T’s Line blog-映画についての備忘録-

兼業主婦が仕事と子育ての合間に見た映画などについて、さらにその合間に綴るブログです。ブログタイトルのTは好きな俳優さんのお名前のイニシャルがことごとく「T」なため。LineはTのうちのお一人の主演作、新東宝「地帯シリーズ」から拝借しています。。

篠田正浩監督「はなれ瞽女おりん」

たくましさとやるせなさ。 

 

はなれ瞽女おりん [東宝DVD名作セレクション]
 

  

【映画についての備忘録その47】

篠田正浩監督×岩下志麻主演「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」(1977年)

 

雪深い福井県・小浜の海沿いの今にも粗末な小屋の中。小さな女の子・おりんが膝を抱えて座り、大人達が囲んでいる。おりんの母親は波にさらわれたのか、貧しい生活の中で盲目の娘を育てることをあきらめたのか、姿を消してしまった。おりんをどうしてやるべきかと思案していると、富山の薬売り・斎藤が顔を出した。大人達におりんを頼まれた斎藤(浜村純)は、高田の瞽女屋敷のおかみ・テルヨ(奈良岡朋子)に預けることにする。

テルヨのもとで三味線や唄を習い瞽女となったおりん(岩下志麻)は、祝儀の場や宴席などにもテルヨ達と出るようになる。そんな折、宴席の場にいた男と関係をもったことから瞽女屋敷を出され、はなれ瞽女となってしまったおりん。一人歩くおりんは、ある山の中で石切場での仕事が終わって山を下り、下駄職人になるという鶴川という男と一緒になり、二人のあてどない旅が始まる―

 

新文芸坐の「清純、華麗、妖艶 デビュー60年 女優・岩下志麻 さまざまな貌で魅せる」特集で鑑賞。私、新文芸坐初上陸であります。初日の上映でこの後に志麻さんのトークショーがあるということで、ひょっとしたら小津監督のお話も聞けるのではないかと、トークショー目当てで行ってきました(結局聞けなかったけどwでも、志麻さんめちゃめちゃ凜として美しかったです。)

この日は「心中天網島」と「はなれ瞽女おりん」の二本立て。トークショー目当てだったので作品の事前知識はゼロ。「心中天網島」のほうはストーリーは知らなくても近松門左衛門の”心中物”だってことくらいは分かっていましたが、「はなれ瞽女おりん」にいたっては”瞽女”を何と読むのか、それが何なのかすら分からないw封切り映画だと嫌でもストーリーとか事前に耳に入ってきちゃいますけど、旧作は自分から情報を取りに行かない限りは分からないものが多くて、まっさらな気持ちで観ることができて、それが結構楽しかったりします٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

んで、観てみたらどちらもお話としてはいわゆる“女の情念”のようなものを描いた筋。女のくせにこういうタイプの映画が苦手で、大体、この手のお話はしょうもない男にひっかる女の話で、「なんでこんなクズ男にひっかかるんだよ」って思ってしまって感情が先に進まないのですが(笑)「心中天網島」はまさにそれで、しかも初っ端から前衛的な表現でついていけずσ(^_^;途中から「さっさと心中せい」と思うような状態でした(^-^;)(これは多分人形浄瑠璃で見ても同じ感想になった気がするw)

でも、一方の「はなれ瞽女おりん」のほうはそういうことにはならずwそれは、導入部分から続く印象的な映像とおりんの生きていこうとする逞しさ故。

 

小さなおりんが住まう粗末な家が立つ場所は、冬の日本海の荒波、どんよりとした寒空の下。大正時代を舞台にした映画ですが、自分が日本海を観て育ったせいもあって、それらの風景に懐かしさとかシンパシーとかいうようなものを感じて、これでスーッと映画の世界に入っていけました。

そして、おりんはすぐに斎藤に連れられて高田の瞽女屋敷まで旅することになります。この一連の場面は台詞はなく、吹雪の中海岸を歩いたり、あまりの寒さに泣きそうになりながら斎藤にだっこされたりとか、歩く2人と厳しい自然だけが映し出されるのですが、ここに小さなおりんの生きるのだという必死な思いが感じられます。特に2人で手をつないで歩いているときに斎藤の帽子が風に飛ばされてしまったシーンは印象的で、斎藤は飛んでいった帽子を取りに行くのに少しの間だけおりんの手を離します。その間、斎藤の手を探すおりんの手だけがスクリーンいっぱいに写されるシーンがあって、それだけで、生きる伝手を一瞬見失って不安でいっぱいになっている小さなおりんの気持ちがめちゃめちゃ伝わります。この映画は冬の厳しい自然だけじゃなくて夏の美しい海とか本当にキレイな風景が沢山出てくるのですけど、この映画のなかで私にとって他の何よりも記憶に残ったのは、この時の小さなおりんの手でした(もう、これ書けて8割がた満足してますw)。

 

 

おりんは、テルヨから瞽女は仏様にその身を捧げた立場であることを幾度となく聞かされて育ちます。それはつまり男性と交わることは許されないということ。高田の瞽女屋敷には年上のお姉さん達が何人も住んでいましたが、そのうちの1人が子供を身ごもり、瞽女屋敷から出されたこともありました。瞽女屋敷にいれば立派な家ときちんとした身なり、そして温かい御飯と衣食住に困ることはありませんが、屋敷を出され、一人で旅をすることになる“はなれ瞽女”は寂れたお堂の中で凍えて過ごしたり、ぼろぼろの笠とあちこち破れ、シラミのついた着物、握り飯一つ、そんな生活になります。しかし、少女から女性になったおりんは衝動を抑えることができず、祝儀の場に呼ばれてある屋敷に泊まった夜、夜這いしてきた男を受け入れ、そのことがテルヨに知られ、瞽女屋敷から出されてしまいます。

そこからは名も知れぬ男に身体を許して手引きをつとめてもらいながら門付の旅をしたり、売春のような事をしてお金を手に入れ、生きていきます。住まいがないので、一人寒い御堂の中では凍え死んでしまうと、その晩をともにしてくれる男を必要とする、そんな生活です。それらは平穏とか幸福とかそういうものとは離れたところにあって、言うなれば地を這うような生き方です。ただ、そこにはそうしてでも生きるのだ、というおりんの覚悟みたいなものが見え、そして、おりんはそういう自分を選択している。男に流されて、とかではなくて自分の衝動の結果招いた事態について、自分なりにけりをつけながら生きている。この時代に盲目の女性が一人で生きていくには多分そうするしかないという状況で、そこでしっかりと生きているのです。それは斎藤の手を探した小さなおりんの延長線上に確かにあって、おりんがどう生きていくのかを見てみたいと思え、最後まで引き込まれて見ることができたのでした。

 

鶴川と旅をするようになってからは、信じられる人が傍にいて穏やかな生活へと変わっていきます。鶴川が下駄を作る道具をひくリアカーに乗って、各地の祭りを巡って出店を出す。もう三味線は袋にしまわれて、歌う必要もない。旅の空も明るく晴れた夏の海のイメージです。でまた、鶴川はおりんに自分のことを兄と呼ばせプラトニックの関係であり続けることを望みます。おりんは鶴川を求めるけれど、それには答えない。関係を持ってしまうとこの関係が崩れてしまうから。それが逆に悲劇を引き起こし、鶴川と離ればなれになってしまうのですが、おりんはまたいつか鶴川に会えると信じ、下を向くことなく、また元のはなれ瞽女として旅に出ます。今度は同じはなれ瞽女のおたま(樹木希林)と御堂で一緒になったことをきっかけに旅をしたり(その途中でかつて自分と同じように親を失った盲目の少女が祖母に連れられてくるエピソードなども短い時間ですが強烈に印象に残り、やはりおりんのたくましさと、この時代に盲目の女の子が一人生きていくことの厳しさを感じさせるのでした)。

 

そして鶴川と再会し、また旅をし、そしてまた一人になる。。。盲目の女性が一人で生きていくどうしようもない状況とその中でも生きるのだという意志。映画の最後の一枚の赤い襦袢に、おりんの生きる意志の強さとそれでも免れきれない定めのようなものを感じ、たくましさとやるせなさを最初から最後まで同時に感じ続けた作品で、映画の世界に引き込まれて居続けられたのは、おりんが生きることをあきらめなかったからだ、と思うのでありました。

 

中村登監督「愛染かつら」

すれ違いにハラハラし、浩三さまにドキドキする。

 

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【映画についての備忘録その46】

中村登監督×岡田茉莉子吉田輝雄主演「愛染かつら」(1962年)

 

高石かつ枝(岡田茉莉子)は津村病院で看護婦として寮に住み込みで勤務している。津村病院は独身であることが採用条件だが、かつ枝は幼い娘・敏子がいることを病院に隠し、姉のさだ枝(三宅邦子)に預けて働いていた。しかし、ある日、娘と公園にいるところを同僚たちに見つかってしまう。問い詰められたかつ枝は、敏子の父親は生まれてすぐに病に倒れて死んでしまったこと、娘を育てるために苦労して看護婦になったことを話し、同情した同僚たちは敏子の味方になると誓った。

