T’s Line blog-映画についての備忘録-

兼業主婦が仕事と子育ての合間に見た映画などについて、さらにその合間に綴るブログです。ブログタイトルのTは好きな俳優さんのお名前のイニシャルがことごとく「T」なため。LineはTのうちのお一人の主演作、新東宝「地帯シリーズ」から拝借しています。。

中村登監督「古都」

 本心はどこにあるのか。冷たい空気はどこから来るのか。 

<あの頃映画> 古都 [DVD]

<あの頃映画> 古都 [DVD]

 

 

 

【映画についての備忘録その43】

中村登監督×岩下志麻主演「古都」(1963年)

 

 

京都にある老舗の呉服問屋の一人娘・千重子(岩下志麻)。幼馴染みの真一(早川保)と花見に出かけたその日、「私は捨て子どしたんえ」と打ち明ける。呉服問屋の一人娘として何不自由なく育ったが、自分は店の前のべんがら格子の下に捨てられていたのだと。しかし、父も母も千重子を慈しみ、また千重子も愛情を十分に感じて育った。

父・太吉郎は商売よりも帯の下絵を描くことに熱心で、千重子のために描いた下絵を西陣織の職人・宗助の元へ持ち込む。その下絵をみた宗助は息子の秀男(長門裕之)に織らせたいと言う。下絵を酷評して一度は織ることを拒否した秀男だったが、後日、その帯を織り上げて太吉郎の元へ行き、太吉郎を驚かした。

ある日千重子は、清滝川に沿って奥へ入った北山杉のある村を訪ね、杉の丸太を磨いている女達の中に自分そっくりな女・苗子(岩下志麻)を見つける。

そして夏。祇園祭の夜、千重子は苗子に出会う。苗子は千重子をみて、「あんた姉さんや」と声をふるわせた。千重子と苗子は双子の姉妹だった。しかし父も母もすでにこの世にはいない、と告げると苗子は身分の違いを思い雑踏に姿を消す。その苗子を見た秀男は千重子と間違えて、帯を織らせてくれと頼むのだった。一方、自分の運命を思い憂いを顔に浮かべて歩く千重子は、真一に声をかけられ兄の竜助(吉田輝雄)を紹介される―。

 

 

また、備忘録の作品の並びが極端から極端に振れてしまいました(笑)

今年の1月に観てから、先日ついにDVDを購入し、約1年ぶりの鑑賞です。異常性愛路線でなかなかに荒んでしまった心を洗う作品を、ということで。で、洗われた感はあるのですが、心温まるとかいう映画でもなかったため( あ、早川保さんのほんわかした感じには癒やされました。早川さんが輝雄さんと同い年―1936年の3月生まれと4月生まれで1ヶ月も違わない―というのにかなり驚く)、志麻さんのかわいさと、輝雄さんのかっこよさにうっとりしたものの、あの世界から十分に引き離してもらえず、なんかまだ尾を引いてるんですけど(^-^;)

 

私、原作は読んだことなくて、それどころか川端康成の小説自体一冊も読んだことのないヤツなので(お恥ずかしいことですが(^-^;))、映画を補完する知識はゼロの状態。小説のもつ機微を丁寧に映像化したらこうなのかな?とは想像しつつも、全編を通してどこか冷たい空気を感じていました。

 

それが何なのかを観た後に考えてみて、京都弁のしなやかさ、美しい映像、そこに京都人気質としてイメージするもの、これらが重なった故かな、という結論。

 

千重子と両親、苗子、秀男と宗助の親子、殆どの登場人物が、相手を傷付けたり困らせたりしないように、本当のことは言わない、と言うような人達です(秀男も下絵を酷評しておいて(^_^;本心じゃないこと言ってしまったんだ、みたいなフォローが入ります)。

 

志麻さんの二役、千重子と苗子の双子の姉妹はどちらもよく似て細やかな気遣いをする繊細な女性ですが、苗子のほうはどうしても伝えたい大事な気持ちだけは素直に言葉に出てしまうのですが、千重子は本当の気持ちがどこにあるのか、誰かを傷つけたりしないように、本心を覆いかくして生きているように見えます。

 

苗子は千重子のことを、育ちが違うということ、そして捨てられてしまった姉ということでとても気遣いますが、「あんた、姉さんや!」と言った祇園祭の夜も、秀男に結婚を申し込まれたことを千重子に話したときも、感極まって素直に気持ちを言葉にすることがあります。

「秀男さんはお嬢さんの幻として苗子と結婚したい思いやしたんどす」

「幻には嫌になることがおへんやろ。」

「秀男さんの胸の底の底には千重子さんが深う入っておりやすのやろ」

 秀男を好きなのだけれど、千重子の身代わりとして愛されるのは嫌だ、という正直な気持ちを千重子にぶつけてきます。一方の千重子は、太吉郎の下絵を織り上げて持ってきた秀男に「帯を織らせてほしい」と申し出を受けているので秀男の気持ちに気づいているはずですが、

「そんなことあらしまへん」

と頑なに否定します。

また、秀男の申し出をきっぱりと断るのではなく「苗子のために織ってほしい」と返すのは、何とも思っていないからなのか、職工と問屋の娘という立場の違いであり得ないことだと思っているのか。秀男に対してもやはり相手を傷付けないように、という優しさを感じます。この優しさがかえって秀男と苗子に複雑な感情を引き起こし、心の中に蓋をしてしまっておいたような何かを、手に取るような状況に追い込んでしまっているよう。

京都弁の柔らかい響き、本音と建前を使い分けると言われる京都人の気質、千重子の優しさ。これらが千重子の本心を覆いかくしていて、そしてその優しさが、私にはかえって、別の角度から見ると残酷に見えてそれ故にどこか冷たい空気が漂っているように思えたのかなぁ、と。

 

そして、絵葉書のごとく美しく映し出される京都の風景。祇園祭時代祭の華やかさも、北山杉が毅然として聳え立っている京都の山々も、その美しさ故にかえってそこに個人の物語が入ってくる余地がなさそうに見えて、これもまた拍車をかけて、何か温かさというところか距離を置いているように見えてしまいました。

 

そんななか、武骨なほどに自分の気持ちに正直に行動しているのが輝雄さん演じる竜助。“猪武者の竜助”と家族に呼ばれていて、まさにその名の通り、真っ直ぐに前に進んでいきます。初めて会った祇園祭の夜も、一目見て千重子に好意を抱き、真一に家まで送ろうと言われて「すぐ近くやから送ってもらわんかて」と断る千重子を「お近くやからよけい送ります」と家まで送ります。太吉郎が問屋の商売を専務に任せっきりにしていることを心配して千重子に専務にキツく当たってみるようにアドバイスをしたり、千重子から捨て子だと聞かされて

「うちの店の前に捨ててくれはったら良かったのに」

「赤ん坊の千重子さんを育てたかった」

と言い切ったり。

そして、千重子の傍にいたいという思いから、太吉郎の商売の手伝いをかってでます。自分はもっと大きな呉服問屋の長男だというのに、その気持ちは父親に廃嫡してもいいと言わせるほどにまっすぐ。この映画の登場人物のなかでは異色の人間。千重子も竜助の正直さ(と、真一の幼なじみとしての優しさも)と対峙しているときは自分の気持ちや意志といったものに正直に行動しているように見えます。

