもう、叙情的なものは一切なくてw鉄坊の親が心配するとか、親分と子分の悲哀とかwそんなものは何もありませんw

悪い大人をやりこめる頭のキレる男の子、子供に振り回される悪い大人、振り回されててこずって、バシバシ子供をたたく親分(ここはちょっと、今の基準で見ると気分のいいものではなかったのですが(^◇^;))、でも、それを屁とも思わない鉄坊。そういうのを見てただただ笑ってくれ!みたいな話。編集されてなくなっている部分をつないでも、きっとこういうひたすら笑いをとる、そういう要素しかないんじゃないかと思いますw

(ドライに笑いに振り切っている映画に、編集版のナレーション(解説&鉄坊の台詞が入っています)がちょっと邪魔な気がしたくらいです)

 

というわけで見出し。

私、初期のスラップスティックコメディから「ニューヨークの王様」まで、あらゆる作品を観てチャップリンにはまっていた時期もあるのですが(どれくらい好きかというと自伝も買って、Vapから出されていたドキュメンタリービデオも観て、というくらい)、チャップリンというと「モダンタイムス」とか「黄金狂時代」みたいな“笑いとペーソス”で語られがちですが、初期作品はあの山高帽の放浪者はただのトラブルメーカーだったりして(笑)作品のカラーは時代とともに変遷していきます。今回たまたま観たこの2本は、チャップリンが長い間かけて変化してきた、その2種類の喜劇を1年のうちに両方撮ってしまった小津監督の、その振り幅の広さに驚いた2本なのでありました。

(そして、清水監督がますます好きになるのでしたw)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清水宏監督「按摩と女」

 言葉はなくても気持ちは伝わる 

 
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【映画についての備忘録その50】

清水宏監督×高峰三枝子主演「按摩と女」(1938年)

 

按摩の徳市(徳大寺伸)と福市(日守新一)が山の温泉場へと向かい歩いている。二人は盲目ながら優れたカンの持ち主で、向かいから来る人が何人連れか、そばを通る人たちの素性は?そんなことを言い当てて楽しみながら山道を歩く。
着いた温泉場で徳市は東京から来た女(高峰三枝子)に呼ばれる。徳市は、彼女が来る途中に自分を追い抜いていった女だと気づく。だが少し影のあるこの女に徳市は惚れてしまうのだった。一方、女のほうは温泉場に来る途中の馬車で一緒になった少年とその叔父だという男(佐分利信)と親しくなる。
その頃この温泉場では次々と盗難事件が発生し、徳市は彼女が犯人ではないかと疑い始める…。

 

U-nextの配信で観ました。「有りがたうさん」の1作を観ただけで好きな監督さんになってしまった清水宏監督。今作は66分で「有りがたうさん」よりさらに短いのですけど、やはり、多くは語らないのに深く思いを馳せる、という、素敵な映画でした。

 

 

徳市と福市が山道を歩く最初から会話は楽しく、明るく、按摩の二人が哀れみの対象―要するに感動ポルノ的な”大変な境遇を頑張っている人”という扱い―などではない、ということを明示してくれます。彼らの道中の楽しみはめあきを追い越してどんどん先に進んで歩くこと。そして、向かいから来るひとたちの足音から「8人くる」「いや、8人半」だ(半はおんぶされた赤ちゃんでしたw)なんて言い合っています。温泉場で一緒になる学生や子供が二人をからかうシーン(目の前で団扇だとかをひらひらさせてみたりw)なんかもあるのですけど、それも不愉快な感じは全然なくて、めくらもめあきも(映画のなかで使われているのでそのまま書きます)特別扱いではなくて、一緒に、分け隔てなく、生きているんだぞ、という感じ。徳市なんて、温泉場までの山道で自分を追い越していったハイキングの男子学生に按摩を頼まれたのをこれ幸いと、きつ~く揉んで、翌朝学生はかえって足を痛めてしまい、同じ旅館にもう一泊、なんて状況になりますw直接的な言葉や台詞はなくても、そういった描写の一つ一つから清水監督の思い描く、垣根のない優しい世界が伝わってきて、こちらも優しい気持ちになります。

 

そして、少年を媒介として、徳市と東京から来た女、少年の叔父と東京から来た女の関係もやはり、直接的に言葉にはしなくても、それぞれへの思いがにじみ出ています。

女は東京へはいつ帰るのか?東京で会ってももう知らない人になってしまうのでは?となかなか温泉場から帰れず宿泊を伸ばす叔父。

女と叔父が小さな橋でふたり話しているのを感づいて、”勘の良い”徳市が気づかない振りをしてとおりすぎる。

盗難事件の犯人ではないかと疑って、警察が来たと分かると必死の思いで見えない目で女をひっぱって匿う徳市。

そして、楽しい話相手だった女が叔父さんとの話しに夢中になって遊んでくれなくなってつまらないので、さっさと東京に帰りたい少年(笑)

直接的な言葉は口にしていないのに、それぞれの気持ちが伝わってきます。

 

・・・映画の良さがぜんぜん伝わらない、この文才のなさorz

 

喜劇かと思って見ていたら、最後は女の思わぬ境遇と温泉場を発つ女を見送る徳市の姿になんとも言えぬ感情を引き起こされます。そのラストシーンまで、言葉にしない故に伝わる思い。そして、やはり「有りがたうさん」と同じく、優しい思いが溢れているのに人情モノのような押しつけ感がなくてさらりとしている。見終わったあとの気分がとてもよくて、次の清水作品は何を見ようかと、今からまた考えているのでありました。

 

【おまけ】

東宝では(というか石井輝男作品では、なのか?)エロオヤジな悪役でお馴染みの(!?)近衛敏明さんが、徳市にマッサージされて逆に足を痛めちゃうという男子学生の中の一人で登場しておりました。いやー、もう、ビジュアルよりも声で気付いたんですけど、ビジュアルもさほど変わってなくてw「女体渦巻島」とかより20年くらい前だというのにw

高橋治監督「死者との結婚」

無駄のないサスペンスは渡辺文雄で拍車がかかる。

 

 

死者との結婚 (ハヤカワ・ミステリ文庫 9-3)

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 ポスターの写真撮りそびれて画像ないから小説でw

 

 

【映画についての備忘録その49】高橋治監督×小山明子主演「死者との結婚」(1960年)

 

都会のビルの屋上。子供を宿して死ぬという女と勝手にしろという男。女は死ぬのをやめ、男を恨みながら生きると決めた。

夜の瀬戸内海をゆく一隻の汽船。甲板に立つ女、石井光子(小山明子)は一度は生きてやろうと思ったがあてもないゆえに、体の中の小さい生命ごと死のうとする。しかし、そこで保科忠一と妻の妙子に声をかけられ、二人は光子を励ました。保科夫妻はアメリカで知り合って結婚し、近く生れる子供共々故郷に帰るところだという。

