T’s Line blog-映画についての備忘録-

兼業主婦が仕事と子育ての合間に見た映画などについて、さらにその合間に綴るブログです。ブログタイトルのTは好きな俳優さんのお名前のイニシャルがことごとく「T」なため。LineはTのうちのお一人の主演作、新東宝「地帯シリーズ」から拝借しています。。

小津安二郎監督「風の中の牝鶏」

らしい前半とらしくない後半。時代の違いを感じた映画。

 

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【映画についての備忘録その16

小津安二郎監督×田中絹代主演「風の中の牝鶏」(1948年)

 

 

戦後間もない東京。夫・修一(佐野周二)の復員を待ちながらある一家の2階を間借りしている雨宮時子(田中絹代)は着物を売ったりしながらお金を工面し、まだ幼い息子・浩を必死に育てていた。近所のアパートには親友の秋子が住んでおり、着物を売るときはいつも秋子から隣人の織江にその口利きを頼んでいた。織江は「時子は綺麗だから、その気になれば楽に稼げるのに」と秋子に言って彼女を不愉快にさせた。

秋子のアパートから帰ると、浩が高熱を出し、慌てて病院に駆け込むと大腸カタルであるという。入院は10日間。蓄えのない時子は入院費を工面するため織江の紹介で身体を売り、入院費を工面した。仕方がないと自分には言い聞かせたが、織江から話を聞いた秋子に咎められて、激しい後悔の念にかられる。

それから間もなく、修一が復員。自分がいない間、浩は大きな病気にかかったりしていなかったか?と心配した修一に大腸カタルになって入院したことを話す。入院費の工面を心配した修一に、人から借りたのだと最初は嘘をつくが、その嘘をつき通せず身体を売ったことを話してしまう・・・。

 

神保町シアターの「生誕115年記念 映画監督 小津安二郎「をんな」たちのいる情景」特集にて鑑賞。パパのお休みの日に映画でも観てくれば?ということで、その日の仕事終わりでやっていたのがこの作品。というわけで、もっとメジャーな作品いっぱいやってたのに、これを観てきました。

 

これ以前に観ているのは備忘録をつけている「秋刀魚の味」と「お早よう」の2作品。この二つはどちらもあまりドラマチックな事が起きない、淡々とした日常を描いた映画でしたが、今作は神保町シアターの紹介にあるとおりに「異色作」のようで、先にみた2作品で私の中にできていた小津安二郎作品のイメージとは異なるものでした。

 

作品の前半はそれでも、戦後間もない苦しい生活ではありつつも母と子のよくありそうな日常を描く小津監督らしい展開でしたが、後半、夫の修一が復員して、身体を売ってしまったことを話してからは、鬱々として今との感覚の違いを感じる展開に。過去2作の「今観ても楽しい」感がどんどん薄れていきます。たとえば。。。

修一は時子に辛くあたり、大きな声をあげたりします。でも、時子は文句も言わずひたすら耐えます。もう、観ている子育て中の主婦としては修一にムカムカ。だって、切羽詰まってたんだよ!?あんたいなかったでしょうが!とか、修一の苦しみよりも時子がかわいそう!という思いが先に立ちます(^◇^;)

修一は会社の同僚(笠智衆)からも、「身体を売るより仕方なかったじゃないか」と諭されたりしますが、頭では理解してるんだけど妻といると怒鳴ってしまうんだ、と(このときの笠さんの「理解してるんなら感情じゃなくて意志をはたらかせろ」というのは名台詞だなぁと思いました)。んで、結局その日も職場から帰ると時子に辛くあたり・・・。時子はそれでもやっぱり耐えます。「あなたが苦しんでるのがつらい。私のことはぶつなり好きなようにしてくれ」と。修一はすがる時子の手を振り払って出かけようとしますが、その弾みで急な階段の2階から転落。でも、修一は駆け寄ったりはしないで、階段の中程から「大丈夫か!」と声を駆けるのみ。時子は足を引きずりながら自力で階段を上がっていきます。もうね、ここでも修一ひどいな、おまえ!最低だな!とか思ってましたσ(^_^; そしたらなんと!!階段を自力であがってきた時子に、修一が「過ぎたことは忘れて二人でやり直そう。もっと大きな愛でお互い支え合っていこう。」みたいなことを言ってきて、そして二人やり直せるね、で大団円。で、ここでも「おまえが言うな!」みたいになり(^◇^;)ということで、モヤモヤの嵐。「秋刀魚の味」の佐田啓二×岡田茉莉子DINKSとは全然違う夫婦像で、「秋刀魚の味」の夫婦には今と通じるものがあって楽しかったのですが、こちらの夫婦の形は違和感が拭えませんでした。時代的にはこういう関係が普通だったのかなぁ・・・。

 

ただ、前半は"らしい”シーンがたくさんでした。これってママあるあるだ!みたいな場面が随所に。浩をおんぶして外から帰ってきて、子供の靴を持ったまま部屋の中まで入ってきたりとか、復員してきたばかりのお父さんに知らない人っぽくなってる子供に「お母さんと一緒に買い物に行く?お父さんと遊んでる?」と聞いたら一緒に買い物に行くってなったりとかw大腸カタルになって看病してるときに「お母さんがあんこ玉なんて食べさせなければ良かったのよね、ごめんね」って言っちゃうくだり(病気になったときとかってたぶん関係ないのに、自分の行動に原因があったんじゃないかと思ってしまうんですよね)とかも、なんか、分かるわー!って場面がいっぱいで。こういう日常の風景の切り取り方はまさにイメージする通りの小津作品でした。

 

というわけで、時代的にはこういうものなのかなと、なんだか後半のモヤモヤが強く残ってしまった映画でした。Wiki観ると、色々と詳しい評論がされていたりしますが、そこまで深くは読み取る力もなく。三作目にこれは早すぎたかなσ(^_^;とりあえず、次はもっと”らしい"小津作品を観てみたいと思いました。

木下恵介監督「喜びも悲しみ幾年月」

題名通りのストーリー。こうありたいという夫婦の姿。

 

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【映画についての備忘録その15】

木下恵介監督×佐田啓二高峰秀子主演「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年)

 

映画のストーリーの紹介は今回はあえてざっくり。

 

上海事変の起きた昭和7年灯台守・有沢四郎(佐田啓二)と妻・有沢きよ子(高峰秀子)は、新婚早々、四郎の勤務先の観音埼灯台で暮らし始め、その後転勤となった北海道の石狩灯台で雪野・光太郎の2人の子供が生まれます。

九州・五島列島の孤島に佇む女島灯台佐渡の弾崎灯台など日本各地の灯台に赴任し、赴任先で出会った若い職員野津(田村高廣)をはじめとする灯台員の仲間達との交流や、厳しい環境と過酷な仕事に苦労を重ねながらも、戦後まで灯台職員として生き抜いていく夫婦の姿を描いた物語です。

 

 

 U-nextの配信で観ました。2部構成で戦前~戦中~戦後の夫婦の年代記という構成。159分という長尺。一気に観る時間がとれないわ、途中でU-nextの配信がいったん終了しちゃうわ、とかで4回くらいにわけて1ヶ月くらいかけて観ました(^◇^;)とりあえず、全部観られて良かったw

 

映画の最初に流れてくるのは映画のタイトルと同名の、ちょっと勇ましいメロディーの曲。が、これ、映画は観たことないのに聞覚えのあった曲で、「この映画の曲なのか!」となんだか記憶の底から何か取り出してきたかのような気になりました。(だから何?って話だがσ(^_^;1986年にリメイクされているようなので、この時にメディアや街中で流れて聴いたのかも)

♪おいら 岬の 灯台守は~ で

始まる歌で(Youtubeとかで観られると思います)灯台守の日々を謳った歌。これが映画のなかでは灯台から灯台へ転勤する際などに流れ、灯台守の過酷さや使命感といった職業映画的な一面も感じさせます。

 