父の下絵の帯ばかりをつけ(千重子だけがつけてくれる、という父の台詞にその帯が評価の高いものではない、ということが分かります)、案に煮詰まる父に寺の離れを借りて描いてみたら?といったり、商売人としては失格である父の、それでもその父の思いをくんで行動していた千重子。それまで商売に口出しなどしたことのなかった彼女が、専務に意見を言い、そして、店のためか自分自身のためか、自分の父親を助けて働く竜助を見て竜助との結婚を決意します。ここには自分の意志が存在しているのが分かり、終始どこか冷たい空気が流れるこの映画のなかで、千重子と竜助(そして真一も)の場面にはいくらかの熱を感じられるのでした。

f:id:kinakokan0620:20181220225919p:plain

 

さてさて、輝雄さん出演作品なのでやはり触れずにはおれないよね(//∇//)ということでw本作の輝雄さんは竜助の人物像とこの映画の空気にピタリとはまる存在感です。「お近くやからよけい送ります」とか有無を言わせぬような感じに演じていて、これが良いとこの坊ちゃんで頭もキレる、何かする前から上手くいくだろう、みたいな自信をもってそうな(「兄さんのいつものきつい自信や」と真一に言われるくらいの)竜助の“猪武者”ぶりを上手く感じさせてくれます。表情も、少し前までw三原葉子さんに振り回される男の子って感じがピッタリだったのに、もう、自信たっぷりなハンサムさんの顔です(๑'ᴗ'๑)

というわけで、竜助の出番は決して多いわけではないのですが、長門裕之さんの秀男に負けず劣らずで、千重子に変化をもたらすには十分な魅力があり、岩下志麻さんの二役に注目が集まるであろう「古都」ではありますが、それを引き立てる輝雄さんの竜助もとてもステキなのでありました(๑'ᴗ'๑)

 

 

中村登監督、輝雄さんとの組み合わせは他に「愛染かつら」の二作と「求人旅行」があって、どちらも未見なのですが(求人旅行だけネットで少し見ましたが)、「古都」では魅力をしっかり引き出されているように感じ、残りの三作品もいつか観られたら良いなぁ、と思う次第。「愛染かつら」なんて、なんでDVDにしないんですかー!>松竹さん!

この演劇っぽい決めショットも、輝雄さんだと違和感なし。

f:id:kinakokan0620:20181220230128p:plain

 

そして、志麻さんとの共演作はこれと「秋刀魚の味」そして未見の「100万人の娘たち」の三作品。個人的には小津安二郎監督が「大根と人参」で2人が結ばれるストーリーとしたのも納得できる相性の良さを感じ、たった三作品しかないのがかなり残念に思うのでありました(この時期は岡田茉莉子さんとの共演も続いていますが、茉莉子さんよりも志麻さんの組み合わせのほうが似合ってる気がします)。

f:id:kinakokan0620:20181220230704p:plain

 

そして、この映画、触れておかねばならない気がする音楽。武満徹さんが担当されています!!(でも、なんか「ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説」の映画音楽ってこんな感じやったなぁ、と思ってしまいました。これで良かったんか?監督は?)

 

 

あー、つか、どうして中村登監督の作品はこんなに感想がとっちらかってしまうんだ!「夜の片鱗」も全然まとまらなかったし。+゚(*ノ∀`)それだけ、“何か”を残す監督さんなのよね、という、文才のなさに目を瞑った言い訳で終わり。

 

【2019/1/29追記】

川端康成の原作「古都」を読了。映画よりも自然や四季を通じて心情を描く、という感じが見てとれ、映画よりもあたたかさもあり。心情の変化を緩やかにおいかけることができました。そして、竜助は原作の中でもやはり描かれ方は他の登場人物と違っていて、輝雄さんの竜助がまさしく原作の雰囲気にぴったりであったなぁ、と思うのでした(出番多くないけど、この役ほんと好き)。

 

石井輝男監督「徳川いれずみ師 責め地獄」

 エログロと笑いと悲恋物語のバランスが絶妙な娯楽映画

 

徳川いれずみ師 責め地獄 [DVD]

徳川いれずみ師 責め地獄 [DVD]

 

 

 

【映画についての備忘録その42】

石井輝男監督×吉田輝雄主演「徳川いれずみ師 責め地獄」(1969年)

 

夜。一心不乱に墓を掘り起おこす由美(片山由美子)。彼女はそこに埋められている弦造の腹を引裂いて鍵をつかみだした。 その鍵は彼女にはめられた貞操帯を開ける鍵だ。鍵を探しながら、由美は自分の身の上を思い返す。

彼女は両親の残した借金の返済のため、与力鮫島の口ききで大黒屋に奉公することに。しかし、そこは女に刺青を入れさせて身体を売らせる売春宿だった。刺青師彫秀(吉田輝雄)にその美しい肌をゆだねることになった由美。女主人のお竜や下男の弦造は由美に執着し、自分のものにしようと責め立てる。そんな日々のなか、由美にとっては彫秀と過ごす時が心の救いであった。

一方、彫秀は師匠・彫五郎の娘・お鈴(橘ますみ)と将来を誓っていたが、兄弟子の彫辰(小池朝雄)もお鈴を欲しいと、将軍・綱吉上覧の刺青競演会で勝ったほうをお鈴と夫婦にすると、彫五郎に約束させる。

彫秀に嫉妬するお竜の企みで、彫秀が墨を入れた由美の背に、彫辰が入れ墨を入れ、二人は同じ女の背で競い合うこととなる・・・。

 

 

 

12月に入って、怒濤の「異常性愛路線」作品の放送が始まった東映チャンネル。吉田輝雄ファンにならなかったら知るよしもなく、知っていたところでタイトル見た時点で吉田輝雄ファンじゃなかったら絶対に観ようと思わない種類の映画たちなのですが(^-^;)しかし、ファンにになったからにはいつか通らねばならない道(^_^;でも、やはり気持ち的にはかなりハードルが高くて観られなかった三作品(1番最初に観たのが、たまたまチャンネルnecoでやっていた「明治大正昭和 猟奇女犯罪史」だったので衝撃が大きすぎて、ご出演作の中では機会としてはレンタルなどで観やすい作品ではありましたが、アクセスのしやすさに反してなかなか手がつけられず(^_^;)をここで一気に鑑賞しました。「徳川女系図」「残酷・異常・虐待物語 元禄女系図」そして今作です。これで全て制覇。我ながら頑張りました(笑)

せっかく全部制覇したのだし、やはりこの路線も感想をつけておかねばなるまい(何の使命感)ということで、見終わったあとに「(エログロはやっぱり強烈だけど(^_^;)映画全体として面白い娯楽作品だった!し、輝雄さんもかっこよかったし!」と感じた今作について感想をつけておきたいな、ということで書くことにしました。

 

 