津村病院創立25周年祝賀の日。かつ枝は余興として歌をうたうことになったが、伴奏者がいないのを知って、津村病院院長の長男で医者である・津村浩三(吉田輝雄)が伴奏を買って出る。思いを寄せ合っていたかつ枝と浩三だったが、かつ枝は身分違いであること、そして敏子の存在もあり、浩三の気持ちを受け入れられずにいた。だが、親が進める縁談も断り、かつ枝に自身の真剣な愛を伝える浩三。かつ枝はその熱意に、愛染堂の桂の木の下で手を重ねあわせ、互いの愛を確かめあうのだが―。

 

「古都」のところで「いつか観たい!」と書いていた「愛染かつら」。拝見する機会をいただきました。ありがとうございます!!もう、輝雄さんめちゃめちゃカッコよくてヾ(*´∀`*)ノ(ここはまた後でアホほど書きますw) 年始から「正月ボケなんかしてらんねぇぞ」みたいな仕事だった自分に、ステキなプレゼントを頂いたような気分でありました(*´∀`*) 

 

「愛染かつら」もこうして古い映画を観るようになる前から、それが何かもよく分からなくても(映画だって分かってたようないなかったような。。。)その名前と主題歌の「旅の夜風」はなぜか聴いたことがある、そういう作品であります。詳しいことはWikipediaYoutubeにお任せするとして・・・。川口松太郎の小説をもとに、戦前に上原謙さんと田中絹代さんの主演により映画化された松竹の名作。戦後も鶴田浩二さんなどで映画化されているようですが、ご本家松竹がリメイクしたのがこの作品。戦前は前後編、続・完結編とあるようで、かなり長いお話だと思います。

 

浩三の愛は熱くてまっすぐ。一方、かつ枝は浩三を愛しつつも身分差と敏子のこともあり、結ばれるはずなどないと思っている―と、いうのがこのお話の前提。で、長いストーリーを100分にまとめているからか、二人が互いを好きになっていく過程は丁寧に描かれてはいなくて、ピアノを伴奏した祝賀パーティーの日まで言葉を交わすシーンもなくて、伴奏した次の日には、浩三はかつ枝に「話がある」と赤坂で待ち合わせをします。

そして、自分の気持ちを伝える浩三。

「昨日や今日の気まぐれな気持ちではないつもりです。もしかすると僕の親たちは反対するかもしれない。でも、僕としてはあくまでも押し切ってる覚悟なんだ」

「ご好意は忘れません」

「好意の問題じゃない。僕にとっては一生の問題です」

「どうぞもう、そんなお話はおやめになって・・・」

「じゃあ、日をあらためてもう一度会ってくれませんか?このままろくに話ができなくなるなんて、そんなのは嫌だ。もう一度会ってください。会ってくれるね。」

もう、浩三、真っ直ぐすぎる(強引ともいう)!!

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浩三と別れたかつ枝は敏子と姉の住むアパートへ。動揺を抑えきれないかつ枝は、敏子の顔をみてしっかりと抱きしめ、母である自分を確かめます。

 

再度病院の外で会う二人。

しかし、かつ枝はやはり浩三の気持ちに応えることはできないと思っています。

「私、もうこれ以上先生とお会いしないほうが・・・」

「どうしてそんなことばかり言うんです・・・」

そして、永保寺の愛染かつらの木の下へ。

「この木につかまりながら恋人同士が誓いを立てると、たとえ一時は思い通りにならなくても、将来は必ず結ばれるという言い伝えがあるんです。」

「ねぇ、君、嘘だと思ってこの木に触ってくれないかな。迷信だと笑わないで、僕の心に勇気をつけてほしいんだ。君の心が僕の上にあることを信じたいんだ。そしていつかはきっと結ばれるんだと」

躊躇っているかつ枝の手をとって、浩三は自分の手に重ね合わせます。

「これでいいんだ。誓ってください、僕と結婚してくれるって」

だから、真っ直ぐすぎるって(強引ともいう)!!

【茉莉子さんの表情の切ないこと】

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二人で会って、愛染かつらの木の下で愛を誓い合うまでのこのエピソードは映画のなかでは5分程度。あっという間にトップスピードに。ここからは愛し合っているのにすれ違いからなかなか結ばれない二人のストーリーが展開されます。下手すると置いてけぼりをくらいそうな構成と人物像なのですが(押しまくる浩三も娘がいるのに恋に走っちゃうの!?ってかつ枝も普通だと「あり得ないわー」で終わりですからね(^-^;))、輝雄さんと茉莉子さんがどちらもはまり役で美しくて、真っ直ぐすぎて強引な浩三にも、母と女の間で揺れるかつ枝にもどちらにもついて行くことができます。まさしくメロドラマの展開にハラハラし、真っ直ぐな浩三様にドキドキ(//∇//)しながら、十分に楽しむことができました(輝雄さんがめちゃかっこよかったので、浩三様による加点がすごく高いかもしれませんw)

 

博士の娘との縁談を進められそうな浩三は、看護婦との結婚など親が許すはずもないと考え、かつ枝と2人で大学の先輩・服部(佐田啓二)を頼って京都へ行こうと誘います。かつ枝のほうは母である自分と浩三への愛で悩み、また敏子のことを打ち明けることができません。姉に反対されますが、敏子のことで浩三の気持ちが変わったらその時はあきらめる、短い間であったとしても浩三の傍にいたい、と娘を姉に預けて浩三と京都へ行く決意をします。

【もう、かっこいいしキレイだし】

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が!ここで最初のすれ違い(´;ω;`)東京駅へ向かうために病院の寮を出ようとした時、姉から電話が。敏子が熱を出してしまってお母さんに会いたがっている、来てほしい、と。津村家へ電話をしますが、すでに浩三は出てしまった後。とにかく二人が住むアパートへ向かうかつ枝。医者を呼びに行き、落ち着いたところで、浩三が駅で待っていることを姉に伝えます。京都へ行くことは諦めようと思っても、浩三に会って今は行けないのだということだけでも伝えたい。タクシーで東京駅へ向かいます。

東京駅、21時30分発の筑紫号(新幹線の開通前!)の一等の切符を2枚買ってかつ枝がくるのを待っている浩三。

【駅での立ち姿もきれいでハンサム(//∇//)】

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タクシーの運転手はかつ枝に「信号につかまらなければ間に合いますよ」と言いますが、信号につかまりまくり。東京駅の時計の針と、赤信号、あせるかつ枝、待ち焦がれる浩三の表情が代わる代わる映し出され、間に合って!とドキドキ。

しかし、やっとの思いで駅のホームに着いた時には筑紫号は出発してしまったところ・・・。「浩三さま!」と叫びながらその姿を必死に探すシーンが切なくてねぇ、もう。

【浩三さま!】

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浩三はやむなく一人で京都へ。服部のすすめもあって、同じ大学で研究をすることにします。一方のかつ枝は病院に一度は戻りますが、浩三の妹の竹子(「今年の恋」で正にビールぶっかけちゃった峯京子さん!)から、浩三を探すように言われ、京都へ向かいます。かつ枝は服部の家を訪ねますが、浩三は服部の妹の美也子(桑野みゆき)にドライブに誘われて留守中で、服部が応対します。服部は浩三にかつ枝は相応しくないと考え、「浩三はもうこの家から出て行ってしまった、行き先は分からない」とかつ枝に伝えます。かつ枝は浩三が戻ってくることがあったら、自分が来たことを伝えてほしいと言い残し、諦めて京都から帰ります。またもすれ違う2人(´;ω;`)

 

東京に戻ったかつ枝は津村病院を辞め職探しをしますが、子持ちのためなかなか看護師の仕事が見つからず、夜の勤めをすることも考え始めます。そんな折、新聞の歌詞募集に出した詞が入選。それをきっかけに歌手デビューが決まります。

一方の浩三はかつ枝のことを忘れられず、気晴らしのように美也子に誘われるままに出かけ、研究にも身が入りません。そのことを服部にとがめられて、かつ枝のことを忘れられないでいる苦しい心情を吐露します。

【医者(愛染かつら)⇒サラリーマン(秋刀魚の味)の順で先輩後輩】

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浩三のその姿を見て、かつ枝が来たことを黙っていた、と服部は打ち明けます。それを知って、東京へ帰ることを決意する浩三は夜汽車で東京へ戻ります。そして、浩三に好意を抱いている美也子も、「おうちのことや病院のことを調べてあげる!」と同じ汽車に乗って東京へ。

 

かつ枝が津村病院をやめて姉と高輪アパートというところに住んでいる、ということがわかり、美也子と浩三はアパートに向かいます。2人で歩いているところをタクシーの中から見かけてしまうかつ枝(´;ω;`)声をかけることもなく、タクシーは発車します。一方、浩三と美也子は高輪アパートの近くまで来て、近くで遊んでいた女の子にアパートまで道案内してもらいます。そして、「高石かつ枝さんって人のお部屋知ってる?」と美也子が訪ねると「私のママよ」という返事。浩三はかつ枝に娘がいることを知ります。その時、姉が帰ってきて、部屋にいるかつ枝を呼んできます、と呼びに行くのですが、その間に浩三は姿を消してしまうのでした。美也子を恋人と誤解してしまったかつ枝と子供がいてそして恐らくは夫もいるのだろうと誤解してしまった浩三(´;ω;`)三度目のすれ違い(´;ω;`)

 

しかし、最後にはその誤解も解け、歌手としてデビューしたかつ枝と、津村病院に戻ってきた浩三、そして娘の敏子と、三人が愛染かつらの木の下で手を重ね合わせ、ハッピーエンド。2人が幸せになれて良かったよー!