船室で光子と妙子二人で話していたとき、船が衝突事故を起す。保科は死に、妙子も死んだ。事故の直前、いたずらに光子の薬指に自分の指輪をはめさせたまま……指輪をつけたままだった光子は妙子と間違われ、病院で意識をとり戻す。そして子供は生れていた。男の子だった。見舞に訪れた義弟の則男(渡辺文雄)も兄の妻として光子と接する。やがて、退院した光子は子供のことを思って真実を話せぬまま、高松の保科家へ向かい、忠一の両親の忠則とすみのも喜んで光子と子供を迎え入れるのだが―。

 

 

こちらもシネマヴェーラ渋谷の「日本ヌーヴェルヴァーグとは何だったのか」特集で鑑賞しました。「狂熱の果て」の一つ前の番組。高橋治監督は吉田輝雄さん主演の「男の歌」の監督さん。「男の歌」を観られる機会がいつ巡ってくるか分からないのでw「狂熱の果て」の鑑賞にあわせて、こちらでどんな作風の監督なのか、偵察(!?)であります|ω・`)チラ

 

「死者との結婚」はなんだか聞き覚えがあるタイトルなんだよなー、と思ったら、有名なミステリー小説のようで。きっと、何度かドラマにもなってますよね。ググっても出てこないけど二時間ドラマにできるストーリーだし、なんか観たことがあるのではという気がして仕方なかったりしますσ(^_^;

 

で、映画のほうはよくできたミステリー小説を上手くまとめた作品、という感じがしました。

冒頭、自分を妊娠させて別れようとする男を前にビルの屋上で自殺を仄めかすシーンは、後ろ姿や足元ばかりがうつり、人物の表情は全く分からないのですが、駆け引きと緊張感が伝わります。そして、船が事故を起こして光子と妙子が入れ替わってしまうまでの展開のスピーディーさ。冒頭で光子を捨てた男についての説明は妙子との会話のほんの少しだけ。展開に無駄がなくて、その上、この男がどんなヤツなのか、興味をひかせたまま、後半までストーリーが進みます。

 

完全にいい人らしい忠則とすみの、という立ち位置と光子のことを妙子と信じているのか疑っているのか分からない則男という人物構成もよくできてきていて(ただ、過去の忠一のことについて、それぞれが異なることを言ったりして、中盤でいったん忠則とすみのの人物像に疑念が出てきたりして、それも面白く)、これが“嘘をついている”という光子の罪悪感と、一方で子供に恵まれた生活をさせてやるためには嘘をついてでも保科家にいたほうがいいという思いを、観る側に一緒に後追いさせます。

そして、なんとか光子が幸せな安定した暮らしを保科家で手に入れたと思ったのも束の間、光子を捨てた男が妙子として暮らしている彼女の前に現れ、どうこの苦境を切り抜け、どんな終焉を迎えるのかという、新たな要素が加わり、サスペンスの緊張感が持続します。うむ、よくできてきています。

 

 

ストーリーがストーリーなので(観ようと思った人が検索してここにたどり着いたときにネタバレしてしまわないようにσ(^_^;)深く書くことはやめておきますが、最後にひとつだけ。則男役の渡辺文雄さん。この前に「秋日和」と「青春残酷物語」そして「徳川女刑罰史」と三作ご出演作をみていて、やっぱり「徳川女刑罰史」の印象が強すぎて、余計にいい人なのかどうなの分からない、というミステリーの要素を(私的に勝手にw)増幅させるという、監督が想定外の効果を後年見ている観客に与えているのでありましたwということで見出し。

山際永三監督「狂熱の果て」

狂熱の果て、女の子は現実をみる。

 

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【映画についての備忘録その48】山際永三監督×星輝美・藤木孝松原緑主演「狂熱の果て」(1961年)

 

 

高校生のミチ(星輝美)とアキ子は終夜営業のレストラン〈六本木〉で大学のレスリング部で大企業の御曹司である健次(松原緑郎)やトランペット吹きの陽二(藤木孝)達と知り合う。ミチの父は元戦犯で今は病床にあったが、同じ戦犯で絞首刑になった北の遺児茂を引取って健次と同じ大学に通わせていた。茂はミチの母と関係を結んでいたが、彼はミチにも欲情の眼を向ける。

こうした歪んだ環境への反抗からミチは健次をリーダーとする六本木族と呼ばれるグループに加わるようになる。ある日ミチの父はガス自殺を計って入院した。家をとび出したミチはアキ子と共に瞬間の刺戟を求めたが心の中は満たされなかった。やがて陽二に惹かれていったミチは、ある夜彼とホテルで関係をもった。

それから間もなく、入院していた父が飛降り自殺をする。父のことを邪険にしていた母に怒り、「みんな勝手にすればいい!」とミチはますます自堕落な生活へと落ちていくのだった―

 

 

シネマヴェーラ渋谷の「日本ヌーヴェルヴァーグとは何だったのか」特集で鑑賞。この映画は長らくフィルムが失われていたと思われていた作品だったそうですが、国立映画アーカイブのページによると「倒産後の新東宝作品を配給した大宝の第1回配給作品となったが、同社も1年後には解散。本作がデビューとなった山際永三監督による入念な調査により、原版の受贈とプリント作製が可能になった。」ということで2018年に公開時以来!?の上映となった作品です。六本木族ってなに?とかいうこともありつつ、このドラマチック(!?)な発掘と、新東宝つながりだし、そして一番何よりかっこいいタイトルが気になって!見てみたいなぁ、と思っていたんですが、これがシネマヴェーラで星輝美さん、藤木孝さん、山際監督がそろうというすんごいトークショーつきで見られるということで行ってきました(パパ、ありがとう!)。

 

松竹ヌーヴェルヴァーグの代表、大島渚監督の「青春残酷物語」を見て、「こりゃだめだ、向いてない」と思ったわけですが(^-^;)今作も無軌道な若者とかそういうのはまったく共感がもてなかったのですがσ(^_^;ただ、こちらはもっとストレートで、当時の若者のパワーを記録しいる、そんな映画でした。

 