映画は1957年の公開。先に書いたように昭和7年(1932年)から始まって、終わりは1957年。重い時代的背景なのですが、殊更にそれを強調することはありません(悪化する戦況のなかで多くの灯台員の命が失われるた事や灯台が爆撃されそうな描写、赴任先で親しくなった名取夫人が機銃掃射でけがをするシーンなどもあるのですが、その悲惨さを強調するようなシーンになっていない)。公開当時この映画を観ていた人は有沢夫妻と同じように時代を生きてきた方達が中心だったかと思いますし、恐らく、そこに観客それぞれの戦争の記憶が補完されてそれで十分だったのかなぁ、と想像します。

で、現代の視点で観ると、補完される記憶がないので戦争故の苦労といったところはさらりと流れ。時代背景はあまり物語には作用してない気がしたので、それでも十分でしたが、時代背景もあいまってすごい泣ける映画なんじゃないかと見始めたのでその点は勝手に拍子抜けしてしまいましたσ(^_^;(最後には泣きましたがw)

 

それでも、(灯台守という仕事は特殊だし、もう日本にはないのですが)いつの時代にもあり得そうな、時には喧嘩をし、苦労もありながら、それらを経験して夫婦がお互いを信頼し絆を深め「喜びも悲しみも」二人で共有して歳を重ねていく物語としては見ごたえ十分。夫婦の世代ごとにめぐり来る出来事を、灯台周辺の厳しいけれど美しい自然や佐田啓二さんと高峰秀子さんの演技に引っ張られて最後まで観ることができました。

恐らくこれから自分が経験していくであろう「喜びも悲しみも幾年月」。子供が巣立ったあと、こういう夫婦になっていたいな、という夫婦の物語でした。

 

映画のストーリーとは関係ないとこの備忘録。

これを観て佐田さんはほんと絵に描いたような二枚目だ、と思いましたw「秋刀魚の味」が初めて佐田啓二さんを観た作品ですが、それよりも5年前の作品。木下監督は「今年の恋」の輝雄さんと茉莉子さんもそうですが、美男美女をほんとにカッコよく、キレイに撮るようです。先に二作観ている小津監督作品の佐田さんはわりと普通っぽくて、この作品で二枚目さんなのを確認できた感じです( ̄∇ ̄)

あと、田村高廣さんがめっちゃ若くてもやっぱり高廣さんだったー!ってのと仲谷昇さんと中村嘉葎雄さんが「誰これ?」レベルで別人だった驚きも付け加えておきます。

 

 

石井輝男監督「続・決着(おとしまえ)」

やっぱり梅宮辰夫より吉田輝雄がおいしかった、悲恋に泣かされる任侠映画

 

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【映画についての備忘録その14】

石井輝男監督×梅宮辰夫主演「続・決着(おとしまえ)」(1968年)

 

横浜。須藤組の五郎(梅宮辰夫)の兄貴分・譲二(吉田輝雄)は、組長(安部徹)の命令で橋場組に一人殴り込んで橋場組長を斬り、8年の刑に服していた。しかし、出所というその日、組からの出迎えは誰一人としてなかった。須藤は今では古株の太田(南原宏治)を片腕に須藤芸能という会社を興してそれを表向きの稼業としている。自ら組に出向いた譲二に、須藤組長は警察の目が厳しく表の稼業に影響が出るからだと説明するが、裏の仕事を自分に押しつけた挙げ句の組の態度に、譲二はヤクザに見切りをつけ、懐に入れていた盃を組長の前で叩き割った。五郎は行く当てのない譲二を心配するが、ヤクザをやめることはできず、組に残りパイラーをして金を稼いでいた。

出所した譲二は、橋場組長を斬ったことを詫びるため娘・美也子(宮園純子)の元を訪れる。美也子は聾唖者で話すことができず、今は元組員の塚(砂塚秀夫)と丸山(由利徹)がその面倒を見ながら一人で暮らしていた。譲二は組長を斬ったことを美也子に言い出すことができなかったが、罪滅ぼしに、美也子の行く末を見守ることを決意する。

一方、五郎には六郎(谷隼人)というトランペッターの弟がいる。六郎は須藤組長の娘・佐知子(大原麗子)と恋仲だったが、須藤組長は地元の権力者・黒田(田崎潤)の息子と佐知子を結婚させるつもりで、五郎に二人を別れさせろと命じるのだった…。

 

 東映チャンネルの放送で観ました。「決着(おとしまえ)」の輝雄さんにキャッキャッしてからの~、「続・決着(おとしまえ)」。こちらもやっぱり期待に違わない!?主演の梅宮辰夫より吉田輝雄がおいしい映画でしたヾ(o´∀`o)ノ

 

【前作についてはこちら】 

kinakossu.hateblo.jp

 

「続・決着(おとしまえ)」とか言いつつ、前作とのお話のつながりはなくて、梅宮辰夫(弟分)×吉田輝雄(兄貴分)の設定だけが残り、全く新しいお話。

「決着(おとしまえ)」は五郎と鉄次の二人を中心にして、二人のヤクザとしての生き方、恋、堅気の生活の話が対になるようにそれぞれ描かれていたのですが、「続・決着」のほうは、堅気になった譲二とヤクザの組に身を置く五郎(同じ名前だけど違う五郎です。ややこしい)という立場。譲二は橋場組長の娘・美也子との恋の話を中心に、五郎は弟・六郎との兄弟関係を中心に、とそれぞれ異なる視点の物語が展開します。その分登場人物が多くて90分のなかであちこち話が飛び、また、ちょっと蛇足かな、と思うようなシーンもあり、「決着(おとしまえ)」ほどのテンポの良さはありませんでした。それでもところどころに挟まれる石井作品おなじみの砂塚さんと由利徹さんのコミカルなシーンに笑ったりで飽きることなく、最後には「任侠映画なのに、悲恋に泣かされる」という思わぬ展開に、見終ったあとに余韻の残る満足感のある作品でした。(今回も結末まで書いてますm(_ _)m)

 

映画は「決着(おとしまえ)」同様の、誰が主役なんだよ!?みたいな展開からスタート。映画の始まりは輝雄さんのどアップで(〃∇〃)譲二が橋場組に殴り込むところから始まります。

橋場組に現れて「おとしまえをつけに参りました」と名乗る譲二。その譲二に向けて何かが投げつけられます。反射的に玄関のガラス戸をしめて身をかわし、ガラスが割れると「続・決着(おとしまえ)」のタイトル画。いきなり印象的な演出。

一人で橋場組の組員をどんどん斬り倒していきます。様式美みたいな型を見せるような立ち回りで、もう、超かっこいい(〃∇〃)このシーンの上にキャストやスタッフの名前がかぶるんですが、その演出もカッコいいです。で、対する五郎のほうはというと・・・。出迎えのなかった譲二は一人、五郎がパイラーをしている飲み屋へやってきます(譲二は組に出所することは伝えていましたが、五郎にはそのことは伝わっていませんでした)。が、五郎はグループサウンズのメンバーみたいな服とカツラ(^◇^;)前作では「梅宮辰夫を硬派で売り直す」という努力のあとが見られたのですが、「続」のほうはもうそのコンセプトはなかったことになってるのか!?っていう扱いw譲二が五郎と一緒に須藤組に戻り、盃をたたき割って組長に返すまでの冒頭15分くらい、もう、ひたすら、かっこいいのは吉田輝雄の役目です(〃∇〃)

 

それでも、前作よりは梅宮辰夫は主役らしい扱いを受けていてw

五郎はパイラーとして外国人相手に紹介していたエミ(国景子)との仲が恋に発展します。エミの気持ちに気付きながらも知らないふりをしてエミに客を紹介していた五郎。エミはそんな五郎を忘れるため須藤芸能が募集している東南アジアに派遣する舞踊団に参加することにします。しかし舞踊団というのは口実で実は身寄りがなかったり家出した女の子たちを集めて外国へ売り飛ばすのが目的。五郎はエミに舞踊団に入るなと言い、エミの気持ちを受け入れます。