 

というわけで、ところどころ戦前の映画のリメイクらしい古めかしさ(医者と看護師の身分差がはっきりしていたり、かつ枝だけすごく丁寧な言葉で喋るという台詞の違和感とか)を感じることはあったし、メロドラマの教科書のような作品だと思うので、その後の作品でもって観る人によっては”ありがちなストーリー”なんて批評がされるかもしれませんが、中村監督の演出と(女性を主役にした映画が上手い方なのですかね)、主演二人の魅力(この二人がとても現代的な美男美女なので、それだけでも作品を今風にしているように思います)で、楽しむことができた映画でありました。

 

はい!で、輝雄さん主演なので、やはり今回もあれこれ書きますよ٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

「愛染かつら」は松竹に移籍してから4作目の出演作品となっていて、同じく茉莉子さんと共演した「今年の恋」が移籍後初主演作(2作目)なのですが・・・監督の演出の影響か?「今年の恋」の正のほうが地に近いのか!?あるいはメロドラマに慣れていなかった故か!?「今年の恋」に比べると演技は随分と硬くたどたどしい印象で、台詞まわしとか表情とか「女体渦巻島」なみに硬いわ!って思うところもwなので、シーンによっては「下手だぁ」と思ってしまう場面もあるのですが。+゚(*ノ∀`)、この硬さがこの映画ではいいように作用しているところも多くて、普段あまり感情を露わにしない浩三がかつ枝に真剣に愛を伝えるというのが「かつ枝のことを本当に好きで好きで仕方ないんだ」と感じられ、また、絶対に二人は結ばれるのだという信念のような真っ直ぐさ(強引とも言う)が伝わってきます。「このままろくに話ができなくなるなんて、そんなのは嫌だ。」と言うシーンとか、もうこの浩三のまっすぐさに(//∇//)となるのです(当時、映画館で観た乙女達はきっとここでキャーキャー言ってたに違いない!)。男性主人公がステキって、メロドラマを楽しむ上での大事な要素であります(゜∀゜)

 

その後、敏子の存在を知って津村家に一人で帰って来た浩三は、悲しみをたたえた表情を見せます。捨てられた子犬みたいな切なさで、これまたすごくキュンキュンします(//∇//)(当時、映画館で観た乙女達は以下同文)。

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”浩三様”と呼ばれるのに違和感のないハンサムさであります(*´∀`*) ↓

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とか

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とかねヾ(o´∀`o)ノ

 

映画秘宝」(2017.4)の輝雄さんのインタビューでこの作品を撮る時の経緯をお話されていて、「今年の恋」のあとに茉莉子さんと再び組んで「愛染かつら」を撮ることになり、前作の参考試写がされたそうです。茉莉子さんからどう思うかと聞かれ、ストーリーが古すぎる、という意見だったそうなのですが、松竹の方から「松竹の大作品なのでぜひ二人でやってほしい」と言われた、とのこと。今作は俳優陣も本当に豪華で、佐田啓二さん、桑野みゆきさん、笠智衆さん、佐野周二さん、三宅邦子さん、沢村貞子さんと蒼々たる方たち。松竹の大作品を岡田茉莉子さんと組んで、豪華な俳優さんたちをそろえ、新東宝から移籍した輝雄さんを売り出すための力の入りようが想像できます。実際、この映画のヒットですぐに続編が作られることが決まったりしたようで、女性映画が強かったという松竹のメロドラマ路線をこの時期確かに支えた俳優さんだったんだな、と思ったり。

64年→65年の出演本数の変化がほんともったいないんですけど、それを経て石井輝男監督と再び組まれてからの作品は、また違うカッコよさを観ることができて(「ゴールドアイ」の吉岡さんなんて、輝雄さんのそれまでの役のなかでは実は結構レアなタイプなのだと分かったときの驚きたるや!)、次はどんな輝雄さんに出会えるか!引き続き50ウン年後のファンは追っかけていきたいと思うのでありました٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

五所平之助監督「100万人の娘たち」

安定のラブストーリーと、不安定な女性の自立の話。 

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【映画についての備忘録その45】

五所平之助監督×岩下志麻主演「100万人の娘たち」(1963年)

 

 一ノ瀬幸子(小畑絹子)・悠子(岩下志麻)の姉妹は宮崎交通のバスガイドだ。姉の幸子は東京で行われた全国バスガイドコンクールに出場し、優勝して帰って来る。その夜は悠子たち宮崎交通の同僚やバスガイド嘱託教師でホテルのフロント係の主任である小宮信吉(吉田輝雄)たちがそろって祝賀パーティーとなったが、有村日奈子(牧紀子)は一人暗い表情だった。元々は彼女が代表として出場する予定だったががノドを痛めてしまい、代役として出場した幸子が優勝したからだ。日奈子にとっては幸子は仕事上のライバルであり、また二人とも信吉に思いを寄せていた。悠子は、幸子に発破をかけ、また、信吉に会って、その気持ちを確かめるのだった。

やがて結婚した幸子と信吉。二人の結婚を祝福しながらも何かやるせない思いを抱える悠子彼女はその憂鬱な気持ちを晴らすため、同僚達とダンスホールに出かけ、そこで信吉のホテルの部下の柏木(津川雅彦)に声をかけられる。やがて二人で会うようになり、その噂に心配する幸子。幸子の心配もあって、悠子と会っていた柏木に声をかけた信吉は、柏木から、悠子が自分を愛している事を知らされ、自分の気持ちに気づく。そんな時、幸子に乳がんが見つかり、入院することになるのだった・・・。

 

 

古都のところで「観たい!」と書いていた輝雄さんと岩下志麻さんとの共演作「100万人の娘たち」。観る機会をいただきました。ありがとうございます!!もう、期待に違わぬ素敵な組み合わせのお二人。めちゃかっこいい!めちゃかわいい!でした(//∇//)(入口が吉田輝雄さんだったものだから、旧作邦画初心者なのに、五所監督とかもお名前を知ることになって、ほんとに良かったなぁと思います(๑'ᴗ'๑))

 

この映画のタイトル、“100万人の娘”というのは当時、東京で働くBG(ジネスガール)のこと。全国で200万人のビジネスガールがいて、そのうち100万人が東京で働いていた、ということだそうです。昨年、松竹大谷図書館でこの映画の資料を拝見させていただいたこともあって、“ビジネスガール” “バスガイド” “宮崎” と、当時の女性達のあこがれをつめて、女性の自立とか言ったことをテーマにした映画なのかな?というイメージでもって鑑賞しました。

(調べてみると、昭和天皇の第五皇女である清宮様の新婚旅行先(1960年)だったり、皇太子夫妻が訪問されたり(1962年)といったことで宮崎がこの頃から新婚旅行の行き先として注目されはじめた様子。また、バスガイドはやはりこの頃は女性の花形職業の一つだったようですし、大体イメージ通りかな、という。WikipediaによるとBGという言い方をやめてOLとなるのがこの年だそうです)

 

そして、そういった時代的な背景をひっくるめて映画を見終っての感想が見出し。メロドラマ、ラブストーリーとして観ると面白くまとめられた安定感のある映画だと思いました。ただ、もう一つのテーマであろうと思われる女性の自立の物語、という部分では、どこか的を射てない、実際とのズレがあるような、"想像する女性の自立の物語の型”を見ているような、何かしっくりこない気持ちで終わりました。

もちろん、私自身がこの映画の時代と違う時代を生きているので、私のほうがそもそもこの時代の感覚とズレているってことかもですが(笑)、過去に見たいくつかの、同時期に作られた映画(ここで備忘録を書いている「夜の片鱗」や「秋津温泉」、「秋日和」「女弥次喜多タッチ旅行」「肉体の門」「秋刀魚の味」「今年の恋」等々)にも、様々な職業で、仕事との関わり方も多様な働く女性が出てきていますが、それらに違和感のようなものを感じることはなかったので、やはりこの映画に対して感じる何かなのだと思いました。