で、面白い娯楽作品だと感じた要因は見出しの通り。大分、男性好みのほうへ寄ってはいますがw観客が楽しめる作品を作るということに全力を注いだような、エログロと笑いと悲恋のストーリーという「こういうの理屈抜きで楽しいでしょ(゜∀゜)」みたいなものをギューッと詰めこんだ、ある意味贅沢な作品でした。

 

 

エログロのほうは、初っ端、墓を暴いて弦造の腹を割いて鍵を取り出し、貞操帯の鍵穴にはめる、というシーンからもう結構なショック。しかし、悲壮感がにじみ出ている由美がキレイで、単純に衝撃的、という表現にはおさまりません。

全体的に1作目の「徳川女系図」がとにかく「おっぱいいっぱいだぞ!だけどなんか並んでるだけだぞw」みたいな映画だったのと比べ、(こちらも売春宿が舞台でいれずみ師が腕を競うというストーリーなので裸の女性がめちゃめちゃ出てくるわけですが)後ろからとか下からとか、あけっぴろげに並べるのではなくてキレイに撮ることを意識されているようなシーンが沢山あり、これが「石井輝男監督作品」「異常性愛路線」という看板じゃなかったら映像の美しさ、という視点で語られるかもなぁ、なんて思えるほど(でも、やっぱりエログロなんですけどσ(^_^;)。彫秀が由美の背にいれずみを入れるシーンは、夢中で彫る秀と痛みに耐えながら墨を入れられる由美の関係性は、なんなら、画家とヌードモデルの退廃的なムードのラブストーリー(時代劇に対してラブストーリーという表現はすごい違和感だな。きっと、もっと相応しい表現があると思うのですがσ(^_^;)といった風。んでまた、秀に思いを寄せる由美と、そんなことは露ほども気付かず、お鈴のために由美に彫りものを入れる秀という、このすれ違いが切なかったり。

 

 

笑いのほうは石井監督お得意の!と言った感じの由利徹さんによるおバカなシーンがちょいちょい挟まれ、グロいシーンも多いこの映画で清涼剤みたいな感じw今回は由利徹(と、大泉滉さんの)女装&まさかの女性の吹き替えとかいう変化球で「アホやなー」と多いに笑わせていただきました(吹き替えとか何で思いつくのさ!)w

 

 

そして悲恋物語の部分。互いに愛し合っている彫秀とお鈴をめぐって、由美と彫辰の伝わらない思いが描かれていて、クライマックスでの秀とお鈴の悲しい結末を際立たせます。

彫辰はお鈴と夫婦になりたいために策を講じます。

その一つが刺青競演会での勝負。強引ではあるけれど、なんとかお鈴を手に入れたい。そして、そこで勝つために美しい肌を、と既に秀によって刺青をされた由美の背を彫ります(秀の刺青はある仕掛けがないと浮き出ないため、パッと見は辰の刺青だけが見えます)。秀と過ごした時間を大切に思っていた由美にとっては、競演会で秀のいる前で、辰の刺青の入った背中を露わにすることの哀しさはいかばかりか。しかし、とうの秀はそういう感情が殆どなくて、お鈴と夫婦になるためには何としても勝ちたい!そのための渾身の刺青です(自分の作品を辰に汚された!と、芸術家のような感情でこのときの由美を見ています)。ここでも全く届きそうもない由美の秀への思い。で、辰もなんとしても勝ちたいわけですが、その感情がお鈴の背中を彫るほうへ直接向かうのではなくて、「他の誰かの美しい肌」へ向かいます。辰は二人を邪魔する嫌なやつなんだけど、お鈴への愛は真っ直ぐで彼女を無闇に傷つけたりはしない。秀とお鈴を取り巻く由美と辰の気持ちの行き場のなさが、二人の結びつきの強さを感じさせます。

そして、もう一つが、彫五郎殺害の冤罪を秀にかぶせるように証言すること。長崎の出島で外国人相手の商売を考える鮫島とお竜。(彫辰の腕を買ってか、お鈴に外国人相手の売春をさせるためか)彫五郎を殺害した二人は、辰を脅すような形で秀が殺したと証言させ、秀を島流しにします。辰は2人に協力して秀を島流しにすればお鈴を自分のモノにできる、というお竜と鮫島の口車に乗り、また、お鈴は秀に会わせてやると言われ、二人は大黒屋や罪人の女たち(これも出島で身体を売らせようと鮫島が連れてきた。この中に由利徹さんと大泉滉さんw)と一緒に船で出島まで行くことになります。

騙されて出島まで来て、辰に刺青を入れられてしまうお鈴。辰は念願だったお鈴を手に入れられる。

お鈴は、秀の「必ず戻ってくる」という約束を信じ、秀が島を抜けて迎えに来てくれるのを待ちます。しかし、秀以外に見せることなどあり得ないと思っていた肌に、辰に刺青を入れられることになった恥ずかしさと苦痛。刺青が彫りあがった時、実は売春宿の外国人へ売られるのだと知って、その絶望は極まり毒薬を口にします。島を抜けた秀がついにお鈴の居場所を知り、二人は再会するのですが、時すでに遅し。再会の喜びに静かに抱き合いながら、そのすぐ後に二人を襲う絶望。「ロミオとジュリエット」のようです。

お鈴役の橘ますみさんは健気に生きてるのに幸薄い役にはまりまくってるし、輝雄さんも安定の男前ヒーロー(ダークヒーロー)な展開で彫秀さんめちゃめちゃカッコいいし(//∇//)、「異常性愛路線」の看板ながら、切ない悲恋物語

 

 

この後、彫秀はあっという間に(^_^;復讐の鬼と化して(もう少し悲しめ!)破滅に向かい、キレイなままで話が終わらないあたりはやはり「異常性愛路線」なのねって感じではありましたが、最後まで観客の求めるものを追求して作った娯楽作品、という感じで、石井輝男監督のヒットメーカーとしての矜持を感じた映画でした。

そして、見終わった後にあれこれ検索していたら、長谷川博己さんが好きな映画にこれをあげているというのを知って、「シン・ゴジラ」に続き、長谷川さんの好感度がアップした案件でありましたw

 

あー!あと、出島の中を逃げ回るシーンも面白かったなぁ!

 

【異常性愛路線まとめ】

全部がっつり感想を書くにはハードなこの一連の作品群(^_^;ここで思ったことをまとめてつけておきたいと思います。

 

「徳川女系図」(1968年)

シリーズ1発目。人間不信の将軍・綱吉というちゃんとした筋もあるんですが、それより、アホっぽいエロシーンの印象が強すぎてwなんだか場末のスナックのような感じのエロさというか(^_^;(場末のスナックとか入ったことないですけどw) 肝心の(!?)輝雄さんも白く塗られすぎだわ、監督も輝雄さんも初の時代劇かと思うのですが撮るほうも撮られるほうも見せ方が馴染んでない感じがしてカッコよくない!何とも言えない違和感(^_^;キャラ的にも当事者としの主人公だし(他は狂言回しの第三者だったりする訳ですけど)、当時これを観た吉田輝雄ファンの女性の方達のショックやいかばかりか、と想像してしまいましたσ(^_^;(だって50年後に観て相当な衝撃ですよw)

 

「異常性愛記録 ハレンチ」(1968年)