ミチも健次も陽二もみんなとにかく自分のやりたいようにやっています。その結果、それぞれに最悪な結末が待っていますが、この映画はそれに対して別に憐れみだとかも感じさせないような、淡々と破滅していく様子を描いています。ストーリーの展開とかは結構唐突な感じがして(^-^;)よく練られた作品という感じではなく、エピソードありきでそれをなんとか繋いでいく、そんな風に見えました。それぞれのエピソードは結構衝撃的で(例えばミチの父親は精神を病んでいて、さらには茂と妻が関係を持ったことでますます追い詰められ自殺。健次は父親の持つ葉山の別荘に仲間を引き連れて行く途中でひき逃げ、殺人を犯したりなどなど。)インパクトは強いけど、必然性は感じないような展開。逆に言えば、それが、ここに出てくる若者達の無軌道で、これと言った目的もなくて、ただその場が楽しければいい、そういう生き方を表しているようでもありました。

 

“狂熱”は“狂おしいほどの情熱”ってことだそうですが、その情熱のぶつける先を見いだせないミチたち。映画の殆どはそのパワーが飲んで、踊って、騒いで、ケンカして、そして誰かと誰かがくっついて、に向かっている様子が描かれています。で、その刹那的な有様は、ミチと陽二が二人、モーターボートでガソリンがきれるところまで海を飛ばし、二人きりになる、というところで突然終焉へと向かいます。

最初は広い海で太陽の下で二人きりになれたことに開放感を感じ、また二人の愛を確かめ合う、というなんとも若者らしい幸福感に満ちているのですが、やがて食べるものもなく、どこにいるかも分からない状況で不安が募っていき、ケンカが始まります(そりゃそうだ)。陽二は二人きりで死ぬことに幸福感を覚え、一方でミチは父親を追い詰め、自分を襲った茂を恨み、復讐もしてないのに死ぬなんて嫌だ、と思っています。夢の中にいて死にたい男の子と現実を見て生きることに執着する女の子。いつまでも若者らしく夢のまま死んでいくのかと思いきや、まさかの展開。

 

二人は結局漁船に助けられるのですが、陽二は健次と茂にひき逃げの罪を着せられて逮捕され、ミチは茂と一緒に葉山から東京へ戻ります。いつまでもミチと二人で生きたいと監視の警察官を殺害して逃亡した陽二はミチの元へやってきますが、ミチは逃亡犯として逮捕される健次をジッとたって見つめたまま。

 

この狂熱からさめない男の子とさめた女の子の対比はなかなかに残酷。1961年というと、前年が安保闘争とかやってた時代で、何となく、そういう空気感もこの二人に反映されてるのかも、と考えてみたり(これは同時に上映されていた山際監督の自主制作映画などの印象も含めてそう思うのかな)。

 

さてさて、主演のお二人について。ミチ役の星輝美さん、めちゃめちゃキュートでした!これ以外で観たことがある作品は「女体渦巻島」だけで、「女体渦巻島」の星さんは田舎っぽい女の子って感じしかしないんですけど(^-^;)これもう、石井監督の撮り方が悪い!って結論に(笑)今作の星さんはほんとに可愛かったです!その後のトークショーで「演技が上手くならなくてむいてないと思って引退した」とお話をされていましたが、全然そんなことなくて、体当たりの演技で印象的なミチでした。

藤木孝さんはこれが初主演&初演技だったそう。たしかに硬さはありましたが(それでも「女体渦巻島」の輝雄さんより全然こなれてたけどw)、すでにあの独特の存在感はしっかりとスクリーンにおさめられていました。映画の中では歌は聴けなくてトランペッター🎺という設定なのが勿体なかったぞ!

 

【2019/2/3トークショー

本編終了後に、主演のお二人&山際監督が揃うというすごいトークショー

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この写真でも分かりますが、藤木さんはさすが、という感じで、お声もしゃべり方も若々しく、背筋もピンと伸びていらして、かっこよいおじいさんでした(おじいさんって言うのは失礼かもって感じ)。まだまだ現役で活躍されているというのに、とても丁寧にお話をしてくださいました。

星さんも映画の面影をとどめていらして、チャーミング。山際監督はスタッフにはめっちゃ怖かったそうですがwそんな風にはまったく見えないやさしそうなおじいちゃんでした。

 

お話は新東宝が解散する時期のドタバタ感(この映画も予算がなくて700万で作ったってお話だったかな。公開したと思ったらもう東京でやってなかった!なんてお話もw)や、共演の松原緑郎さん、鳴門洋二さんの新東宝組の役者さんのお話、六本木族って何?とか、星さんがあっさり引退を決めた理由(ほんと、普通にお上手でしたが)、藤木さんがこの映画への出演が決まるまで(ジャズ喫茶で歌っているところへ山際監督が観にきたり、などなど)のエピソードなど、楽しく伺うことができました。

以前、松竹大谷図書館で「踊りたい夜」か何か。。。藤木さんと輝雄さんの松竹の共演作の資料を読んでいたときに、歌手をやめて役者になった経緯を、当時の若い藤木さんが「自分の唄いたい歌とちがったんだ」ってお話をされている記事がスクラップされていたんですが、今回のトークショーでご本人からそのお話を聞くことができたりして、それが私的にはとっても印象深いものでありました。

篠田正浩監督「はなれ瞽女おりん」

たくましさとやるせなさ。 

 

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【映画についての備忘録その47】

篠田正浩監督×岩下志麻主演「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」(1977年)

 

雪深い福井県・小浜の海沿いの今にも粗末な小屋の中。小さな女の子・おりんが膝を抱えて座り、大人達が囲んでいる。おりんの母親は波にさらわれたのか、貧しい生活の中で盲目の娘を育てることをあきらめたのか、姿を消してしまった。おりんをどうしてやるべきかと思案していると、富山の薬売り・斎藤が顔を出した。大人達におりんを頼まれた斎藤(浜村純)は、高田の瞽女屋敷のおかみ・テルヨ(奈良岡朋子)に預けることにする。

テルヨのもとで三味線や唄を習い瞽女となったおりん(岩下志麻)は、祝儀の場や宴席などにもテルヨ達と出るようになる。そんな折、宴席の場にいた男と関係をもったことから瞽女屋敷を出され、はなれ瞽女となってしまったおりん。一人歩くおりんは、ある山の中で石切場での仕事が終わって山を下り、下駄職人になるという鶴川という男と一緒になり、二人のあてどない旅が始まる―

 

新文芸坐の「清純、華麗、妖艶 デビュー60年 女優・岩下志麻 さまざまな貌で魅せる」特集で鑑賞。私、新文芸坐初上陸であります。初日の上映でこの後に志麻さんのトークショーがあるということで、ひょっとしたら小津監督のお話も聞けるのではないかと、トークショー目当てで行ってきました(結局聞けなかったけどwでも、志麻さんめちゃめちゃ凜として美しかったです。)