このエミも弟・六郎との話の展開に絡んできてりして、前作では華を添えるためという程度だった五郎の恋も、軽いタッチではありますがきちんと描かれています。

 

はい、で、軽いタッチなのになんで悲恋に泣いちゃったのかと言えば、そこはもちろん輝雄さん担当のお話のほうで、やっぱり美味しいところは吉田輝雄が持って行くのであります。

譲二は出所後、美也子の元を訪れます。それは橋場組長を斬ってしまったことを詫びたかったからなのですが、結局言い出すことができませんでした。しかし、障害を抱えて一人で暮らす美也子(塚と丸山という楽しい元組員の助けはありますがw)のことが気にかかり、見守っていこうと考えます。

口のきけない美也子と話ができるようにと、譲二は手話ができる人を探し、街の易者で美也子の知り合いであるウラナリ先生(嵐寛寿郎)から手話を習い始めます。それまで、鋭い目でヤクザをにらみつけ、五郎や佐知子など自分を慕う人達にすら緊張感みたいなものを漂わせていた譲二が、ウラナリ先生から手話を習うときは穏やかな表情で一生懸命に手話を覚えます。堅気になってから出会う気の置けない仲間を前に譲二は少しずつ心を開いていきます。そんな時、美也子が須藤組に連れ去られます。美也子に御執心の黒田に美也子を差し出すためです。美也子の窮地に塚、丸山とともに駆けつけ、黒田から救いだし、横浜の海を眺めながら歩く二人。譲二は美也子を見つめて、覚えたばかりの手話で

 「キレイデス」

えっ?という表情をする美也子を見て、譲二は恥ずかしそうに

「船ガ キレイデス」

そんな譲二をみて、美也子は

「アナタノ心モ キレイデス」

 気持ちを伝えてみたものの恥ずかしくてごまかしてしまう譲二とその気持ちに気付きながらもやはり同じようにストレートに好きとは言えない美也子。お互いに内に秘めた想いを伝えることはできないけれど、一緒にいられることが幸せ。え、これヤクザ映画ですよね!?と言いたくなるような面映ゆくなるシーンですヾ(o´∀`o)ノ

譲二はその後もウラナリ先生に手話を教わりに通います。

「(ウラナリ先生の手話を真似ながら)仲良くしましょう」

「そう!」

「もっと強烈なやつないですか!?」

「え?」

「つまり、アイラブユーですよ!分かってるでしょ?」

「おー、そうかい(笑)もっと早く言やあいいのに!(手話をしながら)私はあなたを愛しています」

教わった後はにっこりと「ありがとうございます!」。ヤクザだった頃の張りつめた雰囲気はそこにはありません。(前半の譲二の緊張感と、美也子やウラナリ先生、塚たちと一緒の時の穏やかな笑顔と両方楽しめる、やはり吉田輝雄のための映画です(∀))

 

しかし、堅気になった譲二の穏やかな時間はそう多くはありませんでした。六郎が佐知子と駆け落ち。佐知子は連れ戻され、六郎は殺されてしまいます。そして、夕方から美也子の姿も消えていました。六郎を殺されて怒った五郎は、堅気になった譲二を巻き込まないように一人で殴り込みをしようとしますが、譲二は「死ぬときは一緒だって兄弟の盃をかわしたじゃねぇか」と二人で須藤組に乗り込みます。

 

殴り込みに行くときに流れる曲は前作「決着(おとしまえ)」でも流れていた梅宮辰夫が唄う任侠映画らしい“いかにも”な曲なのですが、これが最後に死を覚悟して二人で組織に立ち向かう、という前作とのコンセプトの繋がりを感じさせるいい仕掛けになっています。

 

須藤は黒田とともに港に停泊している貨物船に乗っていました。集めた女性たちを東南アジアへ送るための船です。船に乗り込み、須藤組と対峙する五郎と譲二。

譲二は地下の船室に閉じ込められて黒田に襲われそうになっていた美也子を救い出し、船室にそのままいるように伝え、黒田を連れて甲板まで戻ってきます。五郎はその時甲板の隅まで須藤を追い詰めるも、銃を向けられて身動きが取れなくなっていました。

黒田にドスを突きつけたまま「五郎から手を引け」と言う譲二。パニックになった黒田は「あの娘には手をつけていない」と視線をやります。そこには譲二を心配して甲板まで来てしまった美也子がいました。

その姿を見た須藤は譲二が橋場組長を斬ったのだ、と美也子に向かって叫びます。

「言うな!黙るんだ!」と言う譲二にかまわず、須藤は美也子に話し続けます。須藤に盃を叩きつけた時ですら冷静さを失わなかった譲二に、静かにでも確実に感情の揺れがおこります。それでもなお美也子に話し続ける須藤。そしてついに譲二は怒りに任せて須藤を斬りつけようと黒田に向けていたドスを振り上げます。その隙を見逃さず、須藤は銃の引き金を引き、銃弾は譲二の胸に。譲二は力を振り絞って手にしていたドスを須藤に向かって投げつけ、五郎がとどめを刺します。

銃弾をまともにうけた譲二はもう立っていることもできず、五郎に抱えられて横になります。

「兄貴、しっかりしろ!」

「こんなところで死ねるかい。あの娘さんの行く末を見届けるまでは」

息も絶え絶えになりながら、そばに立つ美也子に手話で思いを伝えます。

「オ父サンノコト事ヲドウシテモ言エナカッタ」

「許シテイマス」

「アリガトウ」

「死ナナイデ 死ンジャイヤ」

譲二はそっと笑顔を浮かべます。

そこで警察が駆けつけ譲二は担架で船から降ろされ、五郎も警察に連れられて下船。美也子は譲二を船の上から見守り、「死ナナイデ」と必死に手話で話しかけます。その姿を見た五郎は救急車に乗せられようとしている譲二の肩を起こして美也子の姿が見えるようにしてやります。

「愛シテイマス」

と繰り返し伝える美也子。それを見て静かに微笑む譲二。しかし、譲二には自分も伝えたかったその言葉を伝える力はもうなく・・・

 

兼業主婦、ここでポロポロ涙しました。まさか任侠映画観てて恋の話に泣くとは思わなんだ。美也子のために生きていたいと思っているのに消えていこうとする自分の命。それを感じながら伝えたのは美也子への謝罪。覚えたのに伝えることができなかった「愛シテイマス」の言葉。切なすぎだ!!

 思えば、「女体渦巻島」でも、信彦がアブサンを飲んでいたところに百合がやってきて、一瞥するとグラスを残して去り、残された百合はグラスを換えようようとしたバーテンを制して、同じグラスでアブサンを飲む、というこれまたなかなかに切ないシーンを描いていた石井監督。この辺は新東宝から続く、石井監督的吉田輝雄の生かし方なのかもしれません。いや、もう、ほんと切なかったっす。

 

最後、命尽きて救急車で運ばれていく譲二を五郎が「俺も兄貴のところへ行きたい!」と泣きながら追いかけるシーンもかなり切なく。「決着(おとしまえ)」でも、五郎(違う五郎なんだけど)が鉄二の死に号泣するシーンがあって、このシリーズはどちらも凄く感傷的。任侠モノとしてイメージするものとは違って、ウェットなドラマで、それ故に見応えがありました。

んで、硬派になりきれてない梅宮辰夫と硬派な吉田輝雄というこの組み合わせも良くて。役柄的な対比も面白く、もっとこの組み合わせも見たかったなぁ、と思いました。

 