いや、もう、吉岡さんかっこいいー!王子様だわー(っ´ω`c)でしたw

「愛してるんだよーん」の若杉英二さんの深畑さんの気持ち悪さがまたすごくてw典子ちゃん、逃げてー!!王子様早く助けてあげてー!って感じw

特に王子様ぶりがステキだったのが(何の感想だw)朝早く湖畔を2人で散歩してて道の真ん中でキスをしているとジュースを配達するトラックが走ってきてクラクションを鳴らされるシーン。恥ずかしそうに離れる二人、で、吉岡さんはさらりと「ねぇ、2本分けてよ」とトラックの運転手に声かけます。何このスマートさ(//∇//)(って、この映画でそこにキャーキャー言うヤツはお前だけだ)吉岡さんと典子のシーンだけは王道のラブストーリーのようで別の映画を観ている気分でしたw

そうそう、今作ではとことん気持ち悪いオッサンだった若杉さん、「徳川いれずみ師 責め地獄」では綱吉役で登場。その姿はかつて二枚目の時代劇俳優として名をはせていたことがよく分かる姿でした。

 

「残酷・異常・虐待物語 元禄女系図」(1969年)

これはもう、輝雄さんの格好良さも吹き飛ぶ作品(^-^;) 山本豊三はイヤなやつだし、石濱朗さんは毒のない二枚目かと思ったらすんごい下僕具合(^-^;)松竹では文芸作品なんかに出られていた人達がこの役(まぁ、そもそも輝雄さんもそうなんだけどw)って言う衝撃と、小池朝雄さんの狂気の殿様とその残虐な描写が強烈で。闘牛士みたらしばらくこれ思い出しそうな状況(^-^;) そして、ストーリーに絡むのにほぼ何もしない吉田輝雄。不思議なポジションの役でしたw

 

「明治大正昭和 猟奇女犯罪史」(1969年)

最後の「何も解決してへんやん!」という唐突な終わり方と、狂言回しに徹する輝雄さん(あと安部定にインタビューしてたけど)というハンサムさんの無駄遣いに呆然としてw終わった作品wこれはエログロもグロいほうに極まっててキツくて(最初に観たのでショックが大きすぎたのもあるかな)、再視聴することはなさそう(^_^;

 

「温泉あんま芸者」(1968年)

おバカ展開が過ぎてまともに観れなかった作品(^_^; 橘ますみさんが可愛かったことと、輝雄さん(吉岡先生)がカッコよかったことだけしか記憶にない。今観たら違った感じで面白く観られるかなぁ。

 

「徳川女刑罰史」(1968年)

一話目の橘ますみさん×輝雄さんの兄妹のお話はこれまた美しい(畜生道に堕ちるけど)。この路線で石井監督が大事に撮った二人なのかなぁ、と思います。お兄ちゃんは包帯巻いて寝たきりだったので、ハンサムさを十分には発揮できずw

輝雄さん二役の吉岡(同心)はやっぱり、何もしない狂言回し的な役割でw二話目の賀川雪絵さんと三話目の小池朝雄さん、渡辺文雄さんのクレイジーさが強烈な作品でありました。上田吉二郎さんも忘れずに。

 

 

全体として、今これを封切り作品として劇場にかけたらフェミニストの方々からすごい批判がきそうな映画ではありましたが、ただ、橘ますみさんや賀川雪絵さんはもちろんのこと、片山由美子さんや尾花ミキさんなど、(撮影はとっても大変だったとは思いますが)女優陣は皆さん各々個性が光る美しさで、それも印象的でありました。

木下恵介監督「風前の灯」

スラップスティック、じゃなくてブラック。

 


f:id:kinakokan0620:20181128235347j:image

 

 

【映画についての備忘録その41】

木下恵介監督×高峰秀子主演「風前の灯」(1957年)

 

都内の駅前。上京してきたばかりで行くあてのなさそうな青年に声をかけ、無理やり仲間に引き込む不良二人組み。かねてからある一軒家に狙いを定めていて、強盗に入るつもりでいるのだ。

その家には強欲な老婆・てつ(田村秋子)と息子の金重(佐田啓二)・百合子(高峰秀子)の夫婦とその子供、そして下宿人の女性が一人住んでいる。金重も百合子もてつにしょっちゅういびられてイライラ。そのうち、溜め込んでいるはずの財産もこの家も自分たちのものになるのだからとひたすら我慢の日々である。

不良たちは家の住人が女一人だけになったところを見計らって強盗に入るつもりで見張っている。しかし、金重が新聞懸賞で“売れば5万円にはなりそう”なカメラを当てたものだから、それを目当てに人が出たり入ったり。なかなか女だけにはならない。さらには柔道も剣道も有段者だという甥の赤間(南原伸二)まで現れて…。

 

 

U-NEXTの配信で観ました。U-NEXTのこの映画の紹介が「スラップスティックコメディ」となっていて、「喜びも悲しみも幾年月」コンビでスラップスティックコメディ!?と興味津々。木下作品のコメディは「今年の恋」を鑑賞済み。「今年の恋」は輝雄さんと茉莉子さんの美しさを楽しむのはもちろんのこと、助演陣も含めて軽快な台詞の掛け合いが楽しく笑いどころが多かったので、スラップスティックコメディっていうならかなり笑えるのではないかと、期待値あげて鑑賞開始。

 

が、これが良くなかった(^_^;前半は笑いポイントはいっぱい撒かれているものの、残念ながら今から観るとテンポも場面の展開もやや冗長に感じてしまい、期待値高かった反動か、監督の思惑通りにはいかず、こちらはいまいち乗り切れないまま映画がすすみます。

 

たくさん用意されていた笑いのポイントは大小様々で、例えば…

・てつが孫に蒲鉾を切り分けてやるのに、自分のは分厚く、孫には薄っぺらく切り分ける!

・いびりまくるてつと負けない百合子!

・不良たちが押し入ろうとするたびに誰かがやってきてなかなか押入れない!

・映画が好きなてつ(部屋の中に誰か俳優さんの写真がめっちゃはってあったw)がどの映画を観にいこうかと新聞の記事を眺めているなかに「楢山節考」が(この映画の翌年に実際に木下監督が作っているんですね)w

・カメラを売った後に手に入るであろう金を目当てに出入りする妹や金重の勤め先からの使い

・下宿している女性が出て行ったその日に次の下宿人になる男性(百合子の妹の彼氏。小田原の大きな蒲鉾屋の息子)がやってきて、と思ったら女性も戻ってくるわで喧嘩に。

・新旧下宿人の互いの彼氏、彼女も加わって大喧嘩が、いつのまにやら仲良くなり、「喜びも悲しみも幾年月」の主題歌を4人で仲良く合唱。それを口論してた金重と百合子が聞いて苦笑

…などなど。

不良のシーンやお金目当てに出入りする人達、下宿人の喧嘩のくだりなんかは文章にしてるとまさにコメディの鉄板といった風な展開なのですが、俳優さんたちの台詞が聞き取りづらかったり、上述の通り掛け合いのテンポも歯切れ良く感じず、思ったほど笑えず(^_^;(この辺は多分、現代の笑いとの違いなのでしょうね)