この日は「心中天網島」と「はなれ瞽女おりん」の二本立て。トークショー目当てだったので作品の事前知識はゼロ。「心中天網島」のほうはストーリーは知らなくても近松門左衛門の”心中物”だってことくらいは分かっていましたが、「はなれ瞽女おりん」にいたっては”瞽女”を何と読むのか、それが何なのかすら分からないw封切り映画だと嫌でもストーリーとか事前に耳に入ってきちゃいますけど、旧作は自分から情報を取りに行かない限りは分からないものが多くて、まっさらな気持ちで観ることができて、それが結構楽しかったりします٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

んで、観てみたらどちらもお話としてはいわゆる“女の情念”のようなものを描いた筋。女のくせにこういうタイプの映画が苦手で、大体、この手のお話はしょうもない男にひっかる女の話で、「なんでこんなクズ男にひっかかるんだよ」って思ってしまって感情が先に進まないのですが(笑)「心中天網島」はまさにそれで、しかも初っ端から前衛的な表現でついていけずσ(^_^;途中から「さっさと心中せい」と思うような状態でした(^-^;)(これは多分人形浄瑠璃で見ても同じ感想になった気がするw)

でも、一方の「はなれ瞽女おりん」のほうはそういうことにはならずwそれは、導入部分から続く印象的な映像とおりんの生きていこうとする逞しさ故。

 

小さなおりんが住まう粗末な家が立つ場所は、冬の日本海の荒波、どんよりとした寒空の下。大正時代を舞台にした映画ですが、自分が日本海を観て育ったせいもあって、それらの風景に懐かしさとかシンパシーとかいうようなものを感じて、これでスーッと映画の世界に入っていけました。

そして、おりんはすぐに斎藤に連れられて高田の瞽女屋敷まで旅することになります。この一連の場面は台詞はなく、吹雪の中海岸を歩いたり、あまりの寒さに泣きそうになりながら斎藤にだっこされたりとか、歩く2人と厳しい自然だけが映し出されるのですが、ここに小さなおりんの生きるのだという必死な思いが感じられます。特に2人で手をつないで歩いているときに斎藤の帽子が風に飛ばされてしまったシーンは印象的で、斎藤は飛んでいった帽子を取りに行くのに少しの間だけおりんの手を離します。その間、斎藤の手を探すおりんの手だけがスクリーンいっぱいに写されるシーンがあって、それだけで、生きる伝手を一瞬見失って不安でいっぱいになっている小さなおりんの気持ちがめちゃめちゃ伝わります。この映画は冬の厳しい自然だけじゃなくて夏の美しい海とか本当にキレイな風景が沢山出てくるのですけど、この映画のなかで私にとって他の何よりも記憶に残ったのは、この時の小さなおりんの手でした(もう、これ書けて8割がた満足してますw)。

 

 

おりんは、テルヨから瞽女は仏様にその身を捧げた立場であることを幾度となく聞かされて育ちます。それはつまり男性と交わることは許されないということ。高田の瞽女屋敷には年上のお姉さん達が何人も住んでいましたが、そのうちの1人が子供を身ごもり、瞽女屋敷から出されたこともありました。瞽女屋敷にいれば立派な家ときちんとした身なり、そして温かい御飯と衣食住に困ることはありませんが、屋敷を出され、一人で旅をすることになる“はなれ瞽女”は寂れたお堂の中で凍えて過ごしたり、ぼろぼろの笠とあちこち破れ、シラミのついた着物、握り飯一つ、そんな生活になります。しかし、少女から女性になったおりんは衝動を抑えることができず、祝儀の場に呼ばれてある屋敷に泊まった夜、夜這いしてきた男を受け入れ、そのことがテルヨに知られ、瞽女屋敷から出されてしまいます。

そこからは名も知れぬ男に身体を許して手引きをつとめてもらいながら門付の旅をしたり、売春のような事をしてお金を手に入れ、生きていきます。住まいがないので、一人寒い御堂の中では凍え死んでしまうと、その晩をともにしてくれる男を必要とする、そんな生活です。それらは平穏とか幸福とかそういうものとは離れたところにあって、言うなれば地を這うような生き方です。ただ、そこにはそうしてでも生きるのだ、というおりんの覚悟みたいなものが見え、そして、おりんはそういう自分を選択している。男に流されて、とかではなくて自分の衝動の結果招いた事態について、自分なりにけりをつけながら生きている。この時代に盲目の女性が一人で生きていくには多分そうするしかないという状況で、そこでしっかりと生きているのです。それは斎藤の手を探した小さなおりんの延長線上に確かにあって、おりんがどう生きていくのかを見てみたいと思え、最後まで引き込まれて見ることができたのでした。

 

鶴川と旅をするようになってからは、信じられる人が傍にいて穏やかな生活へと変わっていきます。鶴川が下駄を作る道具をひくリアカーに乗って、各地の祭りを巡って出店を出す。もう三味線は袋にしまわれて、歌う必要もない。旅の空も明るく晴れた夏の海のイメージです。でまた、鶴川はおりんに自分のことを兄と呼ばせプラトニックの関係であり続けることを望みます。おりんは鶴川を求めるけれど、それには答えない。関係を持ってしまうとこの関係が崩れてしまうから。それが逆に悲劇を引き起こし、鶴川と離ればなれになってしまうのですが、おりんはまたいつか鶴川に会えると信じ、下を向くことなく、また元のはなれ瞽女として旅に出ます。今度は同じはなれ瞽女のおたま(樹木希林)と御堂で一緒になったことをきっかけに旅をしたり(その途中でかつて自分と同じように親を失った盲目の少女が祖母に連れられてくるエピソードなども短い時間ですが強烈に印象に残り、やはりおりんのたくましさと、この時代に盲目の女の子が一人生きていくことの厳しさを感じさせるのでした)。

 

そして鶴川と再会し、また旅をし、そしてまた一人になる。。。盲目の女性が一人で生きていくどうしようもない状況とその中でも生きるのだという意志。映画の最後の一枚の赤い襦袢に、おりんの生きる意志の強さとそれでも免れきれない定めのようなものを感じ、たくましさとやるせなさを最初から最後まで同時に感じ続けた作品で、映画の世界に引き込まれて居続けられたのは、おりんが生きることをあきらめなかったからだ、と思うのでありました。

 

中村登監督「愛染かつら」

すれ違いにハラハラし、浩三さまにドキドキする。

 

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【映画についての備忘録その46】

中村登監督×岡田茉莉子吉田輝雄主演「愛染かつら」(1962年)

 