「決着(おとしまえ)」も「続・決着(おとしまえ)」も、輝雄さんに任侠映画ってどうなんだろう?と思っていたのですが(私の中ではゴールドアイの吉岡さんのようなクールでスマートなイメージ。網走番外地の役もヤクザではないですし、タイプ的には吉岡さんなのですよね)、石井監督にかかるとスーッとはまるんだなぁ、と思いました。鉄次も譲二もどちらかというと寡黙で、思いを内に秘めるタイプの役。梅宮さんの五郎は思いっきり喋って泣いて、感情を外に出すタイプ。網走番外地の橘・健さんを二人で分けたような感じです。この頃にはもう輝雄さんにも演技の堅さとかはないのですが、感情を爆発させるような熱演型の演技ではないのは変わらず。で、そのあたりがまた、このシリーズの熱い思いを内に秘めながら冷静さを失わない、という役柄にマッチしていて、表情だけの演技で色々な感情が伝わってくる役でした。この後、石井監督が異常性愛路線に行っちゃって、それに付き合ったが故にご本人の俳優としてのキャリアもほぼ終焉してしまったのがほんと勿体なく。主演デビューからの数年のビックリするような下手さ加減からwここまで上手くなったわけで、ずっと一線で役者をされていたらどうなってたのかなぁ、と思ってしまいます。

 

それから、今作で他にも印象的だったのが、美也子の設定とその描き方でした。任侠映画にまさかこういう設定の物語が存在すると思ってなかったというのもありますが、その障害を「泣かせる」ための装置にしていなかったこと。当時、どのくらい手話というものが知られていたのか分かりませんが(譲二は「唖の人と話をするにはどうしたらいいか教えてくれる人を探しているんだ」といって夜の街を歩くので、手話が今ほど知られていなかったのかな?と想像)、二人にとってはあくまで意思疎通としての手段、という風な描き方。いうなれば外国語を学ぶような感じです。泣かせにかかるような設定にはもっていってなくてそれが逆に最後に涙ポロポロ…につながったように思います。

 

あと徒然と思ったことオタク的メモ。

輝雄さんの浅くくわえたたばこの先をクイッと下げた仕種がめちゃくちゃカッコいいのですが(アイコン参照)、出所してから五郎を訪ねたときにこの姿が見られたり、今作はスーツ姿&トレンチコート姿での登場が多く、おかげでスマートで小顔で長身、というスタイルの良さが際立っていてすんごいカッコよかったり(かっこいいしか言ってない)、砂塚さんと由利さんとの絡みでのコミカルなシーンがかわいらしかったりと、ストーリーとは別に眼福(//∇//)なシーンが多くてそれもまた自分的には本筋とは関係ないとこで作品の評価のアップするポイントでありましたw

 【クイッと下げてます】

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井上梅次監督「真赤な恋の物語」

音楽、麻薬、女を取り合う男達。華やかで艶やかな絵になるシーンが連続の99分(赤いけど)

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【映画についての備忘録その13】

井上梅次監督×岡田茉莉子主演「真赤な恋の物語」(1963年)

 

横浜屈指のキャバレー“ハバネラ”-そこは麻薬密売組織の根城であった。
ハバネラの人気歌手・摩紀(岡田茉莉子)は男をひきつけてやまない、恋多き美貌の女性。
麻薬組織のボス、片目(大木実)の情婦だが、彼が高飛び中の今、摩紀は片目の部下で支配人を務める鬼頭(根上淳)の情婦となっている。

 一方、赴任してきたばかりの立野三郎警部補(吉田輝雄)は山田警部(安部徹)にハバネラへピアニストとして潜入するよう命じられる。ターゲットは支配人の鬼頭と摩紀。摩紀に近づいて、組織の情報を手に入れろというのである。そして、三郎にバンドマンにふさわしいアパートを用意し、情報交換はそこで行うこと、またハバネラへ中華料理屋の出前として出入りしている吉本刑事と連絡をとりあうことを伝える。摩紀に惑わされ「ミイラ取りがミイラにならぬように」と付け加えて。

 ハバネラのピアニストとして潜入した三郎。摩紀は三郎のピアノと美貌にひかれ、恋におちる。そして、三郎もまた、彼にほのかな思いを寄せるハバネラの花売りで隣の部屋に住む恵子の純粋さにひかれながらも、摩紀の情熱的な魅力に抗えずひきこまれていくのだった。

ある日、鬼頭と摩紀がたくらんだ麻薬取引の情報を知った三郎は吉本刑事に連絡。警察は多量の麻薬を押収する。三郎の密告と知った鬼頭は、三郎を私刑にかけてドロをはかせようとするが、三郎は決して話そうとはしない。業を煮やした鬼頭に、摩紀は恵子を連れてこいという。そして恵子に危険が、というその時、三郎はついにすべてを話してしまう。そして、連絡役であった吉本は鬼頭たちによって殺害されてしまう。

裏切り者となった三郎は警察に真実を伝えることもできず苦悩する。そこへ手を差しのべる摩紀。三郎は惹かれるがままに摩紀との愛欲の生活におぼれていく。摩紀の秘密の別荘で二人きりで過ごす甘い時間。

しかし、そんな中、片目が高飛び先から戻ってくる。摩紀を手放したくない三郎は片目から摩紀を自由にするために大きな賭けに出るのだが―

 

 

シネマヴェーラ渋谷の「ニッポン・ノワール」特集で鑑賞。特集上映の期間に2日間スクリーンにかかって、2日間、合計二回観に行きました。もちろん、吉田輝雄さんを観たかったからで(∀)(何なら2日間のすべての上映会で観たかったくらいですがw)

上映前にフィルム状態の悪さについてアナウンスがありました。どんなもんかと思ったら、とにかく赤い!「真赤な恋の物語」を文字通り赤いスクリーンで鑑賞です(^◇^;) 空も赤くて夜か昼かわからないw 暗いだろうと分かるシーンはめっちゃ赤いので、すんごい赤い空の時は夜やね、みたいな推測をしながら鑑賞しました(^◇^;)

 

カルメン」を翻案したという本作。男を惑わすカルメン岡田茉莉子カルメンによって人生を狂わされるホセが吉田輝雄となります。(カルメン翻案、ということで結末は大体そのお話にそっています。ので、この記事はこの後最後まで読むと結末が分かるとこまで書き切っていますm(_ _)m)

 

映画は見出しに書いたとおり、色んな要素が盛り沢山に詰めこまれています。麻薬取引という裏世界の悪の要素、キャバレーでの華やかなショーと音楽(御本家「カルメン」の曲に日本語の歌詞をつけて、茉莉子さんや藤木孝さんが歌い、踊ります)、美男美女(吉田輝雄岡田茉莉子)の惹かれ合う様、煌びやかな生活、そして破滅していく様、女をとられて嫉妬に狂う男(根上淳)、残忍なボス(大木実)とか、映画としてこういうエピソードあると面白いでしょ!みたいなものを次々詰め込んで「ステキなショーをお見せしますよー!」みたいな映画でした。

 

んで、”ステキなショー”の要素のなかで一番重きを置かれていたのはやっぱり三郎と摩紀のお話。「真赤な恋の物語」ですからね。

「今年の恋」では喧嘩しながら惹かれ合う二人でしたが、こちらでは茉莉子さんが輝雄さんをグイグイとリードしていきます。実際の年齢も茉莉子さんが輝雄さんよりも年上で、見た目も茉莉子さんのほうがやはり年上らしく見えるので、この関係性が観ていてすんなりはまります。

 

二人の恋の始まりも、もう、「ショーならこういうの観たいでしょ!」みたいな期待通りの展開( ̄∇ ̄)ハバネラの元のピアニストがヤク中で捕まり(三郎を潜入捜査させるために山田警部たちが逮捕)そこへ後釜として三郎が入ります。元のピアニストでないと歌いたくないと言う摩紀。わがままを言うなとなだめる鬼頭。楽屋で口論しているその時、三郎のピアノが聞こえてきます。そのピアノの音色にひかれて、摩紀はショーの舞台へ。そして、そこでピアノを弾いている三郎にあっという間に恋に落ち、その手に持っていたバラの花を三郎へ投げ渡します。摩紀にとってはバラを渡すのが恋の始まりの合図です。ふぁー、もう、期待通りの展開\(^o^)/ その日の夜に早速、摩紀は自分の(赤いけど)白いオープンカーでドライブに誘います。これも期待通りの展開\(^o^)/ キスをする摩紀に戸惑う三郎。魔性の女に惹かれながらも、必死に気持ちを抑える純情な三郎です。これも期待通りの展開\(^o^)/ (しつこい)梅次監督、定番というか定型というか、こちらが期待する展開をてらいもなくバンバン見せてくれます。