 

しかし、そんな前半にひとり気をはくw佐田啓二。木下監督作品ではめちゃめちゃ美しいはずの佐田さんが、今作については上だけ黒縁になっているメガネ(ブローとかいう種類)でオールバックの靴屋の店員。あの美しさはなりを潜めw安月給で母のいびりに耐えながら同居せざるを得ない、いかにもうだつの上がらないオジサン、といった風情。台詞の間とか表情も絶妙(「秋刀魚の味」のときの「私も白い革のハンドバッグ買うから!」って言われたときの表情なんか最高ですよね(∀))。後半でも、自分はチョビチョビ飲みながら大事にしまってたウイスキー赤間に分けてやろうと思って出してきたら、赤間がたっぷりグラスについで飲んじゃって慌てる様子なんかも面白く、佐田さんのコメディーセンスが光ります(「サラメシ」観ながらこの辺の文章書いてますが、息子にきちんと受けつがれてるなぁ、と思いますw )。

 

でも、後半になると赤間が登場してストーリーが謎めいてきて面白くなっていき、クライマックスではついに!スラップステッィク(というかドタバタ喜劇)な展開に。

赤間の訪問にイヤそうな表情のてつ。赤間はてつに小遣いまでたっぷり渡したりするのに、てつは、百合子に「赤間を追い返せ」という。どうやら赤間はてつとの間に因縁ありそうで、それを南原伸二(というか南原宏治さん!)が演じているので怪しさいっぱいwてつがそんなに嫌がる理由は何なのか!?なかなか明かされず、ソワソワ。

赤間はてつへの復讐が目的(ネタばれしないように詳細は書きませんが、ある因縁の結果、赤間は前科7犯という犯罪者に)でこの家を訪れ、背広の胸ポケットに拳銃を隠し持っておりました。で、金重と百合子の息子(5歳くらいか)がその銃を「バーンッ」とやってしまいます。すると、それをきっかけにどこにいたのか、警察官がワラワラとてつの家の周りから押し寄せます。家の中、外、逃げるてつと追いかける赤間とさらにそれを追いかける警官と、さらにはてつの部屋の炬燵からボヤまで起きてそっちに慌てる金重たち。そして、それを見て押し入らなくてよかったと思い直す不良たち…とドタバタ喜劇に。このくだりは一気に事が動く展開に笑えて、楽しく観ることができました。

 

これで6作目となった木下作品。またもや他のどれとも違った雰囲気で、今回は佐田さんのコメディセンスに感服。

 

で、見出しについて。懸賞のお金目当てにやってくる人達、てつと百合子の嫁姑の喧嘩、赤間とてつの因縁とか、スラップスティックコメディじゃなくてブラックコメディって言うなら納得なんだよなー、ということで。U-NEXTへのツッコミでありました。

吉田喜重監督「秋津温泉」

美しい岡田茉莉子を堪能する

 

あの頃映画 「秋津温泉」 [DVD]

あの頃映画 「秋津温泉」 [DVD]

 

 

 

【映画についての備忘録その40】

吉田喜重監督×岡田茉莉子主演「秋津温泉」(1962年)

 

太平洋戦争末期。岡山から叔母の疎開先の鳥取を訪ねる途中だった河本周作(長門裕之)。しかし、鳥取まで行く力が自身の身体に残っていないと感じた周作は、死に場所を求めて、かつて過ごしたことのある秋津温泉を訪れる。結核に冒されている河本は自殺しようとするが、温泉宿の女将の娘、新子(岡田茉莉子)に助けられる。そして、終戦玉音放送を聞いて涙する純粋な新子に心打たれた河本は、やがて生きる力をとりもどしていく。

互いに心惹かれる二人だったが、女将が河本を追い出してしまったために、河本は岡山に戻る。

酒におぼれ、女にだらしない、すさんだ生活を送るようになった河本。文学仲間達と飲み歩き、身体を悪くして、死に場所を求めてまた秋津温泉に赴くのだった・・・。

 

 

U-nextの配信で観ました。カメオ出演的な吉田輝雄を観るのが一番の目的(//∇//)(1962年は「今年の恋」「愛染かつら」「霧子の運命」と茉莉子さんとの共演が続いていた年。茉莉子さんに「たいした役じゃないけど出てもらえない?」と誘われて出演されたとのこと)4人いる新聞記者のうちの一人(新聞記者D)、というチョイ役。台詞もわずか、も、ハンサムさは期待通り٩(๑❛ᴗ❛๑)۶穂積隆信さんも同じ新聞記者の一人として出てくるんですが、穂積さんと比べるとあきらかに顔がきちんと写るように撮られていますw(そもそもこの映画、出番少ないのに小池朝雄さんとか神山繁さんとか、山村聰さんとかすごいメンバーが出てきます)

【こんな感じ。左側は穂積さん】

f:id:kinakokan0620:20181120135541p:plain

 

はい、で、本編。簡単にまとめると「茉莉子さんキレイ!秋津温泉の自然キレイ!長門裕之クズだな!」(最後のは風評被害)となります。

 

茉莉子さんは17歳からはじまって34歳までの新子の17年間を、周作が秋津温泉をおとずれる3~4年おきに演じていきます。可愛らしい女の子(とはいえ、やはり17歳はムリがある艶っぽさでしたが(^_^;)から少しずつ大人の女性へと成長していく姿。“かわいい”から“美しい”へ見事に変貌していきます。溌剌としたかわいい女の子が、秋津に来るたびにダメ男っぷりが増す周作に振り回されてドンドン幸薄くなり、抜け殻のようになる最後まで本当に美しいです。

 

そして、この美しい新子さんを振り回す周作のなんとズルいことか。秋津にきた最初は弱っていく身体と敗戦濃厚な状況に生きる気力も失った書生のようで、そりゃ、新子さんも必死に看病しちゃうよねって雰囲気(元々、この役は芥川比呂志さんがキャスティングされていたとのことですが、この最初の周作の姿は芥川さんだとめちゃめちゃハマりそうな感じです)。しかし、岡山に戻ってからの堕落した周作はもう、たいした努力もしないで周りを妬み、飲んだくれて奧さんにも甘えまくり。そして自分が弱って上手くいかなくなると秋津温泉に逃げてくるとかいう、絵に描いたようなダメ男。自殺しようと試み、心中しようと新子を誘い、そのくせ結局は生きていたい。一瞬でも心中しようと思った新子にたいして、今度は自分が「一緒に死んでくれ」といわれると、そんなことは微塵も思わない。もうね、ただただ自分がかわいい男なのであります。そして、そのダメ男ぶりが、新子の最後の憐れさを増して、幸薄い新子のキレイさに拍車をかけるのでありました。私には長門裕之さんは、後年のドラマの印象が強くて、悪役というかクセのある人物というか、そんなイメージなのですが、そこに繋がるのも納得の役。ヒモみたいなズルい男がめちゃめちゃ似合っています(ここも芥川さんだったら、を想像すると、多分、ズルいというより、母性に訴えるような違った周作になりそうです)。

 