で、その違和感のようなものの原因が何だったのかなぁ、と思い返してみて、その答えがわかりやすく凝縮されていたのが、バスガイドのゼミナールで東京に出てきた悠子が、東京でタイピストなどの働く女性達を見学している時にモノローグとして語られた台詞でした。

若い女性達がめざましく働いているのをみて胸を打たれた」

「この人達も私と同じような生活を送っているのかしら」

「全く同じ世代のこの女性達がいつの間にか私を追い越してずっと先を歩いているような気がしてならなかった」

悠子は宮崎で優秀なバスガイドとして働いています。バスガイドも立派な仕事。もっと言えば当時花形職業な訳ですから、憧れをもってみられる立場でしよう。宮崎であろうが東京であろうが、また、どんな職業であろうと、仕事を持って懸命に働いている女性に優劣などないと思うのですが、彼女は自立をするということを今の自分を否定することから始めているようで(ここには信吉への思いに悩む自分、という部分の否定でもあることは分かるのですが)。他の作品では自分のいる場所で懸命に生きている女性達でしたが、今作の悠子は自分の現在地を認めた上でステップアップして次へ行くのではなくて、否定して別の場所へ行くわけです。既に自分の居る場所で懸命に仕事をしている女性が、東京の他の女性達の姿と比較して自分を否定して、それを起点として、前向きな決断のように描かれている。何だか私にはそこに心情の移り変わり方という意味でのリアリティがないように思え、どこかしっくりこなくて、上述したような想像上の“型”を見せられているような印象をうけたのでした(例えるなら、メディアでもてはやされる若手論客の人が必ずしも若くなかったり、フェミニストの人の意見が女性の代表的意見ではないという、そういう”期待される型”を見せられているような感じ)。

 

 

と、自立の話としてはなんだかしっくりこなかった訳ですが、ラブストーリーの部分は王道のストーリーで、それがめちゃカッコいい輝雄さんとめちゃかわいい志麻さんの組み合わせで展開されるので٩(๑❛ᴗ❛๑)۶キュンキュンしながら楽しむことができました。

と、その前に。姉の幸子の結婚前と結婚後の変化がぞっとするほど上手く描かれています。結婚前は信吉に自分の思いを伝えることすらできなかった幸子。ライバルだった日奈子のほうは積極的に自分の思いを伝え、一方の幸子は「静かな女の人が好きだ」と言う信吉に選ばれるほどで。そんな幸子が結婚した途端に今でいうところの“マウントをとる”ような発言を連発(^-^;) 

結婚後に初めて二人の新居を訪ねた悠子に、幸子は色々と饒舌に話します。日奈子が会社を辞めたことについて「有村さんって自信家だったからショックだったのね、私達の結婚」とか、「女は結婚しないうちは一人前じゃないって言うけど、それ本当よ」「悠子にはまだ分らないのよ、家庭の味ってものが」等々。結婚前の幸子に発破をかけた悠子ですが、幸子が信吉にプロポーズされたことを話した時の悠子の態度に幸子は“何か”を感じ取ってはいて、でも“信吉に選ばれたのは自分”という自信がどこか無意識的に他の女性よりも上であるかのような態度や発言になります。うん、怖い(^-^;)そして、何とも言えない現実にいそうな感じ(結婚前と後では心境が変わってしまうというのは殆どの女性に共通する感覚かな、と)。

 

で、この幸子のナチュラルに上から目線な発言の変化に、女子的には悠子を応援したくなる展開に。

2人の結婚前は、自分から告白できない幸子に変わって信吉の気持ちを確かめに行ったりして(休暇を取って青島“鬼の洗濯板”で1人写真を撮っている信吉のところへやってきます<TOP画像の場面>。この映画は宮崎の観光地や景色も楽しめます)、幸子の恋の“ディレクター”を買ってでていた悠子。で、信吉から日奈子は眼中になくて幸子が好きだと聞いて安心しながらも、どことなく寂しげな表情に。信吉のことが好きなのにお姉さんの恋の応援しちゃうのね、っていうのが分かります(>_<)信吉のほうは悠子の気持ちには気付いているのかいないのか、気付かないようにしているのか、妹としてしかみていなくて、「悠ちゃん(の結婚相手)にはおとなしい人のほうが合うのかな」なんて発言で無意識に悠子を傷つけてしまうし(・д・)なんだこの王道の展開!なんとも切ない!(信吉のこの鈍いのが輝雄さんの素直そうな感じとあってるし、悠子の妹らしく振る舞おうとする姿は志麻さんの可愛らしい表情なのに凜とした雰囲気にはまっているしで良いです(๑'ᴗ'๑))

そして、信吉のことを忘れようと悠子は柏木とつきあうようになる訳ですが、逆に信吉に自分の気持ちを知られることになり、信吉もまた自分の気持ちに気づき。。。しかもこのタイミングで幸子が乳がんで入院。悠子が信吉の身の回りの世話をしたり、幸子の病院の支度をしたりすることになり二人で過ごす時間もできる訳なのですが、それでも義兄と義妹であろうとする二人。で、これまた王道の展開で切ないんだ!

 

【悠子のことで柏木と喧嘩して怪我をしてしまった信吉に謝る悠ちゃんに「たった一人の妹だもの」という信吉。「妹だったのね、私」と言う悠ちゃん。この二人、ほんと似合ってるわ】

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ある日、接待で飲みに連れられて夜遅く家に帰ってきた信吉。そこには仕事と姉の看病で疲れて、信吉の机(上の写真参照)で寝てしまっていた悠子が。そんな悠子を優しい目で見つめます【ここ、すんげーカッコいいです(//∇//) ↓】。

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信吉が帰ってきて目を覚ました悠子に、酔い覚ましのお水をお願いして、もってきて貰う間に、机の引き出しから青島で撮った写真を取り出して渡す信吉(とっくに現像してたのに、幸子のことを思って渡せずにいたのかなぁ、とか想像してしまってこれまた)。見つめあって気持ちがあふれてしまい、「好きなんだ」と悠子にキスをしてしまいます【ここもすんげーカッコいいです(//∇//) ↓】。

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悠子は幸子のことを思って、必死にその手を振りほどきます。この悠ちゃんがまた純粋な感じでかわいい(≧∀≦)

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とか、悠子と信吉にキャーキャーしつつも、最後は幸子のことを思ってこれ以上踏み込むことはなく、元の義兄妹の関係であることを選びます(そもそも姉妹両方好きになるってどうなんだよ、信吉!とかいうのはありつつw)。

そして、幸子の死をきっかけに、悠ちゃんは東京へ、信吉は宮崎へ残って…という最後はドロドロした愛憎劇にならない(何というか、「あ、釣りバカ日誌とか寅さんとか、そういうの作る会社だもんね!」みたいな。寅さんみたことないけど(^-^;))この安心感!ということで、ラブストーリーのほうは輝雄さんと志麻さんの組み合わせで、難しいこと考えずに楽しむことができました(*´ー`*)

 

 

さて、以前ここでも書いた、松竹大谷図書館で見たこの映画の資料。制作が決まったばかりの頃はこの信吉の役は佐田啓二吉田輝雄ってことで発表されていて、幸子役がなかなか決まらず、幸子を演じる女優さんによって、どちらかがキャスティングされるということでした。

kinakossu.hateblo.jp

 

 

結果的に当初名前があがっていなかった小畑さんになり、輝雄さんが信吉を演じる事になったようですが、小畑さんとは新東宝時代に姉弟役として共演されていたようで、確かに二人の並びはちょっと夫婦っぽくはなくてw でもまぁ、とにかく、結果として輝雄さんと志麻さんの組み合わせとなり、2人のシーンをたくさん観ることができて良かったなぁ、と思うのでありました。しかし、「秋刀魚の味」も「古都」も今作も結局ハッピーエンドな感じじゃない(古都は結婚するけど、あんまりそういう描写ないですしw)のが勿体ない。+゚(*ノ∀`) もっと二人の組み合わせの作品を観てみたかったなぁ、と思うのでありました(あー、もう「大根と人参」!)