 

自分に正直に生きたいという摩紀は三郎にストレートに気持ちをぶつけます。純粋で真面目な三郎は、そんなに簡単に人を好きになる事ができるのか?と摩紀に惹かれる気持ちに気付きながらも戸惑いを感じ、摩紀との恋に踏み出せないでいます。そして勿論、自分が潜入捜査中の警察官であるということも気持ちに歯止めをかけます。

刑事としての職務を全うしようとしている間は、恵子との恋の展開も!?みたいな雰囲気もあるのですが、やっぱり圧倒的に茉莉子さんがキレイなので、観ている側も「こりゃ、確実に摩紀のほうに傾くよね」みたいな安心感?があります。

 

恵子を救うために吉本が刑事であることを話して警察を裏切ることになってからは、三郎はどんどんと破滅の道を歩んでいきます。ただ、転がりおちていくその道は摩紀が一緒です(恵子はもう完全においてけぼり)。

吉本の死に苦悩する時―

警察官でありながら麻薬組織側の協力者となった身の上に自首をしようとした時―

 そして、ついには片目から摩紀を自由にするため、麻薬取引の仕事を引き受け、成功させます。もう、三郎は摩紀なしでは生きていけません。「僕の人生は君に捧げたようなもの。僕を裏切ったら殺すよ」

この時、二人が過ごすのはいつも浜辺の摩紀の別荘です。摩紀の白い(赤くなってるけど)オープンカーに乗って別荘へ向かい、浜辺を二人で駆け、ヨットに乗り、キスを交わします。もう、これも期待通り\(^o^)/ 輝雄さんと茉莉子さんという華やかなビジュアルの二人なので、この外国映画のような煌びやかなシーンも美しく(スクリーンが赤いことを除けば)。

 

仕事を成功させ、摩紀も手に入れた三郎を片目が消そうとしますが、逆に三郎が片目を殺し、二人はこれで片目から完全に自由になります。そしてここへ来てついに三郎は警官を辞し、ハバネラの経営者となります。

摩紀を完全に手に入れた三郎。しかし、ババネラで歌手・赤木健二(藤木孝)のショーが始まると、摩紀は健二に誘われて歌い、踊り、そしてバラの花を投げ渡します。かつて三郎にそうしたのと同じように。

自分の気持ちに正直でいたい摩紀と摩紀を自分のものにしておきたい三郎。摩紀の愛を一身に受けていた三郎がここでついに他の男に摩紀をとられてしまうという恐怖におびえます。ショーのあとに健二と白のオープンカーでハバネラを出て夜中中帰ってこない摩紀。酒をあおり、摩紀のドレスを腕に抱えて泣き、嫉妬に苦しむ夜を過ごす三郎。「カルメン」ですからね、こういう展開になる訳なのですけど、摩紀に愛されていることについては疑っていなかった三郎が自分の人生の道を外したあと、その目的であった摩紀を失うかもしれないとなったとき、それまで見せたことのない嫉妬にかられる姿。三郎にとって摩紀がすべてなのだということが真に伝わって、観ているこちらも苦しくなります。(輝雄さんも演技頑張ってるよ!)

 

警察を裏切り麻薬取引をさばいたこと、片目を殺害したこと、そのすべてが警察に分かる時がきました。三郎は摩紀に、二人でハバネラを去り別の土地でやり直そうと話します。警察の追っ手をかわし、二人は真夜中の埠頭で落ち合う約束をして別れます。しかし、いくら待っても摩紀は埠頭に姿を現しません。翌朝(です、多分。空が赤いから判別しにくいのですw)、三郎は二人で沢山の時間を過ごした浜辺の別荘へと向かいます。そこには健二と一緒にベッドに横たわる摩紀がいました。

嫉妬と怒りに狂う三郎。ナイフを手にしながらも、自分から離れないでほしいと摩紀に泣いてすがります。しかし、摩紀は女に跪くような男は嫌いだと吐き捨て、三郎の手を振りほどいて浜辺へと駆け出します。三郎はその後を追いかけ、せめて二三日、二人で過ごしてほしいと懇願します。

警官であった時は任務を重んじ正しくあろうと摩紀に抗い、そして破滅の道へと歩み出してからは摩紀のために強くあろうとし続けた三郎が、摩紀がその手から離れていこうとする時、その強さの仮面はあっという間にはがれ落ちて、なりふり構わずに摩紀にすがりつきます。摩紀にはもう届かなくなってしまった三郎の一途な愛が観ていてとても辛く切ない気持ちになります(カルメンだからこうなるのは分かってるんだけども)。

 

最後は自分から離れていくならば殺してしまうぞ、という三郎に、「強い男が好きだ」と摩紀は言い放ち、ついにナイフで摩紀の胸を刺します。それが摩紀の求めた強い男だったからです。動かなくなった摩紀を腕に抱え波に濡れ、抜け殻のようになってしまった三郎。その背後から片目の部下たちが三郎に銃口を向けています。それに気づきながらも摩紀を抱きしめたまま動かない三郎。そして、銃弾をその身にうけ、息絶えた二人の体は、その手を重ね合わせたまま、波に洗われ・・・。

 

これがラストシーン。もう、最後の展開、予想つくんだけど切なくて。「女体渦巻島」と同じくで、輝雄さんの演技はかたいのですがσ(^_^;どちらも最後はこの「愛していた女性を失って途方に暮れる」というシーンがあり、それについてはべらぼうに観ているこちらを切ない気持ちにさせます(ひいき目込みかもしれませんがw)。たぶん、まだまだ硬い演技のせいだと思うのですが、いわゆる熱演型ではないために、そのことがかえって、愛する女性を失った悲しみが大きすぎて感情のやり場を失い、ぽっかりと穴が開いてしまったようなそのリアリティーを感じさせるんですよね。愛する人が死んだとき、まずその事実を受け入れることができずに呆然としてしまい、号泣できないんじゃないか?っていう。

 

と、そんなことを感じながら観ていた方があの場でどのくらいいらしたのか分かりませんがσ(^_^;この最後の最後まで、「絵になる」シーンが盛り沢山でした。ハバネラでのショーのシーンは茉莉子さんが「カルメン」を藤木孝さんが「闘牛士の歌」を華やかに歌い、踊り、バンドマンが演奏を聞かせ、ダンサーが華麗に踊ります。摩紀の住むマンションにはベランダにプールがあり!バーカウンターもついていてすっごく贅沢な部屋😁鬼頭や片目のシーンは暴力的な展開ではあるのですが、それも絵としてキレイに撮られています(変な表現ですが😅)。 そして、摩紀と三郎が二人で別荘で過ごす時間はとくにその「絵になる」シーンの連続。職人監督が、美男美女のスターを起用して撮った美しいショー。もし今同じようなものを作ったらどう頑張っても日常感が出てきそうな気がするのですが、この時代、この監督、この俳優達、だからこそ作ることができた映画なのかなー、と思い、楽しめた映画でしたヾ(o´∀`o)ノ(あんまり触れてないけど、摩紀をとられて嫉妬し、またボスの片目に残忍に殺されてしまう鬼頭役の根上淳さんも、めっちゃ楽しそうに演じてて良かったです!)

 

この真っ赤なフィルムは現代の技術でキレイにすることはできないのかなー。絵になるシーンがほんとに沢山あるからこそ、キレイなちゃんとした色で観たいよー!!そしてソフト化してくれー!たのむ、松竹さん!