そして、秋津温泉の四季。実際には奥津温泉という場所が舞台のようですが、桜の散る河辺、雪積もる道、川の流れと、どこを切りとっても美しいです。撮影監督が成島東一郎さん。どこかで見たお名前だなーと思ったら、岩下志麻さんの「古都」の撮影監督さん(他にもすごい映画にたくさん関わっておられるようですね!)だったようで納得。「古都」のなかの京都も冬の冷たい空気や山奥の澄んだ空気まで伝わってきそうな映像でしたが、今作では自然とその中の新子が互いに作用するかのように、画面の中に美しく映し出されていました(川辺の大きな岩に仰向けになってタバコを吸う姿なんて、もうめちゃめちゃ綺麗だった)。

 

待ち続ける新子のもとに周作が戻ってくるという、周作にとっては避難所の女神のような新子が、プラトニックな関係から結ばれた途端に、追いかける新子と逃げていく周作という立場に変わってしまうドキッとする展開の変わり方も含め、良作のメロドラマで、綺麗な岡田茉莉子と秋津温泉の風景(とそれを際立たせるクズな長門裕之)を堪能していたら終わっていた、という映画でありました。

小津安二郎監督「秋日和」

少しの寂しさと幸福感。時間がたつほど響く余韻

 

 

 

【映画についての備忘録その39】

小津安二郎監督×原節子主演「秋日和」(1960年)

 

亡友・三輪の七回忌に集まった間宮(佐分利信)、田口(中村伸郎)、平山(北龍二)。未亡人の秋子(原節子)は未だに美しく、娘のアヤ子(司葉子)も24歳となり、美しく育っていた。三人はアヤ子にいいお婿さんを探そうとあれこれ世話を焼くことにする。しかし、母を心配するアヤ子には結婚はまだ先のことのように思え、父の友人達の持ってくる結婚話にも会わずに断るという具合。

ある日、間宮の会社に亡父の残したパイプを届けにきたアヤ子は、以前、間宮にお見合いの話しを持ちかけられて断った間宮の部下、後藤(佐田啓二)を紹介される。後藤はアヤ子の会社に勤める杉山(渡辺文雄)と大学の同窓だった。

また別の日、間宮は喫茶店で、杉山や後藤と一緒にいるアヤ子を見た。間宮は二人がお互いに好き合っていると感じる。ゴルフ場で田口と平山にその事を話すと、秋子を思いやってアヤ子は結婚しないのだろうという結論。そこで、まずは秋子を結婚させ、その後にアヤ子を、ということに。

秋子の結婚相手の候補は、同じくやもめの平山。一度はとまどった平山だったが、息子は案外乗り気なものだから、平山もまんざらではなくなり、再婚話を進めようと田口は秋子を訪ねる。しかし、田口は夫への思いをたちがたい秋子を前に再婚の話を切り出すことはできなかった。 

ところが、ちょっとした行き違いから、アヤ子は秋子が平山と再婚するものだと早合点して、怒り心頭。アヤ子から相談された親友の百合(岡田茉莉子)も間宮、田口、平山の3人に詰め寄るが、事情を知った百合は秋子と平山の再婚話に賛成して・・・。

 

 

U-NEXTの配信で観ました。小津作品5作目。これを観る直前に少し「秋刀魚の味」を見返していて、そのままの流れでおすすめされた本作を鑑賞。ということで、「あー、お友達の皆さんそのままだ!」とか「平山違いだけど平山の家が一緒だ!」とか「ここは息子夫婦の家だった団地だw」とか「男やもめの役名は平山なのか」とか「秋刀魚の味」との細かい共通点にクスクスしながら、小津監督の世界を楽しみました。

 

秋刀魚の味」は父親が娘を送り出す話でしたが、こちらは母が娘を送り出すお話。で、やっぱり、小津作品、おじさん達の思い出話やらしょうもない会話だったり、親子で食事行ったり喧嘩したり、夫婦で言い合いながらなんだかんだでお互い仲良かったり、なんていういつの時代にもありそうな、なんでもない風景の連なりでお話がすすみ、そして、見出しの通りで、少しの寂しさと幸福感でもって映画終了。

 

何か飛び抜けたエピソード、ということよりも、登場人物の何気ない会話から互いへの暖かい情を感じ、それがストーリーを繋いでいきます。

 

例えば間宮夫妻と田口夫妻。両夫婦とも、現代っ子(当時)で親にちょっと口答えしてみたりする娘や息子を心配したり、お互い諦めながら夫婦ってのはやってくものだ、なんてことを言い合ったり(笑)そんなやりとりに夫婦の重ねてきた時間が垣間見えます。

間宮と田口は学生時代に薬局の娘だった秋子の美しさに惹かれて、元気なのに風邪薬を買いに行ったりしていたらしい。で、結局秋子は三輪と結婚して、二人はそれぞれ今の奧さんをもらうわけですが、どちらの奧さんも夫が昔秋子さんに惚れていた、ということは重々承知の様子。間宮の家で奧さん同士、そんなことを話ながら、顔を出した夫をからかいつつも、秋子とアヤ子のことは気にかけていたり。こういうのって、旦那さんへの信頼の積み重ねがあるからだよなぁ、って思えたり。

 

そして、秋子とアヤ子の母娘は、はっきりと言葉にしなくてもお互いへの思いやりがその行動に感じ取れます。「結婚なんてまだする気がない」「好きな人ができたときには言うわ」なんて言いながら、それは母を1人にしてしまうことを1番心配しているから。そしてそれを感じて、娘にそれとなく結婚を意識させようとするかのように、2人で買い物や食事に出かけながら「アヤ子が結婚したらこんなこともできないわね」なんて話をする秋子。平山との再婚話の誤解から本気で喧嘩してしまうのも、優しく互いを気遣ってきたからこそ。

一緒に食事したり買い物したりする二人は、今なら友達親子なんて言い方になるのかもしれませんが、もっと互いを尊重していて、それでいて娘は母の母としての側面に甘え、母も娘が離れていくことを寂しいと思いながらも、そうでなければならないと分かっていて、そのバランスがとても素敵です(大学から親元を遠く離れ、母とこんな時間をもったことがないまま別れることになった私としてはとてもうらやましいです) 。そしてこの関係の終わりに用意された、アヤ子の結婚前に最後に二人で出かけた温泉旅行でゆで小豆を食べながら向かい合う二人のシーンは、台詞以上に、二人の心情を伝える空気が、強く印象に残ります。

 

結婚式の終わったその日、娘の旅立ちをうれしく思う気持ちとやはりどうしてもそこに同居している寂しさを、アヤ子のいなくなった部屋で一人眠りにつこうとする秋子の姿にこめたラストシーン。この後、いつもの変わらない毎日にアヤ子だけがいなくなっている日々が始まるのだということを感じさせて、ふっと映画は終わります。この何でもないシーンの中にみえる秋子の幸福感と寂しさが、映画を観終わったそのあと、もうこれを書いている時点では観てから三日ほどたっているのですが、それでもなお思い返して余韻を残す、そんな素敵な映画でした。

 

(佐田さんの好青年ぶりとか、茉莉子さんの現代っ子らしいさばさばした感じも素敵でありました♪)

 