高石かつ枝(岡田茉莉子)は津村病院で看護婦として寮に住み込みで勤務している。津村病院は独身であることが採用条件だが、かつ枝は幼い娘・敏子がいることを病院に隠し、姉のさだ枝(三宅邦子)に預けて働いていた。しかし、ある日、娘と公園にいるところを同僚たちに見つかってしまう。問い詰められたかつ枝は、敏子の父親は生まれてすぐに病に倒れて死んでしまったこと、娘を育てるために苦労して看護婦になったことを話し、同情した同僚たちは敏子の味方になると誓った。

津村病院創立25周年祝賀の日。かつ枝は余興として歌をうたうことになったが、伴奏者がいないのを知って、津村病院院長の長男で医者である・津村浩三(吉田輝雄)が伴奏を買って出る。思いを寄せ合っていたかつ枝と浩三だったが、かつ枝は身分違いであること、そして敏子の存在もあり、浩三の気持ちを受け入れられずにいた。だが、親が進める縁談も断り、かつ枝に自身の真剣な愛を伝える浩三。かつ枝はその熱意に、愛染堂の桂の木の下で手を重ねあわせ、互いの愛を確かめあうのだが―。

 

「古都」のところで「いつか観たい!」と書いていた「愛染かつら」。拝見する機会をいただきました。ありがとうございます!!もう、輝雄さんめちゃめちゃカッコよくてヾ(*´∀`*)ノ(ここはまた後でアホほど書きますw) 年始から「正月ボケなんかしてらんねぇぞ」みたいな仕事だった自分に、ステキなプレゼントを頂いたような気分でありました(*´∀`*) 

 

「愛染かつら」もこうして古い映画を観るようになる前から、それが何かもよく分からなくても(映画だって分かってたようないなかったような。。。)その名前と主題歌の「旅の夜風」はなぜか聴いたことがある、そういう作品であります。詳しいことはWikipediaYoutubeにお任せするとして・・・。川口松太郎の小説をもとに、戦前に上原謙さんと田中絹代さんの主演により映画化された松竹の名作。戦後も鶴田浩二さんなどで映画化されているようですが、ご本家松竹がリメイクしたのがこの作品。戦前は前後編、続・完結編とあるようで、かなり長いお話だと思います。

 

浩三の愛は熱くてまっすぐ。一方、かつ枝は浩三を愛しつつも身分差と敏子のこともあり、結ばれるはずなどないと思っている―と、いうのがこのお話の前提。で、長いストーリーを100分にまとめているからか、二人が互いを好きになっていく過程は丁寧に描かれてはいなくて、ピアノを伴奏した祝賀パーティーの日まで言葉を交わすシーンもなくて、伴奏した次の日には、浩三はかつ枝に「話がある」と赤坂で待ち合わせをします。

そして、自分の気持ちを伝える浩三。

「昨日や今日の気まぐれな気持ちではないつもりです。もしかすると僕の親たちは反対するかもしれない。でも、僕としてはあくまでも押し切ってる覚悟なんだ」

「ご好意は忘れません」

「好意の問題じゃない。僕にとっては一生の問題です」

「どうぞもう、そんなお話はおやめになって・・・」

「じゃあ、日をあらためてもう一度会ってくれませんか?このままろくに話ができなくなるなんて、そんなのは嫌だ。もう一度会ってください。会ってくれるね。」

もう、浩三、真っ直ぐすぎる(強引ともいう)!!

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浩三と別れたかつ枝は敏子と姉の住むアパートへ。動揺を抑えきれないかつ枝は、敏子の顔をみてしっかりと抱きしめ、母である自分を確かめます。

 

再度病院の外で会う二人。

しかし、かつ枝はやはり浩三の気持ちに応えることはできないと思っています。

「私、もうこれ以上先生とお会いしないほうが・・・」

「どうしてそんなことばかり言うんです・・・」

そして、永保寺の愛染かつらの木の下へ。

「この木につかまりながら恋人同士が誓いを立てると、たとえ一時は思い通りにならなくても、将来は必ず結ばれるという言い伝えがあるんです。」

「ねぇ、君、嘘だと思ってこの木に触ってくれないかな。迷信だと笑わないで、僕の心に勇気をつけてほしいんだ。君の心が僕の上にあることを信じたいんだ。そしていつかはきっと結ばれるんだと」

躊躇っているかつ枝の手をとって、浩三は自分の手に重ね合わせます。

「これでいいんだ。誓ってください、僕と結婚してくれるって」

だから、真っ直ぐすぎるって(強引ともいう)!!

【茉莉子さんの表情の切ないこと】

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二人で会って、愛染かつらの木の下で愛を誓い合うまでのこのエピソードは映画のなかでは5分程度。あっという間にトップスピードに。ここからは愛し合っているのにすれ違いからなかなか結ばれない二人のストーリーが展開されます。下手すると置いてけぼりをくらいそうな構成と人物像なのですが(押しまくる浩三も娘がいるのに恋に走っちゃうの!?ってかつ枝も普通だと「あり得ないわー」で終わりですからね(^-^;))、輝雄さんと茉莉子さんがどちらもはまり役で美しくて、真っ直ぐすぎて強引な浩三にも、母と女の間で揺れるかつ枝にもどちらにもついて行くことができます。まさしくメロドラマの展開にハラハラし、真っ直ぐな浩三様にドキドキ(//∇//)しながら、十分に楽しむことができました(輝雄さんがめちゃかっこよかったので、浩三様による加点がすごく高いかもしれませんw)

 

博士の娘との縁談を進められそうな浩三は、看護婦との結婚など親が許すはずもないと考え、かつ枝と2人で大学の先輩・服部(佐田啓二)を頼って京都へ行こうと誘います。かつ枝のほうは母である自分と浩三への愛で悩み、また敏子のことを打ち明けることができません。姉に反対されますが、敏子のことで浩三の気持ちが変わったらその時はあきらめる、短い間であったとしても浩三の傍にいたい、と娘を姉に預けて浩三と京都へ行く決意をします。

【もう、かっこいいしキレイだし】

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が!ここで最初のすれ違い(´;ω;`)東京駅へ向かうために病院の寮を出ようとした時、姉から電話が。敏子が熱を出してしまってお母さんに会いたがっている、来てほしい、と。津村家へ電話をしますが、すでに浩三は出てしまった後。とにかく二人が住むアパートへ向かうかつ枝。医者を呼びに行き、落ち着いたところで、浩三が駅で待っていることを姉に伝えます。京都へ行くことは諦めようと思っても、浩三に会って今は行けないのだということだけでも伝えたい。タクシーで東京駅へ向かいます。