 

【余談】

松竹大谷図書館で読んだ当時の資料から色々と撮影中の話。

数々の絵になるシーンの中でとくにピックアップされて書かれたシーンがありました。それが、浜辺で横たわり、波にぬれながらのキスシーン。自首しようと摩紀のマンションに訪れたあとに別荘へと逃げる場面です。摩紀は白い(多分)ノースリーブのワンピースを着たままで横たわり、「目の前に私がいて広い世界が広がっているのに、わざわざ自分から塀の中に閉じこもるなんてバカらしいわ」、と三郎に言い、その姿を見た三郎はスーツのままで同じように横たわり、摩紀を抱きしめます。井上監督がかなり気合いを入れて撮ったのか、このシーンについての記事が結構あって、波が口に入っちゃったりとかもあり、撮影がかなり大変だった様です。でも、ほんと、絵になるシーンでした(赤いけど)。

あと、摩紀と三郎のラブシーンがが結構多かったわけなのですが、それが輝雄さんには結構照れくさかったようで、茉莉子さんに恥ずかしがってちゃダメ!と叱咤激励されていた、なんてのもありましたw確かに、摩紀の肩を抱くシーンとか、手がそっと添えてあったりして、恥ずかしさが抜けないのねwという感じw

そうそう、片目が鬼頭を殺すシーンとかやることは結構残忍なのですが(モーターボートで両足を引っ張る(^◇^;))、その前の撮影風景のポジフィルムはとっても皆さん和やかな雰囲気でしたw

 

はー、なんか過去最長の記事になってしまいました(^◇^;)これでもまだ書き切れないあれやこれやがあるのですけどね! 

藤原椎繕監督「地獄の曲り角」

冒頭に仕掛けれた謎と裏の世界でのしあがっていく男の話を無駄なく描いた、まさに日本版フィルム・ノワールの良作。

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【映画についての備忘録その12】

藤原椎繕監督×葉山良二主演「地獄の曲がり角」(1959年)

 

高級ホテルのボーイを勤める牧(葉山良二)は、ホテルにやってくる上客の強請のネタをヤクザの上月組に情報提供しては小銭を稼いで、いつかでかいことをする、と夢を描く毎日。そんな時、ホテルの一室で男が殺害され、その部屋で牧は「1/2の鍵」と書かれたメモと縦半分に切られた鍵を見つけ、思わず自分の制服のポケットに隠し入れる。

その翌朝、殺された男がある公団の収賄事件に関わっていた出所直後の某省課長補佐であり、共犯の課長松永は未だに服役していて、8千万円の金が行方不明になっているのを知る。自分が手にした「1/2の鍵」がこれに関わると読んだ牧は自分の幼なじみでお互いに思いをよせている章子(稲垣美穂子)にその鍵を預け、8千万を手に入れる方法を考えることに。そんなとき、事件のあった部屋の隣の部屋に貴子(南田洋子)という謎の女が宿をとる。貴子が残りの「1/2の鍵」を持っているとふんで、牧は二人で手を組むことを提案する。。。

 

 

シネマヴェーラ渋谷の「ニッポン・ノワール」の特集上映で観ました。2本立てのうちの1本で、この作品の次に上映された「真赤な恋の物語」(輝雄さん×岡田茉莉子さん&井上梅次監督)が本命で、せっかく1本分の料金で2本観られるんだから観ないと損よね!と思って、何の予備知識もなく観た1本目なんですが、これが正解!「ニッポン・ノワール」という特集名にぴったりな戦後の日本を舞台にした「虚無的・悲観的・退廃的な指向性を持つ犯罪映画」(Wikiのフィルムノワールの項より)の良作でした。

 

全部で93分の映画。その中で映画の冒頭に手に入れた「1/2の鍵」が何の鍵でどんな意味をもっているのか、そしてそれでどうやってお金を手に入れるのか?というサスペンス的な要素と、つまらない小銭稼ぎの悪事をしていた牧が貴子と出会ったことをきっかけに「1/2の鍵」を利用して大金を手に入れるのにふさわしい男になろうと、ボーイをやめて本格的に裏の世界でのし上がっていこうとする様を間延びすることなく、無駄のない展開で描きます。

 

のし上がっていく過程もよくできていて、手始めは上月組への情報提供をやめて、強請りを自分達でやるところから。その方法はボーイ仲間と一緒にテープレコーダーをホテルの客室に仕掛けてその録音を電話越しに当人に聞かせる、というもの。やっていることはチンピラヤクザのよう。それがある日、上月組の組長の情婦と組の幹部がホテルに宿をとり、二人ができていて、いずれ組長を葬ってシマを手に入れようと算段しているところをテープレコーダーに録音することに。それまでは宿泊した当人に聞かせて脅し、金を取るという方法をとっていたのに、ここで組長本人に聞かせて、怒りから幹部を殺すように仕向け、思惑通り組を潰します。大きな賭けにでて、そして裏の世界での成功を手に入れるのです。

 

元・上月組で牧を手先に使っていたサブは今は落ちぶれていて、街で牧の車に惹かれそうになり、牧への復讐を考えます。一方、貴子は牧と一緒に「1/2の鍵」を利用して大金を手に入れる計画を立て実行にうつしますが、最後はやはり信用できないと思い、牧を裏切ることにします。

この二つが交錯して、クライマックスでは、サブが牧の車のタイヤのボルトを緩め、そうとは知らない貴子がその車とその中にある大金をもって逃げ、その後を牧が他の車で追いかけます。このカーチェイス、ボルトがどんどんと緩くなって今にもはずれそうなタイヤと、追いかける牧、逃げる貴子にひたすらドラムだけの音楽が被され、ドキドキ感をあおられます。音楽と映像がぴたりとはまった名シーンでした。

 

唯一残念だったのが、牧役の葉山良二さんがぽっちゃり顔のぽっちゃりお腹で、主人公の真っ当な仕事をしているのに悪の道に自分からどんどん落ちていく不良性みたいなものにあまりそぐわなかったことf^-^;

ノワールの名にふさわしく、大金を手に入れたかと思った牧も幸せにはなれず、救われない最期を迎えますが、そんな退廃的な映画の雰囲気に反して、葉山さんの見た目は歌舞伎役者の何代目か、というぼっちゃんな感じ😅のし上がったあとにスーツ姿になってからは違和感ないんだけど、前半のジャンパーで歩き回ってるとこはおじさんが若作りしてる感じがして微妙でありましたw

でも、牧が大金を手に入れる時の、政財界の大物たちとの駆け引きの場面は貫禄十分。手に入れた金が儚く消えていった後の狂った感じも凄み十分。クライマックスに向けての盛り上がりは葉山さんの演技に寄るところも大きい、そう思わせられた俳優さんでした。

 

他にも章子の純情なかわいさとか、貴子の悪女っぷりとか、スタイリッシュな演出とか、ここに書かなかった魅力がたくさんあった作品でした。

とくにソフト化もされていないようですし、こうして名画座とかにかかるくらいしか観る機会はなさそうです。でも、そんな作品の中にもこんなに面白いものがあるんだなー、と古い邦画を見始めたばかりの初心者の私はあらためて、「旧作邦画すげーなー」と思うのでありました。

 

 

小津安二郎監督「お早よう」

おじいちゃんも息子も孫も、少年時代はみな同じ。 

 

【映画についての備忘録その11】

 小津安二郎監督「お早よう」(1959年)

 

東京の郊外にある新興住宅地。そこに住む子供たちが今もっとも興味を持っているのは、出始めたばかりのテレビ。

敬太郎笠智衆、民子(三宅邦子)の両親と叔母・節子(久我美子)との5人家族で暮らしている林家の兄弟・実と勇も、近所で唯一テレビを持っている丸山家に入り浸っている。丸山家に入り浸るのをよく思わない母・民子は2人を叱るが、実と勇は「テレビが見たいから行くんだ!」と口答え。口数が多い、余計なことを言い過ぎと父・敬太郎にも叱られ、実と勇はそれならば!と絶対に口をきかないとストライキに入るのだった・・・。