【映画本編とは別のところの備忘録】

きっと小津作品に遅れて出会った人たちがみんな通る道なのかな、と思うところに5作目にして行き着きました。

本人達の意志そっちのけでおじさん達が結婚話をすすめちゃう本筋は、自分の世代からみると完全に別の時代。そして、間宮たち3人は50代になったくらいかなー、という年齢だと思いますが、東京近郊でゆったり暮らせる大きな家に住んでいたり、突然会社にやってくる友人達と応接室で話したり、と今とは違う緩やかな時間の流れを感じます。一方で、母娘二人になってしまった秋子とアヤ子は団地の一室に慎ましやかに暮らしています。高度経済成長期の変わりつつある時代の中で小津安二郎監督の切り取った当時の日常や空気感。このあとの時代、進む核家族化、都心へ集中する人口、恋愛結婚、満員電車の殺伐とした風景…もっと長く生きて映画を撮っていたらどんな風に小津監督は切り取っていたのだろう?もし今の時代に映画を撮ったらどんな作品になっていたのだろう?どんな風に普通の人たちへ視線を向けてくれたのだろう、そんなことをふと思った、「秋日和」の鑑賞後でした。

 

木下恵介監督「不死鳥」

主演二人の組み合わせの違和感が拭えぬまま、映画終了。

 

木下惠介生誕100年 「不死鳥」 [DVD]

木下惠介生誕100年 「不死鳥」 [DVD]

 

 

 

【映画についての備忘録その38】

木下恵介監督×田中絹代主演「不死鳥」(1947年)

 

戦時中、学生時代に知り合い、交際中の真一(佐田啓二)と小夜子(田中絹代)。戦況が悪化して、真一の出征の可能性を感じた二人は結婚を決意する。しかし真一の父は学生時代から付き合うような女と真一を結婚させるわけには行かないと二人を認めようとせず、小夜子を紹介しようとしても、自分は会わないと激怒。それでも深く結ばれていた二人は、真一の出征の前日、再会を果たす。しかし、いよいよ出征という当日には、駅で万歳をしながら送る真一の家族たちとは離れ、小夜子はひっそりと見送ることしかできなかった。

その後、長野へ疎開した小夜子の元へ真一の父が訪れる。父は息子と縁を切ってほしいと伝えるが、小夜子はどんなに反対されても真一と一緒になると主張する。小夜子の情熱に真一の父も理解を示し、一時帰国した真一と小夜子は夫婦生活を送り始める…。

 

 

U-NEXTの配信で観ました。「永遠の人」以来の久しぶりの木下監督作品です。

 

戦争未亡人となった小夜子が、子育てや夫の家族(義父、義母、義理の弟、妹もいっぱい!)の世話を忙しく焼きながら、義弟の結婚を前に、夫と知り合ったときから結婚するまでを思い出して、、、という始まり。「不死鳥」のタイトルロゴが炎の中から浮かび上がるという演出も印象的で、波乱万丈が二人を待ち受けるのね!みたいな期待を抱いて見始めました。

その回想の物語は戦争に翻弄され、愛し合っているのに離れ離れにならなければならない二人の切なさ、お嬢様だった小夜子が真一との楽しいデートのあとに家に戻ってくると父親が急死。病弱な弟と二人残され、叔父や叔母にいじめられ…さらには絶対に結婚を認めてくれない真一の父。二人の前に立ちはだかる数々の障害とそれでもその障害を乗り越えて結婚する二人・・・泣ける要素はいっぱいの王道のメロドラマ!・・・のはずなのに、映画に入り込めないまま、泣くこともなく映画終了。

 

その理由の一つは、なんだか冗長というか、最初から「人間ができている二人が愛し合っている」状態で、最後までそのまま、という、イマイチ起伏のない展開のせい。愛し合っている二人の間に、「裏切られた」という誤解があったり、あるいは身分や境遇に差があったりとか、すれ違いというか、そういうタイプの困難が横たわってなくて(小夜子の父親が亡くなる、ということはあるのですが、家もそのまま、ばあやもいて貧しくなったような雰囲気はなしだし、お父さんはその点で結婚を反対している風でもなく、あまり大きな問題にみえません)、ヤキモキしないのでありますσ(^_^;メロドラマ観る上で私の中で大事なポイント(私だけか?)、「引っ付いたり離れたりで上手くいかない二人の恋愛にヤキモキする」がありません。最初から絶対に離れないと分かる二人なので、盛り上がりポイントがないのです。

 

入り込めなかった理由の二つ目が見出し。1947年の作品なので、撮影当時の年齢は1909年生まれの田中絹代さんが38歳か37歳、1926年生まれの佐田さんは20歳か21歳か。

田中さんは回想前の割烹着姿は違和感ないのですが、回想が始まると女学生(セーラー服に三つ編み)。佐田さんは学ランに下駄、角帽の男子学生。その後も、田中さんの衣装は可愛らしいのですが、いずれも若い女性が着るのだろうなー、という服装。

佐田さんは実年齢そのままの役なのに、田中さんは元々お綺麗な方なのは知ってはいてもやはりアラフォー、目尻のシワやアゴのたるみは隠せず(しかも、感覚的には現代より老けてみえます)。どうにも若作りのように見えてしまい、この二人の組み合わせの違和感が最初から最後までずーっと横たわります。例えば、相手役が佐田さんではなくて田中さんと同年代の方だったり、実年齢に近い設定であれば気にならなかったのかもしれませんが(「風の中の牝鶏」の時は20代後半という設定で、これもまぁ「?」ってなったのですが、相手が佐野周二さんだったのでそこまでひっかからなかったんですが)、どんなにキレイな方でも、やはりこれにはちょっとムリが(^◇^;)しかも、木下監督なので佐田さんがめちゃめちゃハンサムに撮られていて(ジャケ写でも分かる!)、その対比で余計なのですσ(^_^;

 

と、そんなワケで、久しぶりに観た木下作品。これまで観た作品はどれも観終わった後に作品として印象深いものでしたが、今回は残念ながら、印象深かったのはタイトルロゴと佐田啓二さんの美しさ、ということになりました(キレイな田中絹代さんを観るためには何を観たらいいのだろうσ(^_^;愛染かつらあたりか?)。しかし、観る作品ごとにうけるものが違っていて、すごい監督さんだなー、とあらためて思うのでした。

 

 

 

 

吉村廉/古賀聖人監督「虹の谷」(激怒する牡牛)

教育映画とあなどるなかれ。

f:id:kinakokan0620:20181017233016j:plain


 

【映画についての備忘録その37】吉村廉/古賀聖人監督×月田昌也主演「虹の谷」(激怒する牡牛)(1955年/1957年)

 