東京駅、21時30分発の筑紫号(新幹線の開通前!)の一等の切符を2枚買ってかつ枝がくるのを待っている浩三。

【駅での立ち姿もきれいでハンサム(//∇//)】

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タクシーの運転手はかつ枝に「信号につかまらなければ間に合いますよ」と言いますが、信号につかまりまくり。東京駅の時計の針と、赤信号、あせるかつ枝、待ち焦がれる浩三の表情が代わる代わる映し出され、間に合って!とドキドキ。

しかし、やっとの思いで駅のホームに着いた時には筑紫号は出発してしまったところ・・・。「浩三さま!」と叫びながらその姿を必死に探すシーンが切なくてねぇ、もう。

【浩三さま!】

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浩三はやむなく一人で京都へ。服部のすすめもあって、同じ大学で研究をすることにします。一方のかつ枝は病院に一度は戻りますが、浩三の妹の竹子(「今年の恋」で正にビールぶっかけちゃった峯京子さん!)から、浩三を探すように言われ、京都へ向かいます。かつ枝は服部の家を訪ねますが、浩三は服部の妹の美也子(桑野みゆき)にドライブに誘われて留守中で、服部が応対します。服部は浩三にかつ枝は相応しくないと考え、「浩三はもうこの家から出て行ってしまった、行き先は分からない」とかつ枝に伝えます。かつ枝は浩三が戻ってくることがあったら、自分が来たことを伝えてほしいと言い残し、諦めて京都から帰ります。またもすれ違う2人(´;ω;`)

 

東京に戻ったかつ枝は津村病院を辞め職探しをしますが、子持ちのためなかなか看護師の仕事が見つからず、夜の勤めをすることも考え始めます。そんな折、新聞の歌詞募集に出した詞が入選。それをきっかけに歌手デビューが決まります。

一方の浩三はかつ枝のことを忘れられず、気晴らしのように美也子に誘われるままに出かけ、研究にも身が入りません。そのことを服部にとがめられて、かつ枝のことを忘れられないでいる苦しい心情を吐露します。

【医者(愛染かつら)⇒サラリーマン(秋刀魚の味)の順で先輩後輩】

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浩三のその姿を見て、かつ枝が来たことを黙っていた、と服部は打ち明けます。それを知って、東京へ帰ることを決意する浩三は夜汽車で東京へ戻ります。そして、浩三に好意を抱いている美也子も、「おうちのことや病院のことを調べてあげる!」と同じ汽車に乗って東京へ。

 

かつ枝が津村病院をやめて姉と高輪アパートというところに住んでいる、ということがわかり、美也子と浩三はアパートに向かいます。2人で歩いているところをタクシーの中から見かけてしまうかつ枝(´;ω;`)声をかけることもなく、タクシーは発車します。一方、浩三と美也子は高輪アパートの近くまで来て、近くで遊んでいた女の子にアパートまで道案内してもらいます。そして、「高石かつ枝さんって人のお部屋知ってる?」と美也子が訪ねると「私のママよ」という返事。浩三はかつ枝に娘がいることを知ります。その時、姉が帰ってきて、部屋にいるかつ枝を呼んできます、と呼びに行くのですが、その間に浩三は姿を消してしまうのでした。美也子を恋人と誤解してしまったかつ枝と子供がいてそして恐らくは夫もいるのだろうと誤解してしまった浩三(´;ω;`)三度目のすれ違い(´;ω;`)

 

しかし、最後にはその誤解も解け、歌手としてデビューしたかつ枝と、津村病院に戻ってきた浩三、そして娘の敏子と、三人が愛染かつらの木の下で手を重ね合わせ、ハッピーエンド。2人が幸せになれて良かったよー!

 

というわけで、ところどころ戦前の映画のリメイクらしい古めかしさ(医者と看護師の身分差がはっきりしていたり、かつ枝だけすごく丁寧な言葉で喋るという台詞の違和感とか)を感じることはあったし、メロドラマの教科書のような作品だと思うので、その後の作品でもって観る人によっては”ありがちなストーリー”なんて批評がされるかもしれませんが、中村監督の演出と(女性を主役にした映画が上手い方なのですかね)、主演二人の魅力(この二人がとても現代的な美男美女なので、それだけでも作品を今風にしているように思います)で、楽しむことができた映画でありました。

 

はい!で、輝雄さん主演なので、やはり今回もあれこれ書きますよ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

「愛染かつら」は松竹に移籍してから4作目の出演作品となっていて、同じく茉莉子さんと共演した「今年の恋」が移籍後初主演作(2作目)なのですが・・・監督の演出の影響か?「今年の恋」の正のほうが地に近いのか!?あるいはメロドラマに慣れていなかった故か!?「今年の恋」に比べると演技は随分と硬くたどたどしい印象で、台詞まわしとか表情とか「女体渦巻島」なみに硬いわ!って思うところもwなので、シーンによっては「下手だぁ」と思ってしまう場面もあるのですが。+゚(*ノ∀`)、この硬さがこの映画ではいいように作用しているところも多くて、普段あまり感情を露わにしない浩三がかつ枝に真剣に愛を伝えるというのが「かつ枝のことを本当に好きで好きで仕方ないんだ」と感じられ、また、絶対に二人は結ばれるのだという信念のような真っ直ぐさ(強引とも言う)が伝わってきます。「このままろくに話ができなくなるなんて、そんなのは嫌だ。」と言うシーンとか、もうこの浩三のまっすぐさに(//∇//)となるのです(当時、映画館で観た乙女達はきっとここでキャーキャー言ってたに違いない!)。男性主人公がステキって、メロドラマを楽しむ上での大事な要素であります(゜∀゜)

 

その後、敏子の存在を知って津村家に一人で帰って来た浩三は、悲しみをたたえた表情を見せます。捨てられた子犬みたいな切なさで、これまたすごくキュンキュンします(//∇//)(当時、映画館で観た乙女達は以下同文)。

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”浩三様”と呼ばれるのに違和感のないハンサムさであります(*´∀`*) ↓

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とか

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とかねヾ(o´∀`o)ノ

 

映画秘宝」(2017.4)の輝雄さんのインタビューでこの作品を撮る時の経緯をお話されていて、「今年の恋」のあとに茉莉子さんと再び組んで「愛染かつら」を撮ることになり、前作の参考試写がされたそうです。茉莉子さんからどう思うかと聞かれ、ストーリーが古すぎる、という意見だったそうなのですが、松竹の方から「松竹の大作品なのでぜひ二人でやってほしい」と言われた、とのこと。今作は俳優陣も本当に豪華で、佐田啓二さん、桑野みゆきさん、笠智衆さん、佐野周二さん、三宅邦子さん、沢村貞子さんと蒼々たる方たち。松竹の大作品を岡田茉莉子さんと組んで、豪華な俳優さんたちをそろえ、新東宝から移籍した輝雄さんを売り出すための力の入りようが想像できます。実際、この映画のヒットですぐに続編が作られることが決まったりしたようで、女性映画が強かったという松竹のメロドラマ路線をこの時期確かに支えた俳優さんだったんだな、と思ったり。