 

しかし、ほんとカッコいいなぁ、輝雄さんヾ(o´∀`o)ノ (結局、これが言いたかったんかいw)

 

ちょっとこの映画の興味深い論文を発見したのでこちら

清水宏監督「有りがたうさん」

 普通の人達のありのままを肯定されたような、そんな映画 

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【映画についての備忘録その44】

清水宏監督×上原謙主演「有りがたうさん」(1936年)

 

伊豆の峠を越えて走るバスの運転手の青年(上原謙)。彼は峠道ですれ違い、道を譲ってくれる人達に「有りがたう」と声をかけて走るので「有りがたうさん」と呼ばれている。

今日、彼が運転するバスには、傲慢な紳士、東京に売られていくらしい娘と彼女を駅まで送るという母、流れ者らしい美しい黒襟の女(桑野通子)らが乗り合い、道中、様々な人達とすれ違いながらバスを走らせる。

 

 

神保町シアターの「生誕115年記念 清水宏小津安二郎 ふたりの天才が残した奇跡の映画」特集で鑑賞。初・清水宏監督です。

こちら、観ようと思ったきっかけはこの下手っぴなブログに優しいコメントをくださるsmoky様。清水宏監督も小津監督と同様に日常を丁寧に描かれる監督さんであること、またこの桑野通子さんが素敵ですよ、と教えていただいて、観ようと思っていたところに神保町シアターで上映されることを知りました。そこで、「秋刀魚の味」と一緒に鑑賞できる日(ここ大事)を狙い、(そのため会社の通常スケジュールより1日早く仕事納めしてw)行ってきました!事前の知識はそれだけで観ていたら、まさかの川端康成原作(古都に続き!)、まさかのロードムービー。(これでやっと、異常性愛路線から気持ち的に引き剥がしてもらえましたw)

 

いつも長々と書いてるストーリーが今回めちゃめちゃ短いのですがwこれで十分にストーリーの紹介可能な作品。バスは伊豆あたりの山間部を走り、峠を越えて駅まで向かいます。バスに乗る人、すれ違う人、それぞれの人生を台詞を通して観る側に想像させます。

 

全部で78分という短さで、これがまた良くて。黒襟の女や東京に売られていく娘というメインの乗客の話ももちろん、バスの中からすれ違うだけの人、言葉を交わすだけの人。短いなかに沢山の人達の人生が立ち現れ、決して深く、深刻には突きつめず、「この人たちはこの後どうなるのかな」という想像をさせ、それが、各エピソードを強く印象づけ、気持ちを残します―道路工事の現場を渡り歩く朝鮮人の家族(当時はこういうことがあったんだ、という驚きと)、レコードを買ってきてほしいと有りがたうさんに頼む村の娘、バスに乗ったことのない旅芸人の家族、好きな娘が売られていってしまって気がふれてしまった男、出産のために呼び出される医者が取り上げるであろう子供たち―貧しい中に懸命に生きる人達が報われますように、と。

 

で、かと言って湿っぽいお話にならないところがこの映画のステキなところ。

“有りがたうさん”はめっちゃ好青年ですが(すれちがうニワトリさんにすら「ありがとう」と言っちゃうくらいw)、それでも自分の分をわきまえているというか、結局はバスの運ちゃん(こんな時代から運転手のことを運ちゃんと呼ぶのか!っていうw)で、自分のできることはしれていて、そのできる範囲で助けてあげる、という感じ。自分から人の人生に首突っ込んで云々、なんて人情劇みたいなことはしません。

黒襟の女は売られていく娘にかつての自分を重ねている様で彼女を気にかけているのがよく分かるのですが、彼女もまたお節介を焼く風でもなく、娘を売ることになってしまった母親を責めるわけでもなく、この母娘の決断をやむを得ないことと受け入れています。

その姿がとても自然で(普通の生活を営む人間にとっては、他人に心を寄せることはできても、実際の手助けができるわけではないと思うので)、それに対して誰かが責めるでもなく、いわゆる市井の人々の一生懸命に生きている姿というものをそのまま肯定してくれて、スクリーンに映し出しているようでした(湿っぽくなかったのは、髭の紳士の傲慢ぶりが笑いを誘ってくれたというのもあるのですがw)。

 

さてさて、黒襟の女を演じた桑野通子さん。拝見したのは「淑女は何を忘れたか」以来の2作目でしたが、自身の重ねてきた苦労と、おそらくはそれによってどこかすれてしまった自分に対して、誰かを恨む風でもなく現状を受け入れて、それでも何かぎりぎりのところで踏みとどまっている、そんな女性をとても素敵に演じておられました。だから、あの最後の展開も、”彼女ならそんな風にするよね”って言う自然な流れのように受け入れられ。魅力的な女優さんだったのだなぁ、と改めて思った次第。(上原謙さんも2作目・・・って1作目は同じく「淑女は何を忘れたか」で歌舞伎座で時子たちに見かけられるご本人とかいう一瞬だったのでwお顔をじっくり拝見するのはこれが初!・・・でしたが、さすが松竹三羽烏って感じの格好良さ。息子さんも二枚目ですが、全然種類が違っててびっくりしました)

 

 私にとっては1作目の清水宏監督作品。まだたった1作ですが、それでも神保町シアターが小津監督と同時に特集されたことの意味が分かるに十分な映画でした。

 

 【本筋と関係ないとこのメモ】

「ありがとう」のイントネーションが最初なかなかなじみませんでしたwたぶん、西日本と東日本で「ありがとう」のアクセントの位置が違うせいなのかな(西日本育ち)。高校の演劇部の時にめっちゃ直されたことを思い出しましたw

と、小津監督の作品も、台詞回しが独特ですが、こちらもかなりおっとりとした特徴的な演技をみなさんされていました。清水監督作品はみんなこんな感じなのかしら、と2作目を観るときを楽しみにしています。

中村登監督「古都」

 本心はどこにあるのか。冷たい空気はどこから来るのか。 

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【映画についての備忘録その43】

中村登監督×岩下志麻主演「古都」(1963年)

 

 

京都にある老舗の呉服問屋の一人娘・千重子(岩下志麻)。幼馴染みの真一(早川保)と花見に出かけたその日、「私は捨て子どしたんえ」と打ち明ける。呉服問屋の一人娘として何不自由なく育ったが、自分は店の前のべんがら格子の下に捨てられていたのだと。しかし、父も母も千重子を慈しみ、また千重子も愛情を十分に感じて育った。

父・太吉郎は商売よりも帯の下絵を描くことに熱心で、千重子のために描いた下絵を西陣織の職人・宗助の元へ持ち込む。その下絵をみた宗助は息子の秀男(長門裕之)に織らせたいと言う。下絵を酷評して一度は織ることを拒否した秀男だったが、後日、その帯を織り上げて太吉郎の元へ行き、太吉郎を驚かした。

ある日千重子は、清滝川に沿って奥へ入った北山杉のある村を訪ね、杉の丸太を磨いている女達の中に自分そっくりな女・苗子(岩下志麻)を見つける。

そして夏。祇園祭の夜、千重子は苗子に出会う。苗子は千重子をみて、「あんた姉さんや」と声をふるわせた。千重子と苗子は双子の姉妹だった。しかし父も母もすでにこの世にはいない、と告げると苗子は身分の違いを思い雑踏に姿を消す。その苗子を見た秀男は千重子と間違えて、帯を織らせてくれと頼むのだった。一方、自分の運命を思い憂いを顔に浮かべて歩く千重子は、真一に声をかけられ兄の竜助(吉田輝雄)を紹介される―。

 

 

また、備忘録の作品の並びが極端から極端に振れてしまいました(笑)

今年の1月に観てから、先日ついにDVDを購入し、約1年ぶりの鑑賞です。異常性愛路線でなかなかに荒んでしまった心を洗う作品を、ということで。で、洗われた感はあるのですが、心温まるとかいう映画でもなかったため( あ、早川保さんのほんわかした感じには癒やされました。早川さんが輝雄さんと同い年―1936年の3月生まれと4月生まれで1ヶ月も違わない―というのにかなり驚く)、志麻さんのかわいさと、輝雄さんのかっこよさにうっとりしたものの、あの世界から十分に引き離してもらえず、なんかまだ尾を引いてるんですけど(^-^;)

 

私、原作は読んだことなくて、それどころか川端康成の小説自体一冊も読んだことのないヤツなので(お恥ずかしいことですが(^-^;))、映画を補完する知識はゼロの状態。小説のもつ機微を丁寧に映像化したらこうなのかな?とは想像しつつも、全編を通してどこか冷たい空気を感じていました。

 

それが何なのかを観た後に考えてみて、京都弁のしなやかさ、美しい映像、そこに京都人気質としてイメージするもの、これらが重なった故かな、という結論。

 

千重子と両親、苗子、秀男と宗助の親子、殆どの登場人物が、相手を傷付けたり困らせたりしないように、本当のことは言わない、と言うような人達です(秀男も下絵を酷評しておいて(^_^;本心じゃないこと言ってしまったんだ、みたいなフォローが入ります)。

 

志麻さんの二役、千重子と苗子の双子の姉妹はどちらもよく似て細やかな気遣いをする繊細な女性ですが、苗子のほうはどうしても伝えたい大事な気持ちだけは素直に言葉に出てしまうのですが、千重子は本当の気持ちがどこにあるのか、誰かを傷つけたりしないように、本心を覆いかくして生きているように見えます。

 