阿蘇山の麓の村。牛山師だった円吉(菅井一郎)の飼う牛に牡の仔牛が生まれた。孫の繁と仔牛は仲良く育ち、繁はたくましい青年に、仔牛は見事な巨牛となる。

繁(月田昌也)は円吉と同じ牛山師となり牛山師たちの頭領・岩吉(河津清三郎)の引立てで、みるみるうちに仕事を習得し、信頼を得ていく。しかし、この様子を同じ牛山師で乱暴者の鉄三(石黒達也)は快く思っていなかった。そんなある日、巨木を六頭の牛で引いて急坂にさしかかった時、元牛をやっていた鉄三の牛がどうしてもいうことを聞かないので、岩吉は元牛を繁の牛に代らせて無事に難所を切り抜けた。その帰途、鉄三は繁を待伏せして、自分の牛を繁の牛にけしかけ、先刻の仕返しをしようとした。だが、鉄三の牛は闘おうとしない。激怒した鉄三は自分の牛を殺し、祭の夜、酔払って繁の家に暴れ込んだ。しかし、繁も円吉もいないので繁の牛に八ツ当り。繁の牛は反撃して、鉄三を暗い崖下に突落した。

山の掟で人を傷つけた牛は殺さねばならない。だが、鉄三を快く思わぬ岩吉らの計いで、繁は牛と共に故郷を離れた。山を越え川を渡り、仕事場を求めて繁と牛の流浪の旅を続ける。そして、川のほとりの村で少女ツル(左幸子)と知り合った繁は、材木商をしている彼女の家で働くことに。

一方、鉄三は牛を連れて逃げた繁への怒りが収まらず、復讐のために執拗に繁を探すのだった―。

 

 

シネマヴェーラ渋谷の「玉石混淆!?秘宝発掘! 新東宝のまだまだディープな世界」特集、最後を飾るのは!?こちら。もう観てから一ヶ月くらい経っちゃって、備忘録書くかどうしようか、とも思ったのですが、こちらも「玉」のほうの映画で、記憶がもう大分朧気になってますがσ(^_^;忘れてしまわないうちに、書き残しておきたいな、と。

 

まずはタイトルの説明から。元々の制作時のタイトルは「虹の谷」で、新東宝の配給時のタイトルが「激怒する牡牛」だそうです。「虹の谷」ではどんなお話か想像つかないし、たくさんの映画を面白そうなタイトルに変えて上映している大蔵新東宝、「虹の谷」じゃ客が来ないだろ!みたいなことで変更したのかな。激怒してたかっていうと「?」だし、だったのですが、まんまとタイトルに興味をひかれてしまい、鑑賞。

 

この映画、シネマヴェーラ掲示してあったプレスシートなどに“文部省推薦”(と他にも色々と教育機関の名前が)と書かれていて、いわゆる教育映画だったようなのですが、もうね、むしろその看板のせいで観る人を限定してしまうのが勿体ないよね、という作品でした。

 

繁の仕事の牛山師というのは牛を使って材木を運ばせるのが仕事。材木を牛に引っ張らせて山の麓まで運んで行きます。阿蘇山で切り倒した大きな材木を引っ張って物凄いスピードで急斜面を下る牛さんと牛山師。何頭もの牛とそれぞれについている牛山師との連携です。引きの絵でスクリーンいっぱいにその仕事の様子を撮っているのですが、これが結構な迫力。見るからに危険な仕事でみていてハラハラ。大自然を相手に牛と人の信頼関係がないと無事に麓まで行けないのだろうなー、という命がけの仕事の力強さが伝わってきて釘付けに。

 

牛さんと繁の信頼関係も素敵。牛さんが生まれたときから二人は一緒。そこそこ大きく育ってきたところでおじいさんが売りに出そうとしたところを泣いて嫌がり、おじいさんは売るのをやめます(変わりに母牛が売られちゃうんだけど(^◇^;))。一緒に育ち、牛山師となった繁と牛さん。牛山師は一応、言うことを聞かせるためのムチみたいなものも持っているようなんですが、繁は牛さんにムチ打つことはしないで話しかけるようにして一緒に仕事をしていきます。牛さんの目が優しそうなのもあって、牛さんと繁がお互いを思いやっている感じがして、ほっこりします。

繁はツルとお祭りに行ったり(この時、町に出るのに材木を運ぶトロッコに相乗りして行くんだけどこれがすごくかわいい)、お互いを意識しあうのですが、ツルからもらったお守りをしれっと牛さんにかけてやろうとするシーンがあったり、ツルが間に割って入るのはなかなか大変そうな繁と牛さんの仲の良さwそして「なんで牛にかけちゃうの!?」とツルがヤキモチ焼いちゃうのも微笑ましい(๑'ᴗ'๑)(なお、解決策は繁と牛が交互につける、でしたw)

 

で、この繁と牛さんとツルのほっこりした場面と対比するように描かれる繁を執拗に追いかける鉄三のねじ曲がりっぷりが、教育映画だというのにいい人だけじゃない、面白さで。円吉やツルの祖父の元へ繁の居場所を探りに子分を連れて現れたり、「虹の谷」というタイトルで牧歌的な作品を想像してたのに鉄三のおかげで?全然そんなことなくて。祭りに出かけた後、町からトロッコで帰ってくる繁と船(だったかな?)で繁を探しにやってきた鉄三達がすれ違いそうになるシーンなんかはもう、サスペンス映画観てるかのようなドキドキ感でした。

 

クライマックスでは鉄三が繁と牛を追いつめるために鉄砲堰をきり、激流に飲み込まれそうになります。その激流の勢いに自然の脅威と、必死に牛を救おうとする繁に牛さんとの絆の強さを感じ、そして、その姿に改心する鉄三に心打たれ、という怒濤の展開。最後まで飽きることのないストーリーです。

 

阿蘇山周辺の自然、牛山師の仕事、そしてこの当時の生活様式-囲炉裏のある家や竹筒の水筒、牛の仕事が徐々に車に取って代わられる様子(そのため、流浪の旅はなかなか仕事が見つからず長引きます)-なども見ていて興味深く(風俗史として勉強になるという意味では今の時代からしたら文部省推薦かもw)、とても見応えのある映画でした。今回の特集上映がなければ一生見る機会がなかったであろう映画のように思いますが、観ることができて良かったなぁ、と思う一作でありました。

 

【おまけ】

気がついたら玉石混淆とか言いながら「玉」だけじゃん!みたいなシネマヴェーラ渋谷の新東宝特集の備忘録になっていますが(「男の世界だ」は映画のでき云々の前にハンサム・タワーズが見られるというだけで「玉」認定ですw)、実は「石」も観ていますw

スター勢揃いの「波止場の王者」です。"ガス・タービンAZの設計図を狙う国際ギャング団と対決する、正義の青年技師をめぐっての活劇篇”。宇津井健さん主演、久保菜穂子さん、三ツ矢歌子さん、丹波哲郎さん、などなど、豪華俳優陣。なのにゆるい!青年技師=ぽっちゃり好青年の宇津井さん主演で若者の更正みたいなことも盛り込んで。。。ということでアクション映画のはずが、宇津井先生の熱血教師の物語を見ているような感もありw苦笑しながらの鑑賞で、違う方向で記憶に残った映画でありましたw

 

「玉石混淆!?秘宝発掘! 新東宝のまだまだディープな世界」の「玉」映画の備忘録
kinakossu.hateblo.jp

kinakossu.hateblo.jp

kinakossu.hateblo.jp

 

 (玉って言っていいかどうか分からないけど面白かったやつ)

kinakossu.hateblo.jp