 

U-nextの配信で観ました。「秋刀魚の味」につづく、小津映画二本目。

こちらも「秋刀魚の味」同様、時代は違えど今もどこかでありそうな日常の風景を淡々と描いていて、小さな出来事の連なりでお話がすすんでいって、それがやっぱり面白く。

 

1959年の公開。時代的にはいわゆる家電が三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)とか言われていたころ。で、テレビと洗濯機を巡ってお話が展開します。そして舞台は似たようなお家が並ぶ新興住宅地とそのすぐ近くにある団地。今では当たり前、でも、おそらく、当時は少し頑張れば手が届くかもというような憧れの先端の生活風景なんだと思います。

 

そんな時代背景、舞台。でも男の子はいつでも同じやねー!とのっけからクスクス笑わせられます。

例えば、実はいつも弟の勇と隣近所の友達二人、の4人で小学校に登校するのですが、その4人の間で流行っている遊びがおでこを指でつーん!と小突くとおならがでる、というものw上手くおならができる子は「どうだい!」と自慢げですwいつの時代も男の子にとってオナラネタは鉄板のようです( ̄∇ ̄)

そのほかにもお父さんに叱られて「口をきかない」というルールを作ったけど、どうしても話したいときのために「"たんま”はありか!?」というルール確認をして指で合図してたんまをとっていいという特別ルールを作ったりw自分の子供の頃や、我が子を見ていると「あ~、昔も今も男の子ってやっぱりこんな感じなんだw」と思えるシーンがいっぱい。

 

実と勇が口をきかない、というストに入ったのはテレビがほしいと散々訴えた結果、お父さんに「子供のくせに余計なことを言い過ぎる!少し黙ってみろ!」と叱られたことがきっかけですが、実はただでは引き下がらず、「大人だって余計なことを言ってるじゃないか!こんにちは、おはよう、こんばんは、良いお天気ですね・・・ああ、なるほどなるほど」と大人の会話も余計なことがいっぱいだ!とお父さんに口答え。で、これで大目玉をくらいます。

二人は「自分たちの母親の同級生の弟」で、団地に姉と二人暮らしをしている福井平一郎(佐田啓二)のところへ英語を習いに行っていました。で、平一郎のところへ行っても当然、だんまりを決め込んで一言もしゃべりません。平一郎は面白がってだんまりの理由を聞きますがこたえません(ここで、「何でしゃべらないんだ!?」とばかりに額を小突かれて実がオナラしちゃうシーンは絶妙w勇も負けじと黙ったまま「額を小突け」と平一郎にアピって自慢げにオナラします(∀))。

 

その日、小さな事件?があって夜遅くなっても二人は家にかえって来ません。節子は平一郎に会社の資料の翻訳を頼んでいるのですが、その書類の受け取りに平一郎の団地を訪れた際に、二人がまだ家に帰ってきていないこと、そして、「大人だって余計な話ばかりしている」と口答えして叱られた結果、だんまりを決め込んでいたことを平一郎に話します。そして翻訳を終えた書類の受け渡しを終えると節子は帰っていきます。

その様子を見ていた平一郎の姉・加代子は実の話にも一理あるよねという感じで「ほんとにとうでもいいことはよくしゃべるのに肝心なことはしゃべらないわね」と平一郎の節子への好意を見抜いて一言。そして、平一郎に二人を探すのを手伝ったら?と言います。

平一郎が無事に実と勇を探しあてて家につれて帰るとそこにはなんとテレビ!二人のストライキもそこで終了!翌朝は元気に挨拶しながら登校します。

 

翌朝ー駅のホームで節子と平一郎は一緒になります。二人は電車を待ちながら、天気の話と雲の形の話をエンドレスで繰り返します。お互い余計な話ばかりしていて肝心なことは話せない様で。実の観察眼は正しいようですw

 

洗濯機のほうは、新興住宅地の母親たちの尾ひれはひれの邪推の元になって、こちらはこちらで「あ~、たぶん、今もどこかでこういうおばさんたちが存在していそう」というお話をあれこれ展開していきます(身の回りにいなくて良かったって思う感じw)。

 

佐田啓二笠智衆杉村春子沢村貞子・・・とまぁ、名前だけでもすごいって分かる名優さんたちがたくさんでている本作ですが、主役は実と勇の小さな兄弟二人、お話の中心はテレビと洗濯機、最初から最後までひっぱられるオナラネタ、という時代をこえてなんとも親しみを感じる映画でした。

 

【余談】

この前のエントリーで松竹大谷図書館に行ったことを書きましたが、この時読んだ「秋刀魚の味」の記事で小津監督はロケが嫌い、というお話をされていました。舞台となっている新興住宅地ですが、実たち兄弟の家の周辺以外は一切写らず外に作られたセットかな?という感じ。ロケだと分かるのは平一郎と節子が駅のホームで一緒だったシーンだけ。

秋刀魚の味」では輝雄さんと志麻さんが好意がありつつ電車を待って当たり障りのない会話をするってシーンがあって、こちらも佐田さんと久我さんが電車待ちながら天気と雲の形の話という当たり障りのない会話の繰り返し。なんだかちょっとこの二つが重なってみえてそれもまた楽しかったです。

 

松竹大谷図書館で50年前の吉田輝雄を追っかける

映画の備忘録じゃなくて、図書館の備忘録。

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3月23日、偶然にも吉田輝雄さんのお誕生日だったのですが!松竹大谷図書館に行って吉田輝雄三昧して来ました(๑'ᴗ'๑)

 

邦画好きの方には有名な図書館なのかな!?邦画には殆ど興味のなかった私は今年その存在を初めて知りました(そのきっかけも輝雄さん出演作についてあれこれググッていたら、私と同じように輝雄さんにはまった若い方(「同じように」は「若い」にはかかってません(`・д・´))が行かれたというブログを読んだからですが^^;)。

松竹の専属俳優だった時期もある輝雄さん、松竹作品には沢山でているのですが、今、ソフト化されていて見られるものは「今年の恋」「秋刀魚の味」「古都」「吸血鬼ゴケミドロ」の4つだけ。他はネットで検索してもやはりなかなか情報がありません。過去に名画座CS放送でかかったのを見られた方の感想か、あんまり信用おけないデータベース(「網走番外地 大雪原の対決」のストーリーを読んだら全然違ってた)のストーリー&キャスト、スタッフ表くらい。

 

そこで松竹大谷図書館に行ってみよう!と思い立ちました。松竹大谷図書館は演劇と映画の専門図書館で、歌舞伎、演劇、映画(主に松竹作品。+他社の邦画と外国映画も)の脚本やポスター、プレスシート、スチル写真、紹介記事のスクラップブックなどが閉架式で収められている図書館。歌舞伎座の近くにあるビルのワンフロアの一角にひっそりと?ある図書館なので、たぶん、気にしてなかったら通りすぎちゃいそうなところで。

 

1月に1回、2月は行ってみたら休館日だったorz・・・3月に1回、それぞれ、朝、図書館の近くで多めのブランチをとって10時半から4時くらいまで一日引きこもる、という過ごし方。いや~、もう、すごく楽しいです(*゚▽゚*)オタク気質の方ならこの充実感は分かっていただけるかとw

 

行ってみたら、もう、一日引きこもっていてもまだ足りないくらいの資料の数々。スチル写真はソフト化されていない作品の雰囲気を知る(&輝雄さんのハンサムさを確認する)にはうってつけ!そして、当時の宣伝担当の方が切り抜いて保存されていた新聞記事や撮影時のポジフィルムを貼り付けたと思われるスクラップブックはもう、楽しくて楽しくて!