64年→65年の出演本数の変化がほんともったいないんですけど、それを経て石井輝男監督と再び組まれてからの作品は、また違うカッコよさを観ることができて(「ゴールドアイ」の吉岡さんなんて、輝雄さんのそれまでの役のなかでは実は結構レアなタイプなのだと分かったときの驚きたるや!)、次はどんな輝雄さんに出会えるか!引き続き50ウン年後のファンは追っかけていきたいと思うのでありました٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

五所平之助監督「100万人の娘たち」

安定のラブストーリーと、不安定な女性の自立の話。 

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【映画についての備忘録その45】

五所平之助監督×岩下志麻主演「100万人の娘たち」(1963年)

 

 一ノ瀬幸子(小畑絹子)・悠子(岩下志麻)の姉妹は宮崎交通のバスガイドだ。姉の幸子は東京で行われた全国バスガイドコンクールに出場し、優勝して帰って来る。その夜は悠子たち宮崎交通の同僚やバスガイド嘱託教師でホテルのフロント係の主任である小宮信吉(吉田輝雄)たちがそろって祝賀パーティーとなったが、有村日奈子(牧紀子)は一人暗い表情だった。元々は彼女が代表として出場する予定だったががノドを痛めてしまい、代役として出場した幸子が優勝したからだ。日奈子にとっては幸子は仕事上のライバルであり、また二人とも信吉に思いを寄せていた。悠子は、幸子に発破をかけ、また、信吉に会って、その気持ちを確かめるのだった。

やがて結婚した幸子と信吉。二人の結婚を祝福しながらも何かやるせない思いを抱える悠子彼女はその憂鬱な気持ちを晴らすため、同僚達とダンスホールに出かけ、そこで信吉のホテルの部下の柏木(津川雅彦)に声をかけられる。やがて二人で会うようになり、その噂に心配する幸子。幸子の心配もあって、悠子と会っていた柏木に声をかけた信吉は、柏木から、悠子が自分を愛している事を知らされ、自分の気持ちに気づく。そんな時、幸子に乳がんが見つかり、入院することになるのだった・・・。

 

 

古都のところで「観たい!」と書いていた輝雄さんと岩下志麻さんとの共演作「100万人の娘たち」。観る機会をいただきました。ありがとうございます!!もう、期待に違わぬ素敵な組み合わせのお二人。めちゃかっこいい!めちゃかわいい!でした(//∇//)(入口が吉田輝雄さんだったものだから、旧作邦画初心者なのに、五所監督とかもお名前を知ることになって、ほんとに良かったなぁと思います(๑'ᴗ'๑))

 

この映画のタイトル、“100万人の娘”というのは当時、東京で働くBG(ジネスガール)のこと。全国で200万人のビジネスガールがいて、そのうち100万人が東京で働いていた、ということだそうです。昨年、松竹大谷図書館でこの映画の資料を拝見させていただいたこともあって、“ビジネスガール” “バスガイド” “宮崎” と、当時の女性達のあこがれをつめて、女性の自立とか言ったことをテーマにした映画なのかな?というイメージでもって鑑賞しました。

(調べてみると、昭和天皇の第五皇女である清宮様の新婚旅行先(1960年)だったり、皇太子夫妻が訪問されたり(1962年)といったことで宮崎がこの頃から新婚旅行の行き先として注目されはじめた様子。また、バスガイドはやはりこの頃は女性の花形職業の一つだったようですし、大体イメージ通りかな、という。WikipediaによるとBGという言い方をやめてOLとなるのがこの年だそうです)

 

そして、そういった時代的な背景をひっくるめて映画を見終っての感想が見出し。メロドラマ、ラブストーリーとして観ると面白くまとめられた安定感のある映画だと思いました。ただ、もう一つのテーマであろうと思われる女性の自立の物語、という部分では、どこか的を射てない、実際とのズレがあるような、"想像する女性の自立の物語の型”を見ているような、何かしっくりこない気持ちで終わりました。

もちろん、私自身がこの映画の時代と違う時代を生きているので、私のほうがそもそもこの時代の感覚とズレているってことかもですが(笑)、過去に見たいくつかの、同時期に作られた映画(ここで備忘録を書いている「夜の片鱗」や「秋津温泉」、「秋日和」「女弥次喜多タッチ旅行」「肉体の門」「秋刀魚の味」「今年の恋」等々)にも、様々な職業で、仕事との関わり方も多様な働く女性が出てきていますが、それらに違和感のようなものを感じることはなかったので、やはりこの映画に対して感じる何かなのだと思いました。

で、その違和感のようなものの原因が何だったのかなぁ、と思い返してみて、その答えがわかりやすく凝縮されていたのが、バスガイドのゼミナールで東京に出てきた悠子が、東京でタイピストなどの働く女性達を見学している時にモノローグとして語られた台詞でした。

若い女性達がめざましく働いているのをみて胸を打たれた」

「この人達も私と同じような生活を送っているのかしら」

「全く同じ世代のこの女性達がいつの間にか私を追い越してずっと先を歩いているような気がしてならなかった」

悠子は宮崎で優秀なバスガイドとして働いています。バスガイドも立派な仕事。もっと言えば当時花形職業な訳ですから、憧れをもってみられる立場でしよう。宮崎であろうが東京であろうが、また、どんな職業であろうと、仕事を持って懸命に働いている女性に優劣などないと思うのですが、彼女は自立をするということを今の自分を否定することから始めているようで(ここには信吉への思いに悩む自分、という部分の否定でもあることは分かるのですが)。他の作品では自分のいる場所で懸命に生きている女性達でしたが、今作の悠子は自分の現在地を認めた上でステップアップして次へ行くのではなくて、否定して別の場所へ行くわけです。既に自分の居る場所で懸命に仕事をしている女性が、東京の他の女性達の姿と比較して自分を否定して、それを起点として、前向きな決断のように描かれている。何だか私にはそこに心情の移り変わり方という意味でのリアリティがないように思え、どこかしっくりこなくて、上述したような想像上の“型”を見せられているような印象をうけたのでした(例えるなら、メディアでもてはやされる若手論客の人が必ずしも若くなかったり、フェミニストの人の意見が女性の代表的意見ではないという、そういう”期待される型”を見せられているような感じ)。