苗子は千重子のことを、育ちが違うということ、そして捨てられてしまった姉ということでとても気遣いますが、「あんた、姉さんや!」と言った祇園祭の夜も、秀男に結婚を申し込まれたことを千重子に話したときも、感極まって素直に気持ちを言葉にすることがあります。

「秀男さんはお嬢さんの幻として苗子と結婚したい思いやしたんどす」

「幻には嫌になることがおへんやろ。」

「秀男さんの胸の底の底には千重子さんが深う入っておりやすのやろ」

 秀男を好きなのだけれど、千重子の身代わりとして愛されるのは嫌だ、という正直な気持ちを千重子にぶつけてきます。一方の千重子は、太吉郎の下絵を織り上げて持ってきた秀男に「帯を織らせてほしい」と申し出を受けているので秀男の気持ちに気づいているはずですが、

「そんなことあらしまへん」

と頑なに否定します。

また、秀男の申し出をきっぱりと断るのではなく「苗子のために織ってほしい」と返すのは、何とも思っていないからなのか、職工と問屋の娘という立場の違いであり得ないことだと思っているのか。秀男に対してもやはり相手を傷付けないように、という優しさを感じます。この優しさがかえって秀男と苗子に複雑な感情を引き起こし、心の中に蓋をしてしまっておいたような何かを、手に取るような状況に追い込んでしまっているよう。

京都弁の柔らかい響き、本音と建前を使い分けると言われる京都人の気質、千重子の優しさ。これらが千重子の本心を覆いかくしていて、そしてその優しさが、私にはかえって、別の角度から見ると残酷に見えてそれ故にどこか冷たい空気が漂っているように思えたのかなぁ、と。

 

そして、絵葉書のごとく美しく映し出される京都の風景。祇園祭時代祭の華やかさも、北山杉が毅然として聳え立っている京都の山々も、その美しさ故にかえってそこに個人の物語が入ってくる余地がなさそうに見えて、これもまた拍車をかけて、何か温かさというところか距離を置いているように見えてしまいました。

 

そんななか、武骨なほどに自分の気持ちに正直に行動しているのが輝雄さん演じる竜助。“猪武者の竜助”と家族に呼ばれていて、まさにその名の通り、真っ直ぐに前に進んでいきます。初めて会った祇園祭の夜も、一目見て千重子に好意を抱き、真一に家まで送ろうと言われて「すぐ近くやから送ってもらわんかて」と断る千重子を「お近くやからよけい送ります」と家まで送ります。太吉郎が問屋の商売を専務に任せっきりにしていることを心配して千重子に専務にキツく当たってみるようにアドバイスをしたり、千重子から捨て子だと聞かされて

「うちの店の前に捨ててくれはったら良かったのに」

「赤ん坊の千重子さんを育てたかった」

と言い切ったり。

そして、千重子の傍にいたいという思いから、太吉郎の商売の手伝いをかってでます。自分はもっと大きな呉服問屋の長男だというのに、その気持ちは父親に廃嫡してもいいと言わせるほどにまっすぐ。この映画の登場人物のなかでは異色の人間。千重子も竜助の正直さ(と、真一の幼なじみとしての優しさも)と対峙しているときは自分の気持ちや意志といったものに正直に行動しているように見えます。

父の下絵の帯ばかりをつけ(千重子だけがつけてくれる、という父の台詞にその帯が評価の高いものではない、ということが分かります)、案に煮詰まる父に寺の離れを借りて描いてみたら?といったり、商売人としては失格である父の、それでもその父の思いをくんで行動していた千重子。それまで商売に口出しなどしたことのなかった彼女が、専務に意見を言い、そして、店のためか自分自身のためか、自分の父親を助けて働く竜助を見て竜助との結婚を決意します。ここには自分の意志が存在しているのが分かり、終始どこか冷たい空気が流れるこの映画のなかで、千重子と竜助(そして真一も)の場面にはいくらかの熱を感じられるのでした。

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さてさて、輝雄さん出演作品なのでやはり触れずにはおれないよね(//∇//)ということでw本作の輝雄さんは竜助の人物像とこの映画の空気にピタリとはまる存在感です。「お近くやからよけい送ります」とか有無を言わせぬような感じに演じていて、これが良いとこの坊ちゃんで頭もキレる、何かする前から上手くいくだろう、みたいな自信をもってそうな(「兄さんのいつものきつい自信や」と真一に言われるくらいの)竜助の“猪武者”ぶりを上手く感じさせてくれます。表情も、少し前までw三原葉子さんに振り回される男の子って感じがピッタリだったのに、もう、自信たっぷりなハンサムさんの顔です(๑'ᴗ'๑)

というわけで、竜助の出番は決して多いわけではないのですが、長門裕之さんの秀男に負けず劣らずで、千重子に変化をもたらすには十分な魅力があり、岩下志麻さんの二役に注目が集まるであろう「古都」ではありますが、それを引き立てる輝雄さんの竜助もとてもステキなのでありました(๑'ᴗ'๑)

 

 

中村登監督、輝雄さんとの組み合わせは他に「愛染かつら」の二作と「求人旅行」があって、どちらも未見なのですが(求人旅行だけネットで少し見ましたが)、「古都」では魅力をしっかり引き出されているように感じ、残りの三作品もいつか観られたら良いなぁ、と思う次第。「愛染かつら」なんて、なんでDVDにしないんですかー!>松竹さん!

この演劇っぽい決めショットも、輝雄さんだと違和感なし。

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そして、志麻さんとの共演作はこれと「秋刀魚の味」そして未見の「100万人の娘たち」の三作品。個人的には小津安二郎監督が「大根と人参」で2人が結ばれるストーリーとしたのも納得できる相性の良さを感じ、たった三作品しかないのがかなり残念に思うのでありました(この時期は岡田茉莉子さんとの共演も続いていますが、茉莉子さんよりも志麻さんの組み合わせのほうが似合ってる気がします)。

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そして、この映画、触れておかねばならない気がする音楽。武満徹さんが担当されています!!(でも、なんか「ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説」の映画音楽ってこんな感じやったなぁ、と思ってしまいました。これで良かったんか?監督は?)

 

 

あー、つか、どうして中村登監督の作品はこんなに感想がとっちらかってしまうんだ!「夜の片鱗」も全然まとまらなかったし。+゚(*ノ∀`)それだけ、“何か”を残す監督さんなのよね、という、文才のなさに目を瞑った言い訳で終わり。

 

【2019/1/29追記】

川端康成の原作「古都」を読了。映画よりも自然や四季を通じて心情を描く、という感じが見てとれ、映画よりもあたたかさもあり。心情の変化を緩やかにおいかけることができました。そして、竜助は原作の中でもやはり描かれ方は他の登場人物と違っていて、輝雄さんの竜助がまさしく原作の雰囲気にぴったりであったなぁ、と思うのでした(出番多くないけど、この役ほんと好き)。

 

石井輝男監督「徳川いれずみ師 責め地獄」

 エログロと笑いと悲恋物語のバランスが絶妙な娯楽映画

 

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【映画についての備忘録その42】

石井輝男監督×吉田輝雄主演「徳川いれずみ師 責め地獄」(1969年)

 

夜。一心不乱に墓を掘り起おこす由美(片山由美子)。彼女はそこに埋められている弦造の腹を引裂いて鍵をつかみだした。 その鍵は彼女にはめられた貞操帯を開ける鍵だ。鍵を探しながら、由美は自分の身の上を思い返す。

彼女は両親の残した借金の返済のため、与力鮫島の口ききで大黒屋に奉公することに。しかし、そこは女に刺青を入れさせて身体を売らせる売春宿だった。刺青師彫秀(吉田輝雄)にその美しい肌をゆだねることになった由美。女主人のお竜や下男の弦造は由美に執着し、自分のものにしようと責め立てる。そんな日々のなか、由美にとっては彫秀と過ごす時が心の救いであった。

一方、彫秀は師匠・彫五郎の娘・お鈴(橘ますみ)と将来を誓っていたが、兄弟子の彫辰(小池朝雄)もお鈴を欲しいと、将軍・綱吉上覧の刺青競演会で勝ったほうをお鈴と夫婦にすると、彫五郎に約束させる。

彫秀に嫉妬するお竜の企みで、彫秀が墨を入れた由美の背に、彫辰が入れ墨を入れ、二人は同じ女の背で競い合うこととなる・・・。

 

 

 

12月に入って、怒濤の「異常性愛路線」作品の放送が始まった東映チャンネル。吉田輝雄ファンにならなかったら知るよしもなく、知っていたところでタイトル見た時点で吉田輝雄ファンじゃなかったら絶対に観ようと思わない種類の映画たちなのですが(^-^;)しかし、ファンにになったからにはいつか通らねばならない道(^_^;でも、やはり気持ち的にはかなりハードルが高くて観られなかった三作品(1番最初に観たのが、たまたまチャンネルnecoでやっていた「明治大正昭和 猟奇女犯罪史」だったので衝撃が大きすぎて、ご出演作の中では機会としてはレンタルなどで観やすい作品ではありましたが、アクセスのしやすさに反してなかなか手がつけられず(^_^;)をここで一気に鑑賞しました。「徳川女系図」「残酷・異常・虐待物語 元禄女系図」そして今作です。これで全て制覇。我ながら頑張りました(笑)