 

1月に見た資料は。。。

「今年の恋」「愛染かつら」「霧子の運命」「真赤な恋の物語」「男の歌」

の輝雄さん主演作&岡田茉莉子さんとの共演作の5作品

 

 3月は

「大悪党作戦」「犯罪のメロディー」「秋刀魚の味」「男の影」「古都」「東京さのさ娘」

と石井監督&井上梅次監督と組んだ新東宝っぽいアクション映画&人気女優さんの相手役を務めた2作品&小津映画など

 

これだけ見たけど、まだまだ見られていない輝雄さん作品が残っています。

 

それぞれ印象深かったもの(どれも印象深かったんだけど)

「今年の恋」(1962年公開)

松竹入社第一回主演作品。松竹が輝雄さんを売り込むのにどれだけ力を入れていたかが伝わる記事がたくさん!何にフォーカスして売り込むか、って話を宣伝部がしてる、なんてのが。それが最終的に「今年の恋」のプレスシートに記載されていたりします(チャームポイントは何か、とか知り合いに有名人がいればそれも売りになるぞ、とかw)。あと、小料理屋の「愛川」の鴨居に思いっきり頭をぶつけるシーン、最初から思いっきりぶつけてて、でも痛いとかいわなかったんだけど何回かやっててさすがに参ったとか、そんな話もw

 

「愛染かつら」(1962年公開)

元は戦前に作られて大ヒットした映画。そのリメイクということ、時代的なズレや、映画界そのものが斜陽に向かっていた時期ということもあって、松竹の迷走なんじゃないか、なんていう公開前の批評から、公開後に以外と若い人に観られてるよ、なんて記事まで。あと、輝雄さんについて「エロキューション」がまだまだ、と書かれている記事が(^-^;)確かに、若い頃の作品は滑舌も発音も聴き取りにくいことが多いもんなー、と(^-^;)

 

「男の影」(1964年公開)

主演は園井啓介さん。「ゴールドアイ」で敵として出てくるのしか見たことないのですが、映画の公開当時は人気テレビスターだったようです。この作品を観られた方の感想を観ると、輝雄さんの出番は結構少ないようなのですが、当時のスクラップを見ると、出番めっちゃ多そうなんですよw輝雄さん主演かな?ってくらいwあと、竹脇無我さんをこの作品から売り出そうとしていた様子。「男の影」は三ヶ月の入院後(肝機能障害とか書いてあった気が)、復帰一作目、とのことらしかったんですが、それより、NHKドラマに出演拒否したとかでなんか騒がれてたらしいというインタビューが気になって。ご本人インタビューではそれは誤解という話だったけど、何があったのやら。秋刀魚の味でご一緒されていた佐田啓二さん主演作(このドラマの途中で事故死されたようです)だったようなので、共演作が一つなくなったのかと思うととても残念。

そしてこの映画、復帰第1作だというのになかなかハードな撮影をさせられていた様子^^;
扁桃炎にもなって39度の熱があるのにヘリからの上空撮影のために犯人追いかけて走り回るという。終わったら息できなくて倒れ込んだとのこと。次回作も決まっていて休みたくても休めないと。この頃の役者さんたちって大変ですわ。。。

 

「犯罪のメロディー」(1964年公開)

井上梅次監督。主演は待田京介さん。ネットでみられるストーリーだと輝雄さんが何の役かも分からないレベルだったので あんまり期待してなかったのですが、スチル写真とかスクラップみたら主演陣の一人でめちゃくちゃかっこいい役だったので(//∇//)とても観たくなった作品です。
役柄的には肺を病んだトランペッターで、余命いくばくもなく、スリルのために犯罪に手を出す。最後は自分を犠牲にして仲間を助ける。。。と最後の美味しいとこはやはり!?輝雄さんが持って行っている様子wスクラップブックにあったインタビューで、当時メロドラマにでまくってたのに、深夜にテレビで放送していた新東宝作品のおかげで、「ファンレターの7割はこういうギャング映画系でファンになった人なんです」的なコメントがあって笑いました(∀)ということで、「決着(おとしまえ)」での当時の観客についての心配は杞憂かもしれないですw

なお、井上梅次監督作品三本における輝雄さんの役は「ピアニストとしてクラブに潜入捜査に入る刑事」(真赤な恋の物語)、「ミュージカルの演出家」(踊りたい夜)、「肺を病んで余命少ないトランペッター」(犯罪のメロディー)、となぜか音楽付いているのが面白いです。あんまりミュージシャンっぽい感じしないのに(∀)

 

「大悪党作戦」(1966年公開)

石井輝男監督。主演は輝雄さんと宍戸錠さん。こちらは準備稿や完成台本も読みました。(でも、いつか映画を観られた時の楽しみのために!と全部は読まなかったのですが)で、驚いたのが準備稿は一番最初に田村正和の名前があったこと。松竹はこの前にも石井監督×竹脇無我でアクション映画を撮っていて(「日本ゼロ地帯 夜を狙え」など。私のアイコンがこれ)、アクション映画で松竹の若手を売りだそう、とそういう考えだったのかもしれません。田村正和が石井映画って全然想像できないですけどね。

 

 「古都」(1962年公開)

岩下志麻さんとの共演作。映画は京都の四季を写します。夏の祇園祭の夜のシーンでは志麻さんや長門裕之さんは浴衣で、輝雄さんや早川保さんは半袖のシャツ1枚で歩いています。が、なんとこれが真冬の京都で撮影していたそうで!映像では普通に暑い夏のワンシーンにしか見えてなかったのでとてもびっくり!あと、DVDも観てますが、岩下志麻さんがめっちゃかわいいです!!ほんと!!スクラップブックなどの資料はやはり志麻さんがフォーカスされています。

 

秋刀魚の味」(1962年公開)

他の作品と違ってパンフレットみたいなのまであって、扱われ方が別格でした。撮影前にキャスト、監督が集まっての記者会見も行われていた様です。記者会見で小津映画常連さん達はみんなノーネクタイ(佐田さんにいたってはTシャツにスラックス)なのに、輝雄さんだけキッチリ、スーツにネクタイで、めちゃめちゃ緊張してるのだなぁ、とw

記者会見では小津監督は「吉田輝雄の出演作をみたことはあるか?」という質問をされていて、「観るのと作るの両方はできないよ」という味のあるコメント。「本人を見ればわかるから」と。だから、他の作品ではみれない表情が「秋刀魚の味」で撮られてるのでしょうね。あと、「俳優は絵具」という小津監督のコメントが載っていて(監督の筆にあわせてキャンバスを色づけるものといったニュアンスでした)、演技はいらないんだ、的なこともおっしゃっておられました。やっぱり「大根と人参」を小津監督に輝雄さんで撮ってほしかったなー、とあらためて思いました。小津カラーの吉田輝雄もっと観たかったです。

 

「真赤な恋の物語」はスクラップブックに撮影の合間も写したポジフィルムがあって和やかな雰囲気が伝わったり、岡田茉莉子さんとの共演でスチル写真の二人はとてもキレイだったし(〃'▽'〃)(4月のシネマヴェーラ渋谷での上映が楽しみ!)、「霧子の運命」は輝雄さんには珍しいヘタレな役で情けなく俯いてるような写真はなかなか見られないぞ!とか50年以上昔の写真を見ながら楽しい時間を過ごしました。

 

私は観る内容にめちゃくちゃ偏りがありますが(^-^;)映画や演劇が好きな方にはみんなきっと楽しく過ごせる場所だと思います。スクラップブックなんて国会図書館にもないわけですからね。ほんとにとっても素敵な場所!資料保存のための費用を賄うためクラウドファンディングなどもされていたようで、知ったときにはもう終わっていましたが、次、何かあったときには私も参加したいなぁ、と思いました。そのくらい、ほんと貴重な資料を見させていただいたなぁ、と。

 

図書館の人にはそろそろ何が目的で来ているかバレているかなぁ(^-^;)

 

写真は「今年の恋」のプレスシート。ラピュタ阿佐ヶ谷の上映時に掲出されていたものですが、これも手に取ってみれました。知り合いの有名人=学生時代は大洋の近藤選手と3番4番って書いてあるの分かりますかねー。

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そして懲りずにまた行く人。

kinakossu.hateblo.jp