 

 

と、自立の話としてはなんだかしっくりこなかった訳ですが、ラブストーリーの部分は王道のストーリーで、それがめちゃカッコいい輝雄さんとめちゃかわいい志麻さんの組み合わせで展開されるので٩(๑❛ᴗ❛๑)۶キュンキュンしながら楽しむことができました。

と、その前に。姉の幸子の結婚前と結婚後の変化がぞっとするほど上手く描かれています。結婚前は信吉に自分の思いを伝えることすらできなかった幸子。ライバルだった日奈子のほうは積極的に自分の思いを伝え、一方の幸子は「静かな女の人が好きだ」と言う信吉に選ばれるほどで。そんな幸子が結婚した途端に今でいうところの“マウントをとる”ような発言を連発(^-^;) 

結婚後に初めて二人の新居を訪ねた悠子に、幸子は色々と饒舌に話します。日奈子が会社を辞めたことについて「有村さんって自信家だったからショックだったのね、私達の結婚」とか、「女は結婚しないうちは一人前じゃないって言うけど、それ本当よ」「悠子にはまだ分らないのよ、家庭の味ってものが」等々。結婚前の幸子に発破をかけた悠子ですが、幸子が信吉にプロポーズされたことを話した時の悠子の態度に幸子は“何か”を感じ取ってはいて、でも“信吉に選ばれたのは自分”という自信がどこか無意識的に他の女性よりも上であるかのような態度や発言になります。うん、怖い(^-^;)そして、何とも言えない現実にいそうな感じ(結婚前と後では心境が変わってしまうというのは殆どの女性に共通する感覚かな、と)。

 

で、この幸子のナチュラルに上から目線な発言の変化に、女子的には悠子を応援したくなる展開に。

2人の結婚前は、自分から告白できない幸子に変わって信吉の気持ちを確かめに行ったりして(休暇を取って青島“鬼の洗濯板”で1人写真を撮っている信吉のところへやってきます<TOP画像の場面>。この映画は宮崎の観光地や景色も楽しめます)、幸子の恋の“ディレクター”を買ってでていた悠子。で、信吉から日奈子は眼中になくて幸子が好きだと聞いて安心しながらも、どことなく寂しげな表情に。信吉のことが好きなのにお姉さんの恋の応援しちゃうのね、っていうのが分かります(>_<)信吉のほうは悠子の気持ちには気付いているのかいないのか、気付かないようにしているのか、妹としてしかみていなくて、「悠ちゃん(の結婚相手)にはおとなしい人のほうが合うのかな」なんて発言で無意識に悠子を傷つけてしまうし(・д・)なんだこの王道の展開!なんとも切ない!(信吉のこの鈍いのが輝雄さんの素直そうな感じとあってるし、悠子の妹らしく振る舞おうとする姿は志麻さんの可愛らしい表情なのに凜とした雰囲気にはまっているしで良いです(๑'ᴗ'๑))

そして、信吉のことを忘れようと悠子は柏木とつきあうようになる訳ですが、逆に信吉に自分の気持ちを知られることになり、信吉もまた自分の気持ちに気づき。。。しかもこのタイミングで幸子が乳がんで入院。悠子が信吉の身の回りの世話をしたり、幸子の病院の支度をしたりすることになり二人で過ごす時間もできる訳なのですが、それでも義兄と義妹であろうとする二人。で、これまた王道の展開で切ないんだ!

 

【悠子のことで柏木と喧嘩して怪我をしてしまった信吉に謝る悠ちゃんに「たった一人の妹だもの」という信吉。「妹だったのね、私」と言う悠ちゃん。この二人、ほんと似合ってるわ】

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ある日、接待で飲みに連れられて夜遅く家に帰ってきた信吉。そこには仕事と姉の看病で疲れて、信吉の机(上の写真参照)で寝てしまっていた悠子が。そんな悠子を優しい目で見つめます【ここ、すんげーカッコいいです(//∇//) ↓】。

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信吉が帰ってきて目を覚ました悠子に、酔い覚ましのお水をお願いして、もってきて貰う間に、机の引き出しから青島で撮った写真を取り出して渡す信吉(とっくに現像してたのに、幸子のことを思って渡せずにいたのかなぁ、とか想像してしまってこれまた)。見つめあって気持ちがあふれてしまい、「好きなんだ」と悠子にキスをしてしまいます【ここもすんげーカッコいいです(//∇//) ↓】。

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悠子は幸子のことを思って、必死にその手を振りほどきます。この悠ちゃんがまた純粋な感じでかわいい(≧∀≦)

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とか、悠子と信吉にキャーキャーしつつも、最後は幸子のことを思ってこれ以上踏み込むことはなく、元の義兄妹の関係であることを選びます(そもそも姉妹両方好きになるってどうなんだよ、信吉!とかいうのはありつつw)。

そして、幸子の死をきっかけに、悠ちゃんは東京へ、信吉は宮崎へ残って…という最後はドロドロした愛憎劇にならない(何というか、「あ、釣りバカ日誌とか寅さんとか、そういうの作る会社だもんね!」みたいな。寅さんみたことないけど(^-^;))この安心感!ということで、ラブストーリーのほうは輝雄さんと志麻さんの組み合わせで、難しいこと考えずに楽しむことができました(*´ー`*)

 

 

さて、以前ここでも書いた、松竹大谷図書館で見たこの映画の資料。制作が決まったばかりの頃はこの信吉の役は佐田啓二吉田輝雄ってことで発表されていて、幸子役がなかなか決まらず、幸子を演じる女優さんによって、どちらかがキャスティングされるということでした。

kinakossu.hateblo.jp

 

 

結果的に当初名前があがっていなかった小畑さんになり、輝雄さんが信吉を演じる事になったようですが、小畑さんとは新東宝時代に姉弟役として共演されていたようで、確かに二人の並びはちょっと夫婦っぽくはなくてw でもまぁ、とにかく、結果として輝雄さんと志麻さんの組み合わせとなり、2人のシーンをたくさん観ることができて良かったなぁ、と思うのでありました。しかし、「秋刀魚の味」も「古都」も今作も結局ハッピーエンドな感じじゃない(古都は結婚するけど、あんまりそういう描写ないですしw)のが勿体ない。+゚(*ノ∀`) もっと二人の組み合わせの作品を観てみたかったなぁ、と思うのでありました(あー、もう「大根と人参」!)

 

しかし、ほんとカッコいいなぁ、輝雄さんヾ(o´∀`o)ノ (結局、これが言いたかったんかいw)

 

ちょっとこの映画の興味深い論文を発見したのでこちら