せっかく全部制覇したのだし、やはりこの路線も感想をつけておかねばなるまい(何の使命感)ということで、見終わったあとに「(エログロはやっぱり強烈だけど(^_^;)映画全体として面白い娯楽作品だった!し、輝雄さんもかっこよかったし!」と感じた今作について感想をつけておきたいな、ということで書くことにしました。

 

 

で、面白い娯楽作品だと感じた要因は見出しの通り。大分、男性好みのほうへ寄ってはいますがw観客が楽しめる作品を作るということに全力を注いだような、エログロと笑いと悲恋のストーリーという「こういうの理屈抜きで楽しいでしょ(゜∀゜)」みたいなものをギューッと詰めこんだ、ある意味贅沢な作品でした。

 

 

エログロのほうは、初っ端、墓を暴いて弦造の腹を割いて鍵を取り出し、貞操帯の鍵穴にはめる、というシーンからもう結構なショック。しかし、悲壮感がにじみ出ている由美がキレイで、単純に衝撃的、という表現にはおさまりません。

全体的に1作目の「徳川女系図」がとにかく「おっぱいいっぱいだぞ!だけどなんか並んでるだけだぞw」みたいな映画だったのと比べ、(こちらも売春宿が舞台でいれずみ師が腕を競うというストーリーなので裸の女性がめちゃめちゃ出てくるわけですが)後ろからとか下からとか、あけっぴろげに並べるのではなくてキレイに撮ることを意識されているようなシーンが沢山あり、これが「石井輝男監督作品」「異常性愛路線」という看板じゃなかったら映像の美しさ、という視点で語られるかもなぁ、なんて思えるほど(でも、やっぱりエログロなんですけどσ(^_^;)。彫秀が由美の背にいれずみを入れるシーンは、夢中で彫る秀と痛みに耐えながら墨を入れられる由美の関係性は、なんなら、画家とヌードモデルの退廃的なムードのラブストーリー(時代劇に対してラブストーリーという表現はすごい違和感だな。きっと、もっと相応しい表現があると思うのですがσ(^_^;)といった風。んでまた、秀に思いを寄せる由美と、そんなことは露ほども気付かず、お鈴のために由美に彫りものを入れる秀という、このすれ違いが切なかったり。

 

 

笑いのほうは石井監督お得意の!と言った感じの由利徹さんによるおバカなシーンがちょいちょい挟まれ、グロいシーンも多いこの映画で清涼剤みたいな感じw今回は由利徹(と、大泉滉さんの)女装&まさかの女性の吹き替えとかいう変化球で「アホやなー」と多いに笑わせていただきました(吹き替えとか何で思いつくのさ!)w

 

 

そして悲恋物語の部分。互いに愛し合っている彫秀とお鈴をめぐって、由美と彫辰の伝わらない思いが描かれていて、クライマックスでの秀とお鈴の悲しい結末を際立たせます。

彫辰はお鈴と夫婦になりたいために策を講じます。

その一つが刺青競演会での勝負。強引ではあるけれど、なんとかお鈴を手に入れたい。そして、そこで勝つために美しい肌を、と既に秀によって刺青をされた由美の背を彫ります(秀の刺青はある仕掛けがないと浮き出ないため、パッと見は辰の刺青だけが見えます)。秀と過ごした時間を大切に思っていた由美にとっては、競演会で秀のいる前で、辰の刺青の入った背中を露わにすることの哀しさはいかばかりか。しかし、とうの秀はそういう感情が殆どなくて、お鈴と夫婦になるためには何としても勝ちたい!そのための渾身の刺青です(自分の作品を辰に汚された!と、芸術家のような感情でこのときの由美を見ています)。ここでも全く届きそうもない由美の秀への思い。で、辰もなんとしても勝ちたいわけですが、その感情がお鈴の背中を彫るほうへ直接向かうのではなくて、「他の誰かの美しい肌」へ向かいます。辰は二人を邪魔する嫌なやつなんだけど、お鈴への愛は真っ直ぐで彼女を無闇に傷つけたりはしない。秀とお鈴を取り巻く由美と辰の気持ちの行き場のなさが、二人の結びつきの強さを感じさせます。

そして、もう一つが、彫五郎殺害の冤罪を秀にかぶせるように証言すること。長崎の出島で外国人相手の商売を考える鮫島とお竜。(彫辰の腕を買ってか、お鈴に外国人相手の売春をさせるためか)彫五郎を殺害した二人は、辰を脅すような形で秀が殺したと証言させ、秀を島流しにします。辰は2人に協力して秀を島流しにすればお鈴を自分のモノにできる、というお竜と鮫島の口車に乗り、また、お鈴は秀に会わせてやると言われ、二人は大黒屋や罪人の女たち(これも出島で身体を売らせようと鮫島が連れてきた。この中に由利徹さんと大泉滉さんw)と一緒に船で出島まで行くことになります。

騙されて出島まで来て、辰に刺青を入れられてしまうお鈴。辰は念願だったお鈴を手に入れられる。

お鈴は、秀の「必ず戻ってくる」という約束を信じ、秀が島を抜けて迎えに来てくれるのを待ちます。しかし、秀以外に見せることなどあり得ないと思っていた肌に、辰に刺青を入れられることになった恥ずかしさと苦痛。刺青が彫りあがった時、実は売春宿の外国人へ売られるのだと知って、その絶望は極まり毒薬を口にします。島を抜けた秀がついにお鈴の居場所を知り、二人は再会するのですが、時すでに遅し。再会の喜びに静かに抱き合いながら、そのすぐ後に二人を襲う絶望。「ロミオとジュリエット」のようです。

お鈴役の橘ますみさんは健気に生きてるのに幸薄い役にはまりまくってるし、輝雄さんも安定の男前ヒーロー(ダークヒーロー)な展開で彫秀さんめちゃめちゃカッコいいし(//∇//)、「異常性愛路線」の看板ながら、切ない悲恋物語

 

 

この後、彫秀はあっという間に(^_^;復讐の鬼と化して(もう少し悲しめ!)破滅に向かい、キレイなままで話が終わらないあたりはやはり「異常性愛路線」なのねって感じではありましたが、最後まで観客の求めるものを追求して作った娯楽作品、という感じで、石井輝男監督のヒットメーカーとしての矜持を感じた映画でした。

そして、見終わった後にあれこれ検索していたら、長谷川博己さんが好きな映画にこれをあげているというのを知って、「シン・ゴジラ」に続き、長谷川さんの好感度がアップした案件でありましたw

 

あー!あと、出島の中を逃げ回るシーンも面白かったなぁ!

 

【異常性愛路線まとめ】

全部がっつり感想を書くにはハードなこの一連の作品群(^_^;ここで思ったことをまとめてつけておきたいと思います。

 

「徳川女系図」(1968年)

シリーズ1発目。人間不信の将軍・綱吉というちゃんとした筋もあるんですが、それより、アホっぽいエロシーンの印象が強すぎてwなんだか場末のスナックのような感じのエロさというか(^_^;(場末のスナックとか入ったことないですけどw) 肝心の(!?)輝雄さんも白く塗られすぎだわ、監督も輝雄さんも初の時代劇かと思うのですが撮るほうも撮られるほうも見せ方が馴染んでない感じがしてカッコよくない!何とも言えない違和感(^_^;キャラ的にも当事者としの主人公だし(他は狂言回しの第三者だったりする訳ですけど)、当時これを観た吉田輝雄ファンの女性の方達のショックやいかばかりか、と想像してしまいましたσ(^_^;(だって50年後に観て相当な衝撃ですよw)

 

「異常性愛記録 ハレンチ」(1968年)

いや、もう、吉岡さんかっこいいー!王子様だわー(っ´ω`c)でしたw

「愛してるんだよーん」の若杉英二さんの深畑さんの気持ち悪さがまたすごくてw典子ちゃん、逃げてー!!王子様早く助けてあげてー!って感じw

特に王子様ぶりがステキだったのが(何の感想だw)朝早く湖畔を2人で散歩してて道の真ん中でキスをしているとジュースを配達するトラックが走ってきてクラクションを鳴らされるシーン。恥ずかしそうに離れる二人、で、吉岡さんはさらりと「ねぇ、2本分けてよ」とトラックの運転手に声かけます。何このスマートさ(//∇//)(って、この映画でそこにキャーキャー言うヤツはお前だけだ)吉岡さんと典子のシーンだけは王道のラブストーリーのようで別の映画を観ている気分でしたw

そうそう、今作ではとことん気持ち悪いオッサンだった若杉さん、「徳川いれずみ師 責め地獄」では綱吉役で登場。その姿はかつて二枚目の時代劇俳優として名をはせていたことがよく分かる姿でした。

 

「残酷・異常・虐待物語 元禄女系図」(1969年)

これはもう、輝雄さんの格好良さも吹き飛ぶ作品(^-^;) 山本豊三はイヤなやつだし、石濱朗さんは毒のない二枚目かと思ったらすんごい下僕具合(^-^;)松竹では文芸作品なんかに出られていた人達がこの役(まぁ、そもそも輝雄さんもそうなんだけどw)って言う衝撃と、小池朝雄さんの狂気の殿様とその残虐な描写が強烈で。闘牛士みたらしばらくこれ思い出しそうな状況(^-^;) そして、ストーリーに絡むのにほぼ何もしない吉田輝雄。不思議なポジションの役でしたw

 

「明治大正昭和 猟奇女犯罪史」(1969年)

最後の「何も解決してへんやん!」という唐突な終わり方と、狂言回しに徹する輝雄さん(あと安部定にインタビューしてたけど)というハンサムさんの無駄遣いに呆然としてw終わった作品wこれはエログロもグロいほうに極まっててキツくて(最初に観たのでショックが大きすぎたのもあるかな)、再視聴することはなさそう(^_^;

 

「温泉あんま芸者」(1968年)

おバカ展開が過ぎてまともに観れなかった作品(^_^; 橘ますみさんが可愛かったことと、輝雄さん(吉岡先生)がカッコよかったことだけしか記憶にない。今観たら違った感じで面白く観られるかなぁ。

 

「徳川女刑罰史」(1968年)

一話目の橘ますみさん×輝雄さんの兄妹のお話はこれまた美しい(畜生道に堕ちるけど)。この路線で石井監督が大事に撮った二人なのかなぁ、と思います。お兄ちゃんは包帯巻いて寝たきりだったので、ハンサムさを十分には発揮できずw

輝雄さん二役の吉岡(同心)はやっぱり、何もしない狂言回し的な役割でw二話目の賀川雪絵さんと三話目の小池朝雄さん、渡辺文雄さんのクレイジーさが強烈な作品でありました。上田吉二郎さんも忘れずに。

 

 

全体として、今これを封切り作品として劇場にかけたらフェミニストの方々からすごい批判がきそうな映画ではありましたが、ただ、橘ますみさんや賀川雪絵さんはもちろんのこと、片山由美子さんや尾花ミキさんなど、(撮影はとっても大変だったとは思いますが)女優陣は皆さん各々個性が光る美しさで、それも印象的でありました。

木下恵介監督「風前の灯」

スラップスティック、じゃなくてブラック。

 


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【映画についての備忘録その41】

木下恵介監督×高峰秀子主演「風前の灯」(1957年)

 

都内の駅前。上京してきたばかりで行くあてのなさそうな青年に声をかけ、無理やり仲間に引き込む不良二人組み。かねてからある一軒家に狙いを定めていて、強盗に入るつもりでいるのだ。

その家には強欲な老婆・てつ(田村秋子)と息子の金重(佐田啓二)・百合子(高峰秀子)の夫婦とその子供、そして下宿人の女性が一人住んでいる。金重も百合子もてつにしょっちゅういびられてイライラ。そのうち、溜め込んでいるはずの財産もこの家も自分たちのものになるのだからとひたすら我慢の日々である。

不良たちは家の住人が女一人だけになったところを見計らって強盗に入るつもりで見張っている。しかし、金重が新聞懸賞で“売れば5万円にはなりそう”なカメラを当てたものだから、それを目当てに人が出たり入ったり。なかなか女だけにはならない。さらには柔道も剣道も有段者だという甥の赤間(南原伸二)まで現れて…。

 

 

U-NEXTの配信で観ました。U-NEXTのこの映画の紹介が「スラップスティックコメディ」となっていて、「喜びも悲しみも幾年月」コンビでスラップスティックコメディ!?と興味津々。木下作品のコメディは「今年の恋」を鑑賞済み。「今年の恋」は輝雄さんと茉莉子さんの美しさを楽しむのはもちろんのこと、助演陣も含めて軽快な台詞の掛け合いが楽しく笑いどころが多かったので、スラップスティックコメディっていうならかなり笑えるのではないかと、期待値あげて鑑賞開始。

 

が、これが良くなかった(^_^;前半は笑いポイントはいっぱい撒かれているものの、残念ながら今から観るとテンポも場面の展開もやや冗長に感じてしまい、期待値高かった反動か、監督の思惑通りにはいかず、こちらはいまいち乗り切れないまま映画がすすみます。

 

たくさん用意されていた笑いのポイントは大小様々で、例えば…

・てつが孫に蒲鉾を切り分けてやるのに、自分のは分厚く、孫には薄っぺらく切り分ける!

・いびりまくるてつと負けない百合子!

・不良たちが押し入ろうとするたびに誰かがやってきてなかなか押入れない!

・映画が好きなてつ(部屋の中に誰か俳優さんの写真がめっちゃはってあったw)がどの映画を観にいこうかと新聞の記事を眺めているなかに「楢山節考」が(この映画の翌年に実際に木下監督が作っているんですね)w

・カメラを売った後に手に入るであろう金を目当てに出入りする妹や金重の勤め先からの使い

・下宿している女性が出て行ったその日に次の下宿人になる男性(百合子の妹の彼氏。小田原の大きな蒲鉾屋の息子)がやってきて、と思ったら女性も戻ってくるわで喧嘩に。

・新旧下宿人の互いの彼氏、彼女も加わって大喧嘩が、いつのまにやら仲良くなり、「喜びも悲しみも幾年月」の主題歌を4人で仲良く合唱。それを口論してた金重と百合子が聞いて苦笑

…などなど。

不良のシーンやお金目当てに出入りする人達、下宿人の喧嘩のくだりなんかは文章にしてるとまさにコメディの鉄板といった風な展開なのですが、俳優さんたちの台詞が聞き取りづらかったり、上述の通り掛け合いのテンポも歯切れ良く感じず、思ったほど笑えず(^_^;(この辺は多分、現代の笑いとの違いなのでしょうね)

 

しかし、そんな前半にひとり気をはくw佐田啓二。木下監督作品ではめちゃめちゃ美しいはずの佐田さんが、今作については上だけ黒縁になっているメガネ(ブローとかいう種類)でオールバックの靴屋の店員。あの美しさはなりを潜めw安月給で母のいびりに耐えながら同居せざるを得ない、いかにもうだつの上がらないオジサン、といった風情。台詞の間とか表情も絶妙(「秋刀魚の味」のときの「私も白い革のハンドバッグ買うから!」って言われたときの表情なんか最高ですよね(∀))。後半でも、自分はチョビチョビ飲みながら大事にしまってたウイスキー赤間に分けてやろうと思って出してきたら、赤間がたっぷりグラスについで飲んじゃって慌てる様子なんかも面白く、佐田さんのコメディーセンスが光ります(「サラメシ」観ながらこの辺の文章書いてますが、息子にきちんと受けつがれてるなぁ、と思いますw )。

 

でも、後半になると赤間が登場してストーリーが謎めいてきて面白くなっていき、クライマックスではついに!スラップステッィク(というかドタバタ喜劇)な展開に。

赤間の訪問にイヤそうな表情のてつ。赤間はてつに小遣いまでたっぷり渡したりするのに、てつは、百合子に「赤間を追い返せ」という。どうやら赤間はてつとの間に因縁ありそうで、それを南原伸二(というか南原宏治さん!)が演じているので怪しさいっぱいwてつがそんなに嫌がる理由は何なのか!?なかなか明かされず、ソワソワ。

赤間はてつへの復讐が目的(ネタばれしないように詳細は書きませんが、ある因縁の結果、赤間は前科7犯という犯罪者に)でこの家を訪れ、背広の胸ポケットに拳銃を隠し持っておりました。で、金重と百合子の息子(5歳くらいか)がその銃を「バーンッ」とやってしまいます。すると、それをきっかけにどこにいたのか、警察官がワラワラとてつの家の周りから押し寄せます。家の中、外、逃げるてつと追いかける赤間とさらにそれを追いかける警官と、さらにはてつの部屋の炬燵からボヤまで起きてそっちに慌てる金重たち。そして、それを見て押し入らなくてよかったと思い直す不良たち…とドタバタ喜劇に。このくだりは一気に事が動く展開に笑えて、楽しく観ることができました。

 

これで6作目となった木下作品。またもや他のどれとも違った雰囲気で、今回は佐田さんのコメディセンスに感服。

 

で、見出しについて。懸賞のお金目当てにやってくる人達、てつと百合子の嫁姑の喧嘩、赤間とてつの因縁とか、スラップスティックコメディじゃなくてブラックコメディって言うなら納得なんだよなー、ということで。U-NEXTへのツッコミでありました。